粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

金正恩と男の嫉妬

2013-12-16 18:08:20 | 厄介な隣国

人気漫画「黒子のバスケ」の作者に対する度重なる脅迫行為を続けていた男が逮捕された。容疑者は、脅迫文に「動機は作者への怨恨」だと表明し、逮捕時にも「漫画で(作者が)成功を収めるkとに対するやっかみがあった」と供述していた。要するに男の嫉妬というべきものだ。

考えてみれば、男の嫉妬というのは凄まじいものがある。女の嫉妬は色恋が多いが、男の場合は仕事とか人生そのものに圧倒的に関わっている。したがってその嫉妬は長期に及ぶものが多い。特に政治家や芸能界、実業界など世間的に華々しい世界には、ある面男の嫉妬が渦巻いていると言って過言ではない。最近政界を騒がす内紛もその例に漏れない。

ところで、近隣国の失脚事件もおそらくそこには男の嫉妬が大きく関わっている気がしてならない。北朝鮮の張成沢国防副委員長の処刑についてである。嫉妬したのは金正恩本人ではないか。北朝鮮の報道では張成沢がクーデターを画策したということをほのめかしているが、彼にはそんな軍事的な権力を持っているとは信じがたい。

張成沢は北朝鮮稀っての経済通であり、政治の実務能力で他の政治勢力を圧倒していたと言われる。したがって中国が北朝鮮との関係で信頼を置いていたばかりか、日米韓も密かに関係打開のキーポイントと見ていた節がある。さらには国内的にも改革開放で軍事よりも経済を優先する姿勢は国民に一定の支持を得ていたと考えられる。

張成沢が対外的に実力を誇示し、華々しく政務を確実にこなす姿に、金正恩自身が嫉妬したのではないか。その結果、自分はないがしろにされて蚊帳の外へ置かれてしまうのではないかという危機感となって金正恩の心中は穏やかではなかったように思える。

もちろん、張成沢にも少し奢り高ぶったところがあって、金正恩を軽視した態度を見せたのかもしれない。それが逆鱗に触れて今回の処刑につながったとも考えられる。しかし、経済立て直しを考えたら、北朝鮮にとって張成沢の存在は欠かせない。反張成沢派の軍部がいくら彼の真似をして経済に取り組もうとしてもそうスムーズに進められるとは思わない。中国との関係もしっくり行かず大事な援助国の不興を買うだろう。

おそらく、しばらくして金正恩も張成沢を失ったことに後悔する時がくると思う。あの時、殺さずに幽閉ぐらいにしておけば、逆に張成沢は再起用されれば恩義を感じて金正恩のために励むのではないか。しかし、嫉妬に駆られて最悪の手段をとったことでその道を閉ざしてしまった。所詮、金正恩は30そこそこの若造に過ぎない。大局的に見る人間としての器量に欠けている。だから金正恩の将来は決して明るくはなくは破滅の道へ突き進んでいくようにみえる。


義家弘介議員のビデオレター

2013-12-14 17:41:46 | 国内政治

あのヤンキー先生こと義家弘介衆議院議員は、文部科学省政務官として主に教育行政に携わっている。そんな彼が定期的に保守論壇のネットテレビ「チャンネル桜」にビデオレターで近況を熱く語っている。12日のビデオのタイトルは「教育現場の無責任、教職員の政治活動といじめ認知の問題」となっている。その名の通り、教育関連で最近話題になった事象を2点取りあげている。

最初の「教職員の政治活動」についてだが、これは国会内外で紛糾した特定秘密保護法を巡ってのことだ。特に国会周辺での反対デモの異常とも言える喧噪について「(幟旗をみると)一般の国民というより特定の労働組合等、日当をもらって動員をかけられている組合員つまりプロ」によるものだと批判している。その証拠として組合の旗がたなびく現場写真を掲げ、さらにその中には教職員組合の旗が散見すると指摘している。

そして平日堂々とこんなデモで反対の気勢を上げていることを問題視して、明らかに教師の政治活動を禁止する法律に違反しているのではないかと非難している。「教師の仕事はデモに参加することではなく、子どもと向き合ってその職責を果たすことだ」とさすがにヤンキー先生らしい組合教師批判である。

やはり、自民党議員の義家議員からすれば、国会前のデモは「プロ市民」によって主導されたものだということを実感しているようだ。朝日新聞などが持ち上げる「国民の声」というものとは実態とかけ離れている。特に教職員組織が授業をそっちのけで参加するなど教師の風上にもおけないということだろう。

さらに第二の問題は「いじめの実態」に関してだが、義家議員が意外と思えることを激白していた。文部科学省の24年度の調査でいじめを認知する小中高校が全国で19万件におよび前年より3倍に増えたというニュースについてであった。

