粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

兵庫県立高校教頭の真っ当な回答

2013-12-17 14:31:23 | プロ市民煽動家

原発事故後2年9ヶ月、今や放射能被曝を煽る話題はメディアでほとんど聞かれなくなった。あの武田邦彦中部大学教授さえ、ご本人のブログに煽動的な記事はみられない。代わって「幸福シリーズ」とか「男と女」とかいった教授らしからぬ記事が目立つ。いつの間にか社会風俗研究家にでもなったようだ。

そんな中、今でも相変わらず放射能被曝の「恐怖」を訴え「警告」を鳴らし続ける人物がいる。あの反原発派の最右翼(左翼?)木下黄太氏である。本日(12月17日)のブログを見ても例の「イエロー節」は健在である。

今日は、兵庫県三木市内の県立高校で、福島へのボランティアに生徒派遣したり、修学学旅行を計画していることに対して糾弾をしている。理由は相変わらず生徒の被曝による健康不安である。ボランティアは今年8月に既に行われていて、有志生徒29人が福島市や相馬市で「手袋もせずマスクもせず、ももの袋掛けと、芝公園の草刈りを4時間、作業した」ようだ。修学旅行は来年1月に予定されている。

この学校の試みを知った市内の母親がその県立高校に抗議の電話を入れたところ、そこの教頭からこう「罵られた」という。

「飛行機に乗る方が被曝する!2日ぐらいで危険なわけが無い!」と。

自分自身、この返答は至極「真っ当な説明」であると思う。例えば、飛行機で海外で短期間の修学旅行に出るとしても10マイクロシーベルト前後の外部被曝を受ける。それと比較して、福島の野外を数時間過ごしても現在被曝は遥かに低い(年間を通じても問題ない)。屋内ならば他の地域とさほど変わらない線量である。機内の被曝が全く問題にならないのに福島を特別扱いするのは不当である。

抗議した母親から話を聞いた木下氏も再度そこの教頭に電話をしたようだ。再び出た教頭から今度は木下氏に『どうして行っちゃいけないのか」と逆質問さしたので、彼は「内部被曝とは危険度が全然ちがう。1度の内部被曝で致命的ダメージを受けて将来発病するおそれがある」と内部被曝の恐さを強調した。これに対してその教頭はこう反撃した。

「被曝が1日くらいなんてことない。365日のウチたった1日ですよ。今も貴方が危険という福島に、住み続けている人がいるんですよお。福島の人が可哀想だとは思わないんですかー?ほんっとうに可哀想ですー気の毒ですー。あなたの理屈では、東北の人は飢えて死ねということですねー。」
等々畳み掛け、
「こんなところに電話しているヒマがあったら、あなたが政府に働き掛けて下さい」
「応援しますよーがんばってくださいよー貴方が政府を変えて下さいよー」、と。

なかなかこの教頭、反原発派の論法をよくわきまえていて「ツボ」を心得ているなあ、と感心する。たった1日の被曝を問題にする煽り派の弱点を突いている。さらに「今も貴方が危険という福島に、住み続けている人がいるんですよお」という物いが「福島差別」だと暗にこれまた反原発の「急所」を抑える。挙げ句は福島の人が可哀想だとは思わないんですかー?ほんっとうに可哀想です」と反原発が最終的に訴える「情緒」さえも「逆利用」する演出?の巧みさだ。

まさに反原発派の抗議に対する「模範回答」といってようだろう。木下氏が、「「『生徒が後年病気になったら、貴方や高校が補償できるのか』と聞きましたが、大声をかぶせてきて答えませんでした」、と「悔し紛れ」の反撃をしたようだがどうみても教頭VS木下黄太の初対決は教頭の圧勝のようにみえる。

木下黄太氏はこの対話の感想をその後もいろいろ書き綴っている。呆れる、次元が低い、責任回避、果ては「日本、日本人、教育者が如何に馬鹿なのかがよく分る事例」、とこの教頭を罵っているが具体的根拠がなく、まさに「八つ当たり」「後の祭り」といってよいだろう。反原発派の中では「理論派」(強弁派?)を自認する木下氏をもってしてもこの状況である。

思えば反原発派の社会的抗議活動は昨年の被災地広域がれき処理反対運動を境にしてその勢いが急激に衰えている感じがする。だから、こうした一自治体、一学校の試みに「いちゃもん」をつける程度の「ぼや」あるいはただの「煙」で終わっている。特に低線量被曝に対しての誤解は是正されその被害についても国民が冷静になりつつあるといってよい。今回の模範回答の県立高校教頭を見るにつけそれを実感する。