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…漁師アトムの航跡… ~ある沖乗り漁師の綴記~

回顧記 25話 「臨時」!

2006年04月24日 | 船上回顧記

秋刀魚漁を切り揚げて、鮪漁等の他の漁に

転換する船と、鮭鱒漁まで漁を行わない船があり

北海道船籍の「独航船」は、ほとんどが漁を行わない。

そのため、次の鮭鱒漁までの冬の間は休みで

北海道の方々は北海道各地の沿岸漁業に従事していました。

我々は、宮城県の各港から鮪漁に出漁する船で欠員のある船に

「臨時」(1航海、又は4月中まで、とかの期間限定)

乗船して行く事が多かった。

今では外国人船員を乗船させている船が多く

鮪船も少なくなり、臨時で乗船する事は、ほぼ無くなりましたが!

この年は、以前乗船していた「61長功丸」の漁労長から

秋刀魚漁期間中に電話で連絡があり、

秋刀魚漁が終えると私用で休む方がいるので、

代わりに鮪漁へ行く事を了承し返事していましたので

北海道からの帰宅後、すぐに準備し年末の出港に

間に合わせ、出漁しました。

約90日の予定で1航海、来期の鮭鱒漁の準備作業には

十分間に合う予定でした!

出漁後、順調に操業を重ね、操業も終盤になった頃

(3月初旬)自宅から電報がありました。

内容は「スグ、デンワヲイレルヨウ二!」 (直ぐ電話を入れるように!)

操業中に通信長へ電話の予約を依頼し

(当時はインマルサットが普及しておらず、JBOという無線電話)

その日の操業を終えて、電話すると

「北海道の船主からの電話があり、昨年のペナルティーで

鮭鱒漁に出漁できるかどうかわからないので、もし

他の船にあてがあるなら移った方がよい」

という事だったらしく、愕然としました。

函館の仲間に電報を打ち、欠員のある船を探してもらうように

お願いし、帰航を待つしかなく、操業を終えてからの

帰航中は長く感じられました。

静岡県の清水港に水揚げのために入港した際

直ぐ函館の仲間に電話すると、少し条件が悪いが

1隻、欠員がある船に声をかけているので自分の

返事次第という事でした。

当時の独航船は魅力的な漁でしたので

早速電話連絡で返事をもらい、乗船できる船を

確保することができました!函館の仲間に感謝!!!

母船式鮭鱒漁は出漁できるか、できないかの瀬戸際で

「61長功丸」はひき続き鮪漁へ出漁する予定で、

航走中に「母船式鮭鱒漁に行ける」という連絡が

入れば、反転帰港となるとの事でした。

臨時での航海を終えて帰宅後まもなく

鮭鱒漁の準備作業の連絡が入り

北海道、襟裳の近く「広尾」に向けて出発!

ここで偶然、船長が母の弟で叔父と共に乗船する事になった。

昨年「61幸福丸」で乗船した函館の仲間の弟をはじめ

函館の方々が多く、北海道からは数人という乗組員で

旅の衆の集まりでした。

函館の仲間が条件が悪いと言ったのは、

船が古く、小さい為、積荷が少ないという事でした。

同じ「広尾港」の僚船には近所の方も行っていて

その日の作業を終えると「十勝の温泉」へ行ったり

休日には「襟裳岬」まで観光に行ったり と

根室以外の道東沿岸を見る事ができました。

素晴らしい思い出が出来たのもこの「広尾」でした!