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…漁師アトムの航跡… ~ある沖乗り漁師の綴記~

回顧記 23話 「青函連絡船」!

2006年04月20日 | 船上回顧記

「函館衆」とずいぶん親しくなった事もあったが

母船式鮭鱒漁で函館港に滞在した事で

なじみの友達もいたので、帰宅する前に函館で

少しの期間「青春時代」を謳歌しました!

しかし時間の経過は瞬く間で、当時、北海道と本州を

結ぶ交通手段に「青函連絡船」があって

4日後の朝には「青函連絡船のデッキにいました。」

津軽海峡冬景色が流れるデッキで、故郷に帰るという

気持ちとはうらはらに、名残りがある「青春の一コマ」で

3ヶ月前には不安だらけだった事がうそのように

落ち着いている自分がそこにいました!

故郷から空路、共に北海道に渡った先輩方は

一足先に帰宅していましたが、若干遅れで帰宅。

その年乗った青函連絡船はその年を最後に

役目を終え、今では「青函トンネル」が開通し

津軽海峡を船で渡る事はなくなりました。

と 共に「青春の一コマ」は「津軽海峡冬景色」の詩と

そして「青函連絡船」が、遠い昔に見た映画のように

記憶の断片をつなぐ事があります!


回顧記 22話 「旅の衆Ⅱ」!

2006年04月20日 | 船上回顧記

20日間の出漁停止期間を経て、「イカ流し漁」へ出港!

この船は、今年から「イカ流し漁」の権利を取得し

初めて「イカ流し漁」をする。当然漁労長をはじめ

以前から乗船していた方々は経験が無かった。

そのため鮭鱒漁前に「イカ流し漁」経験者を集めたらしく

我々、旅の衆は本来ここが正念場でした。

鮭鱒漁だけなら「独航船」の本場「北海道の方々」で

十分事足りるはずですから!

この年は、ムラサキイカ(イカ流し漁の対象)が大漁だった年で

少ない操業回数で満船にできました。

(鮭鱒漁を終えて秋刀魚漁までの期間に2航海した船もあった)

イカ流し漁を終えて帰航すると、すぐに秋刀魚漁への

転換準備作業を進め、8月の初めには故郷へ帰る事になった。

しかし自分は「函館衆」と共に函館まで車で移動し

函館で3日程プライベート時間を過ごした。