「函館衆」とずいぶん親しくなった事もあったが
母船式鮭鱒漁で函館港に滞在した事で
なじみの友達もいたので、帰宅する前に函館で
少しの期間「青春時代」を謳歌しました!
しかし時間の経過は瞬く間で、当時、北海道と本州を
結ぶ交通手段に「青函連絡船」があって
4日後の朝には「青函連絡船のデッキにいました。」
津軽海峡冬景色が流れるデッキで、故郷に帰るという
気持ちとはうらはらに、名残りがある「青春の一コマ」で
3ヶ月前には不安だらけだった事がうそのように
落ち着いている自分がそこにいました!
故郷から空路、共に北海道に渡った先輩方は
一足先に帰宅していましたが、若干遅れで帰宅。
その年乗った青函連絡船はその年を最後に
役目を終え、今では「青函トンネル」が開通し
津軽海峡を船で渡る事はなくなりました。
と 共に「青春の一コマ」は「津軽海峡冬景色」の詩と
そして「青函連絡船」が、遠い昔に見た映画のように
記憶の断片をつなぐ事があります!