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…漁師アトムの航跡… ~ある沖乗り漁師の綴記~

「頑張れ歌津っ子」

2011年09月13日 | 私事

歌津地区の2つの小学校は震災後1校に統合となった…

訂正統合ではなく、被害が少なかった1校の空き教室を間借り中)

故郷の母校、南三陸  歌津地区の伊里前小学校六年生が

修学旅行を兼ねて映画に挑戦!

タイトルは「絆」

私の35年後輩にあたる…。

自宅が近所で幼なじみたった後輩の長男も小6である。

幼なじみだった後輩は消防士でしたが、

地震後の、避難誘導中に大津波の犠牲になった…

自宅を失った子供も多い…

子供達の心にも大きな傷痕を残した津波が憎いが

どうか頑張って成長していってほしい。

頑張れ歌津っ子!


「頑張れ 歌津丸」

2011年09月12日 | 私事
宮城、岩手、三陸沿岸、南三陸近隣地域の

ニュースや記事、コラム、

地震情報や便りなど、仕事後には

可能な限りネットで拾い、

故郷の情報をチェックしています!

そんな中、目にした マイベスト.プロのサイト

宮城県仙台市の印刷会社のコラムに

http://mbp-miyagi.com/hayashi-printing/column/

「歌津地区の青年漁師に船を~」 というのがありました。

実は宮城県漁連南三陸支所

歌津地区養殖組合長は私の友であり、

被災後、地区の養殖漁業復旧に向けて

若手を牽引し頑張っています。

全ての養殖棚、漁具、施設、船、自宅、車…

多くのものを失いながらも、瓦礫撤去作業の休日を利用し、

中古船情報を頼りに遠州灘等に足を運んだりと

奮走していました。

…微力ながら協力したく、

20年程前に同じ船で働いた秋田県の知人に連絡…

数隻の中古船があるとの事で、7月中旬、

その友達と二人で日本海へ!

なんとか3隻の船を譲り受ける事が出来るメドがつき、

日本海沿岸沿いを南下、

山形県の知人にも協力をお願いして来ました。

我が家の船も大津波に浚われ流失し、行方不明…

私が中1の時に進水し、海で働くきっかけとなった

愛着のある船でしたので無念である…

が、ほぼ年間を通じて沿岸の海で働く

養殖漁師の方々は直接の商売道具…!

船がなければ仕事にならない…。

復旧、再開にはどうしても船が必要です。

集落の浜の船数隻は、その後いろんな場所で見つかりました、

こんな所に…?

というような想像も出来ない場所に流れ着いたり、

福島の海岸まで流れて行き、

船は無事だというが引き取りに行けない…

という話も聞こえてきました…

すでに岩手の各漁協は中古船収集、確保に

敏速に行動していました!

集落内でも、早くから養殖漁業再開に向けて

いち早く行動していた方々もいたようですが

歌津地区の養殖漁業青年漁師達は、

ダメージとショックが大きかったようで

今後の養殖漁業再開には迷いがあり、

なかなか、一歩を踏み出せないでいたという事です…

今は立ち直り、再開に向けて動き始めたよう…!

昨日11日、震災から半年目の朝は、

北海道の噴火湾から譲り受けた養殖船を若手数人と廻航、

八戸沿岸航行中との連絡がありました。

この譲り受けた船は復興養殖船「歌津丸」(仮名) として

養殖漁業再開に挑む

歌津地区沿岸若手漁師達の力となって

共に歩を進めて生きます!

災害でいろんな多くの事を失った中でも

残念な事の一つに、アワビ、ウニ漁(開口)に

親しみ始めた地区の将来を担う小・中学生達が

津波のトラウマで海から離れて行ってしまう事…

…津波は残酷である…。

が 海は、海で働く者に試練も恩恵も与える!

この大津波を機会にいろんな漁業体系を見直す事

(獲り過ぎない、過剰に流通させ過ぎない などの管理) が

今後の漁師達に更なる恩恵を与えてくれるのでは…!

今、被災した故郷に思いを馳せ、考えながら働いています。

頑張れ 被災地!

頑張れ 歌津丸!

お願いします 野田日本丸!


「希望への道」

2011年09月11日 | 私事
厳しい暑さの夏も峠を越えましたが、

「水が格別に旨いと感じた夏でした」!

東日本、太平洋沿岸部の広範囲にわたって

大きな被害をもたらした

「3.11 東日本大震災」から半年…

国を越えた支援、自衛隊やボランティア団体、

日本全国の多くの方々からの支援、善意には感謝、

本当にありがたく思っております。

今なお、不自由な生活を余儀なくされている方々が
多いのですが

とりわけ被害が大きかった漁業関係、

一次産業から各市場を経ての多くの
産業関連施設等を含め、

復興に向けて少しずつ歩を進めています。

この先も自然災害は避けては通れない!

被災地の復興には災害等の有事に強い地域作りが必要であり、

私が住む、南三陸近隣地域においては、

これまでの生活道、国道45号線の代替道が必要不可欠!

元々、海に近い海抜の低い場所が多い道という事もあり、

台風や大雨による河川の氾濫や高潮で寸断される事が多く、

以前から代替え道の整備を求めてきた地域です。

地域医療も不十分で救急車両の必要性も高い!

復興への道標になるように、一日も早く
近隣地域一帯のアクセス道を完成させて、

地域産業の関連施設や居住区等、各地域復興の

「希望への道」としてほしいです…!

人生においても、何かを期に新しい道を選び、

進んで行かなければならない時があると思う。

それが今かもしれないし、

頑張ろう被災地!

頑張ろう日本!