調査によると、いじめがあると認知した学校は全体の57%のもなるが、これを「とんでもないこと」としている。その意味は「残りの4割がいじめを認知していない」ということだと義家議員は指摘する。彼に言わせれば「いじめは日常的に起こっている」し、極端にいえば一つの学校で31件はいじめがあってもおこしくないとも見ているのだ。

考えてみれば、自分の小中高校でも程度の差はあれ、いじめらしきものあったし、深刻ないじめにも遭遇した経験がある。人間集まれば、必ずいじめがうまれるというのが人間の摂理といえなくもない。特に義家議員が現場の教員時代を経験しているから余計それを実感しているのだろう。

したがって、彼は調査で最多の32,000件以上のいじめを認知した鹿児島県を「非常にまともでしっかり指導している:と評価する一方で、小学校で31件中学校で81件しか認知しない佐賀県に対して、その怠慢を厳しく批判している。

当たり前に起こっていることを矮小化して隠蔽する学校と起こっていることを認知して対応した学校とどっちが評価が高いかというと当然後者の方が高いに決まっている。」「(認知してくれないと)これではいじめ天国、いじめが起こっても教師は発見してくれないしいじめが起こってもカウントもしてくれずに見て見ぬ振りをしてしまうことになる

よくいじめの事件が報道されると、学校側はいじめはなかったと当初は弁解するが、詳細を調べるうちに深刻ないじめがあって教師や学校が見て見ぬ振りをした実態が明るみになることが多い。まさに義家議員が指摘する通り「隠蔽体質」が根本的な問題といえる。

したがっていじめ問題を解決する根本は、いじめがあるという前提で現場の生徒たちが日常をしっかり観察し、謙虚に子どもたちの声を聞くことしかないだろう。もちろん、それもできずに国会前で気勢を上げるなどアウトだ。

ヤンキー先生には今後も大いに期待したい。教育行政には現場体験者の立場から鋭い切り口と子どもを見つめる優しい目で取り組んでもらいたいと思う。

 

二つの都市伝説「日本のプロ野球と秘密保護法」

2013-12-13 13:55:54 | 国内政治

1970年代、革新政党が自民党と拮抗するほどの勢力を持っていた時代、こんな「都市伝説」があった。「社共勢力(社会党、共産党)が議席で多数を占め政権を握ったら、プロ野球がなくなってしまう」と。当時プロ野球の黄金コンビON(王と長島)のうち、長島さんがそんなことを言ったとか言わなかったとか。

今は法案も単独で提出できないほど弱小勢力に成り果てた社民党だが、その前身の社会党は自民党も脅かす一大勢力であった。共産党も現在の倍ほどの議席を確保していた。自治体では東京、大阪など首都圏や近畿圏で革新系の知事が続々誕生していた。その勢いが国家レベルにまで及びそうな情勢だった。

社共人民政権の誕生も現実味を帯びて語られ始めた時期、プロスポーツは「ブルジョア」のスポーツであり、社会主義政権では容認させず、解散の憂き目に遭うというのがその都市伝説の根拠である。しかし、こうした噂に対しては社会党も共産党も揃って否定している。むしろ、プロ野球が盛んになって長島選手はもっと年棒が貰えるとも弁解していた。

70年代高度な資本主義国になった日本は、社会主義とはいっても開発途上国とは性格は全く違う。議会制民主主義が保証され基本的には資本主義的企業活動も認めた上での社会主義的政策が基本だったと考えられる。

ただ、自民党などの保守勢力はソ連や東欧の全体主義が訪れると盛んに社共政権を喧伝して恐怖を煽った。国民の保守層は本気でそんな恐怖感を覚え、プロ野球などのプロスポーツも廃止されてしまうと本気で考える人もいたが、国民の大半は否定的だった。ただ漠然とした不安があったことも確かだった。

そんな昔の「都市伝説」を思い出したのは、最近の特定秘密保護法案を巡る騒動での胡散臭さを感じたからだ。つまり、「この法案が通ると国民の知る権利が奪われ、言論の自由が阻害される暗黒時代が訪れる」という左翼メディア、法律家、作家、映画関係者らの宣伝だ。これは現代の「都市伝説」といってよいものだろう。条文をよく読めば、特定秘密の対象となるのは外交、防衛、スパイ、テロ活動と極めた限定されており、相当の専門分野の内容ばかりだ。

あるテレビでコメンテーターが防衛施設を外からたまたま撮った写真をアップし、それが特定秘密だったら逮捕されると語っていたが、笑止千万だ。特定機密になりうるのは多くが衛星写真や厳重に管理された書類などだ。素人が衛星を打ち上げて写真を撮ったり、いくつも鍵をこじ分けて内部に侵入するなど出来るはずがない。

ただ法律は運用の仕方によっては、拡大解釈されることは充分あり得ると思う。それには国民の注視が必要だが、直ぐに戦前の暗黒時代に向かうというのは無理がある。なんといっても今は民主主義が成熟していて、国民の意識も強い時代にそう簡単に統制社会に向かうはずないし、担当する政権も敢えてそんな野望を普通持っているとは考えにくい。

