粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

東国原氏に不足しているもの

2013-12-12 14:02:41 | 国内政治

この人物、どうも自分には信用が今ひとつだ。東国原英夫現衆議院議員、またまたこんな時期に一部マスコミの注目を浴びている。日本維新の会に離党届を提出し、議員も辞職するという。

政治評論家たちの分析によれば猪瀬東京都知事の辞任の可能性が高く、その後釜を再度狙っているというのだ。ともかく目立ちたがりの人物であり,政党の一議員に埋没することに我慢が出来ずこの挙に及んだというのが現実のようだ。

端から見ると、本当にこの人物、ガンと腰を構える一途さに欠ける。絶えずアンテナを掲げて自分を高く買ってくれるところを探している。上昇志向をいえば聞こえはいいが、あざとい売名の意図が見え見えでどうも興醒めしてしまう。

見るところ、東国原氏に最も欠けているのは「人望」ではないか。彼にあるのは、ミーハー的な大衆人気であって決して人間的な魅力、すなわち器量の大きさではないように思う。

いくら本人が無理して人を呼び寄せても人望は生まれない。その人物の器量、度量を慕って自然と人が集まってくるものだ。ちょうど東国原氏の師匠であるビートたけしがそれに当てはまる。口はうるさく我がままなところがあるが、その名状しがたい人間味に引寄せられるように人がついてくる。

東国原氏は宮崎県知事としての経験や都知事選での予想外の得票に自分の実力を過信しているのではないか。どうもどちらも人気先行で上滑りしている印象がある。人気を人望と勘違いしている感じだ。

宮崎県知事の時にも県政は中途半端だった。任期途中で自民党総裁の椅子に本気になったのには当時自分自身仰天したのを覚えている。結果的に一期で宮崎県知事を辞め、直ぐさま都知事選に打って出る。

都知事再選を目指す石原氏が「口蹄疫の後始末はどうしたんだ」と彼を批判していた。彼の宮崎県知事任期中に口蹄疫が猛威を振るい沈静化はしたが、畜産農家は大打撃を受けてその回復は厳しいものがある。

その再興を知事として見届けることもなしに、国政ならともかく最大の自治体の首長選に打って出る。その政治的野心が見え見えであり、国民特に宮崎県民は裏切られたという気持ちが強かったのではないか。

だから、彼が再度都知事選挙に本気で出ることを考えているとしても、結果的には厳しい気がする。彼を支える本当の陰の支援者はなかなかいないのではないか。東京都民も山本太郎当選で懲りているはずだ。一時的な人気やブームで選挙に躍らされる愚かさを悟っているに違いない。