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…漁師アトムの航跡… ~ある沖乗り漁師の綴記~

【初 うぐいす】!

2014年03月24日 | 私事

3月20日、南岸低気圧の通過で、朝から降り続いていた雨が

夕方から雪にかわり、ドカ雪となった…

せっかく融けた根雪でしたが、また冬の装い…

湿った重い雪の影響は大きく、宮城県北部沿岸地域は

倒木や断線で通行止めや停電の被害がありました…!

…3月24日、春の彼岸明けの朝、自宅裏で鶯が鳴いた…

今季初 鶯のさえずり…

庭の福寿草は昨年より少し早く咲いたが、鶯のさえずりは少し遅くなった…

それでも先人の教え 「暑さ寒さも彼岸まで」である。

午後には海に春霞み 春はもう すぐそこ。


【未来への希望】!

2014年03月14日 | 私事

つい最近、とても感動した事が二つあった…。

一つは「女川の中学生達が1000年後の命を守るため…」に頑張って

実現した「命の石碑プロジェクト」

大震災を経験した子供達はすごい、たくましい!

未来の事を思い描いて”学びを生かす” 

いかに子供達の方が目先の事に捉われず未来を見据えているか…

大人達も1000年後をもっと考えなければ…!

例えば防潮堤問題、生態系・景観など、いろんな意見がぶつかっている。

資源の生態系が変わるという意見、景観を残したいという意見

海の様子が見えなくなるという意見など いろいろありますが、

これまでも漁師の都合に沿って堤防や荷役場を整備してきましたよね…

故郷の砂浜が子供の頃、大好きだった私にとって、

荷役場より小さな砂浜を残してほしかった(私的な想いですが)

状況によって必要な物は変化する…

これも子供達の意見を聞いてみたい気がします。

もう一つは 「気仙沼にバッティングセンターを自力建設」

「気仙沼フェニックスバッティングセンター」が3月末、

宮城県気仙沼市松崎柳沢にオープンする。

東日本大震災で家族5人を失った同市の牛乳販売店経営

千葉清英さん(44)が建設を進めてきた。

バッティングセンター建設は、

家族で唯一無事だった長男瑛太君(12)との約束だ。

逆境に負けず前を向く父の思いが、いよいよ羽ばたく。

という新聞記事を読んでから…

河北新報 ONLINE NEWS  東北・宮城のニュース

高校球児・野球少年を持つ親にとっては、頭が下がる思いである…

かつては南三陸町志津川新井田地区、気仙沼の鹿折地区に

バッティングセンターはあったのですが、廃れてしまった…

きっと維持費が大変なのかと思う…

そこで、いろいろ検索してみると応援している方々がいました。

「気仙沼にバッティングセンター設立を支援する会」

「希望ののむヨーグルト応援隊」

「気仙沼にバッティングセンターの夢」(ユーチューブ)

本人にはぜひお会いしたい!

衝動にかられ、本日訪ねて行きました…!

場所探しから、アポなしでの突入でしたので

残念ながらお会いはできませんでした、しかし人伝手に連絡先を聞き

携帯電話で連絡がつき、17日にお会いする約束ができました。

何か応援できる事がきっとある筈だ!

大震災関連でいろんな心痛む話が多く、心の片隅には

なにか 微笑ましさや、ほのぼの・感動に飢えていた自身が

久しぶりに心動く出来事になった!

20140314_143949 「希望ののむヨーグルト」

この商品の売り上げはバッティングセンターの設立資金になります!

震災後の気仙沼・南三陸地域の野球好きの子供達の親にとっても

念願の施設であることは明確である。

応援していきたい!


【さんまやき】!

2014年03月14日 | まちナビ

名前は聞いていましたが、なかなか私の行動範囲では遭遇せずにいました!

「さんまやき」 本日私用で、復興マルシェ(気仙沼の鹿折地区)へ。

そこで初遭遇!

早速、行ってみました…

たいやきの(さんまバージョン・in気仙沼)移動販売車!

定番の「あん」「カスタード」に

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今日は3月14日(ホワイトディ)という事で 

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抹茶(抹茶+ホワイトチョコ)のメニューでした。

「さんまやき」に気仙沼が入っている、 漁に携わる者として親近感がありました。


【みやぎ鎮魂の日】!