秘密保護法で暗黒社会が到来する、これも今日の「都市伝説」といえるものではないか。1970年代は保守層が「プロ野球消滅の危機」を喧伝したが、今日は革新層が危機を煽っていて立場は真逆だ。しかし、双方とも日本の社会状況を理解せずに漠然とした不安を言い募るという点では共通しているように思う。伝説は時にまことしやかに国民の間に浸透する。しかし時期が経てばやはり単なる伝説であったと気づく時が来るのではないか。


東国原氏に不足しているもの

2013-12-12 14:02:41 | 国内政治

この人物、どうも自分には信用が今ひとつだ。東国原英夫現衆議院議員、またまたこんな時期に一部マスコミの注目を浴びている。日本維新の会に離党届を提出し、議員も辞職するという。

政治評論家たちの分析によれば猪瀬東京都知事の辞任の可能性が高く、その後釜を再度狙っているというのだ。ともかく目立ちたがりの人物であり,政党の一議員に埋没することに我慢が出来ずこの挙に及んだというのが現実のようだ。

端から見ると、本当にこの人物、ガンと腰を構える一途さに欠ける。絶えずアンテナを掲げて自分を高く買ってくれるところを探している。上昇志向をいえば聞こえはいいが、あざとい売名の意図が見え見えでどうも興醒めしてしまう。

見るところ、東国原氏に最も欠けているのは「人望」ではないか。彼にあるのは、ミーハー的な大衆人気であって決して人間的な魅力、すなわち器量の大きさではないように思う。

いくら本人が無理して人を呼び寄せても人望は生まれない。その人物の器量、度量を慕って自然と人が集まってくるものだ。ちょうど東国原氏の師匠であるビートたけしがそれに当てはまる。口はうるさく我がままなところがあるが、その名状しがたい人間味に引寄せられるように人がついてくる。

東国原氏は宮崎県知事としての経験や都知事選での予想外の得票に自分の実力を過信しているのではないか。どうもどちらも人気先行で上滑りしている印象がある。人気を人望と勘違いしている感じだ。

宮崎県知事の時にも県政は中途半端だった。任期途中で自民党総裁の椅子に本気になったのには当時自分自身仰天したのを覚えている。結果的に一期で宮崎県知事を辞め、直ぐさま都知事選に打って出る。

都知事再選を目指す石原氏が「口蹄疫の後始末はどうしたんだ」と彼を批判していた。彼の宮崎県知事任期中に口蹄疫が猛威を振るい沈静化はしたが、畜産農家は大打撃を受けてその回復は厳しいものがある。

その再興を知事として見届けることもなしに、国政ならともかく最大の自治体の首長選に打って出る。その政治的野心が見え見えであり、国民特に宮崎県民は裏切られたという気持ちが強かったのではないか。

だから、彼が再度都知事選挙に本気で出ることを考えているとしても、結果的には厳しい気がする。彼を支える本当の陰の支援者はなかなかいないのではないか。東京都民も山本太郎当選で懲りているはずだ。一時的な人気やブームで選挙に躍らされる愚かさを悟っているに違いない。


猪瀬知事気の毒?

2013-12-11 00:04:01 | 国内政治

どうも自分自身、判官贔屓の気持ちが強いせいか、最近の猪瀬東京都知事の苦境には同情したくなる。確かに政治資金規正法ではその疑いは限りなくクロに近いだろう。しかし、都知事選で400万票以上を獲得して楽々当選したことにこの五千万円の資金が影響したとはとても思えない。

おそらくこのお金のお陰で当選したとは誰も思っていないだろう。実績や知名度が他の候補より抜きんでいているので圧勝したことは都民が認めているはずだ。また五千万円の資金を猪瀬氏が得たことで誰かが被害を被ったという話も聞いたことがない。

だから、素人目には、「資金報告しないですみません。給料は1年分返上します」と詫びたことで「もういいよ、許してやれよ」と言いたくなってしまう。道義的責任とも言われるが、責任の解釈は人それぞれで見解が違う。

政治と道義がよく問題にされる。以前、ある国会議員が「政治家に徳目を求めるのは、八百屋で魚をくれというのに等しい」と発言して物議をかもしたことがあった。自分自身、どちかというと金銭や異性の問題に緩くても政治を精力的にやってくれば大目に見たくなる。

それにしても、評論家としてテレビで正論を堂々とまくしたてる猪瀬氏とは全く今は別人と思われるほどの小心ぶりだ。この人も攻めは強いが、守りに弱いタイプかもしれない。嘘をつくのがとても下手、確かに正直者といえるだろう。

それだけに、もういい加減、猪瀬いじめはこれくらいにして、彼が都政に没頭できる逃げ道をつくって欲しいと思う。特に7年後に控えた東京五輪に向かって充分な態勢で臨んでもらいたい。武士の情け、こんなのは甘い考えだろうか。