2014年03月12日 | 私事

昨年3月に宮城県の条例に定められた「みやぎ鎮魂の日」

●東日本大震災の犠牲者に対する追悼の意を表し、

 記憶を風化されることなく後世に伝え、

 及び東日本大震災からの復興を誓う日として、みやぎ鎮魂の日を設ける。

 というのが趣旨…!

…あらためて、いかに大きな災害だったかを報道各社が伝えた、3年目の311…

海から帰り、現実の光景を見て驚愕し、と同時にガレキをかたずけるだけでも

相当の月日 いや 年月がかかるだろうと思った…!

漁具や船が、ありえないような場所に、いたるところに無残に…

あれから3年…

規模も広範囲すぎて、いろんな事が追い付かなくて当然かもしれない。

多くのいろんな事を、そう簡単にできる筈がないのが現実なのだ…

先日、南三陸町内の、ある中学校で最後の卒業式が行われた。

小学校を卒業する前に小学校を大津波が襲い、

本来なら入学するはずだった中学校も被災した…

間借りした学校へ入学し、そこで3年…

廃校となるため、卒業式だけが、被災した校舎で行なわれたのである…

中学校生活の3年、思春期でもあり、多感な年代を

そのような環境で過ごした学生達が切ない…

3月11日 14時46分 町内の防災無線を通してサイレンが鳴り響く中

手を合わせて 黙祷。

いろんな事が脳裏をよぎるも、うまく書けない…。


【平成26年 3月11日】!

2014年03月11日 | 私事

2014'3 11 細雪が舞う朝を迎えた…

大震災から3年…。

自然災害は世界中で起こっている…

震災後、全国の多くの方々からの支援や協力のおかげで今がある…。

最近、震災後3年というキーワードでいろんな特集を目にする機会が多いが

みんな、それぞれの想いを胸にしまいこんで日々を過ごしている。

津波は残酷だ…!

行き場のない悲しみや怒りの矛先をどこかにぶつけても

誰もが、現実にあんな大きな津波が襲うとは想像もしていなかっただろう。

ただ、以前から30年来「三陸沖大地震」の可能性は高いと云われていた…

大地震だけなら、ここまで大きな被害にはならなかったのだろうが、

未曾有の大津波が東日本の太平洋岸に押し寄せた!

信じられないような事が現実に起きたのである!

今も尚、その傷痕は色濃い…

…しかし、大地震の後に今を生きる人々が学んだ事が多いのも事実。

大地震を後世に伝えていく事も、伝え方もそう…

学んだ事は生かさなければならない!   なにごとも…

学びながら生きると書いて「学生」、学びを生かす事は大人も一緒

学びを生かしていく事は大切な事!

「学びを生かして、困難を乗り越えたその先に未来がある」

大震災を経験した学生達や若者達には被災地の将来がかかっている!

将来、その教訓を生かして活躍してほしいと切に思う。

大人達は震災後の混乱の中、

震災前のレベルまで戻したいと必死に頑張った人…

震災を機に一旦リセットして、早めに次の一歩を踏み出した人…

震災によって求められた多くの事の中、

自身の仕事が需要にマッチングした人…

みんなそれぞれ歩みは異なるが、それでも3年が経過した。

月日の流れの中、震災遺構のあり方にも賛否両論があるようです…

しかし、実際に海水に浸かった構造物の劣化は著しい…

…大震災の風化を語る声も聞こえてくる…

避難訓練の益々の徹底、義務教育課程の教科書への掲載、

試験問題への出題とか、そんなところからも風化を防いでいく工夫が必要では…

「南海トラフ大地震」の想定も目にするが、

「東日本大震災」「三陸沖大地震」が終わった訳ではない…

いつ、どこで大地震が起こるかは誰もわからない。

3年前の3月11日、

多くの方々はいつもの朝のように「行って来ます」と自宅を発ったのである。

最低限、家庭内では 「つなみてんでんこ」 を語り合っておかねば…。

2010年2月のチリ地震津波から私はリュックに備えを用意していましたが

2011年3月11日は北太平洋上で漁をしていて

結果的に大津波を逃れた、南三陸では数少ない1人…

当時の船上での自身の不安や想いは割合するが、

故郷を離れていた事などを含め、被災した方々へのコンプレックスがある。

これは今後も私の人生について回る事だろう…

自分は自分の目の前にある事を頑張って行く事が

被災した故郷の仲間達へのエール!

震災後3年 今は、ほのぼのした話や、感動に飢えている…。