明日晴れたら、、、

今日は雨だから、ゆっくり過ごそう。
明日晴れたら、、、ちょっとだけ頑張るかなぁ。

私の、ひとつの答えとして。

2008年01月20日 | 私。

いろんなことで、小さなことで・・傷ついてしまう日があります

最初はムッとして・・しばらくするとイカっとして・・それから、オロオロして・・終いには凹んで・・それから反省もしたり・・もしくは、開き直ったり・・結局・・私は私で・・ハイ、おしまい


それは、別に介護がどうのこうのではなくて・・。
私の・・ことです。

確かに今の私の生活は、母の介護と共にあるけど・・私の全てが母の介護では、ないんです。
普通の・・妻であり、母でもあり。私の時間を過ごしてる。

そこに、母の介護もあるっていうか。

介護してる私が私なんじゃなくて・・確かに考え方は少し変わったところがあるかもしれないけど・・それは元々の私があってこそだし。
案外と変わらないのが・・心根なんじゃないかなぁと、思ったりします。

その心根に、いつも置いておくことが・・優しい人でありたいとか、おもいやりを忘れないってことなんです。
歳を重ねて・・確かに頑固にもなったなぁって思うけど・・だからこそ、変わらない想いはあるんです。


だから・・障害者に対してとか・・・介護をするために必要とかではなくて。
人として、やっぱり一番に持っていたいのが、優しさで・・おもいやりだと思っています。

確かに・・身近に障害を持っている家族がいることで、自然にそれなりの・・行動に移せるようになれたことは沢山あるけど・・。
障害があるから可哀想じゃなくて・・。
本当はしたいことあるのに、出来なくなっちゃったことを悲しんでる姿が見えたり・・それを知ったときは・・私はやっぱり・・悲しいねって・・思ってしまいます。

でもそれ以上に・・それを乗り越えている人は沢山いて・・一生懸命頑張ってる人も沢山いて。
私はその人たちに、どんなに頑張る力をもらってるかわからないです。
自分と比較して・・どうのでなくて、よーし!私も頑張っちゃおう~みたいな

それは・・母に対してもそうです。

死にたい・・って、気持ち・・やっぱり今もあって。一緒になって悲しんでしまいます。
本当は、家族のために・・あれもしたい、これもしたいって・・嘆く母を見ると、やっぱり辛い。

でも・・私や孫や・・父のために生きて頑張らなきゃって・・痛いリハビリにも頑張ってる母は、もちろん可哀想だなんて思わない。
誰よりも・・応援してるし、当たり前に喧嘩もすれば・・ムカつきもするし。
母が頑張ってると・・私も~って・・思います。

母が頑張れないとき・・そん時は・・私もなんだか・・力が出ないというか・・。

結局・・同じなんです。母と。

介護をしてようが・・してまいが・・私は私なんだもの。
母の娘であり・・母はやっぱり親ですから。

このブログも、確かに介護ブログではあるけれど、まんまの私の想いを書いてるんです。
介護に関してだけの想いじゃなくて・・・生きてるうえでの、私としてのです。

介護してるから・・とかではなく・・
両親が障害者だから・・とかではなく。

ただ・・自分自身が・・おもいやりのある・・人の気持ちを考えられる人でありたいと思うだけです。
それは、娘達にもいつも言っています。
上手く伝わっているかは・・まだ、わかりませんがぁ。

それは・・私の信条とでも言いましょうか・・ことさら、ここに書くまでもないんだけど・・。
ホントにね、介護をしてるからとか・・じゃないんです(くどいですが)

だから・・私はやっぱり、優しい人でありたいし・・おもいやりのある人になりたいと思っています。

これに関しては「頑張ってるジャン!」とか「大丈夫だよ!!」って・・言ってくれるのが嬉しいのとチョッと違って・・誰かに「優しい人だね」って・・言ってもらいたいと思っているわけでは決してありません。(本当です!!)

きっと・・ほとんどの人がそうですよね。
優しい~って言われると・・照れちゃうものかもしれないですね。
なんでだろ・・、私も言われると・・照れますよ。
ポリポリ・・頭をかいちゃいます。

なにげなーい・・優しさが、うれしかったりするものですね。
その人にしか・・出来ない優しさや・・見えないおもいやり・・って、触れると暖かくて・・心地良いでしょ。
まして、優しさをくれた本人が、優しくしてるつもりもなく・・キョトンとした顔してたりしてると・・おもいっきり、ありがとうって・・うれしぃ~って・・言いたくなっちゃう。

だから時々・・相手の方を、ものすごく恥ずかしがらせてしまいます。
ホントに・・ごめんなさい~。
でも・・やっぱり・・嬉しいんだものしょうがないです。

最近、家族以外の人と、接する機会がない私は・・とっても飢えているのかもしれまへん。
そういう意味で・・私はとっても可哀想かもです。
障害者の両親がいることは・・全然、可哀想じゃないんですけどね。
時間をうまく使えないことは・・・これは、単に私が不器用だからかもしれないですが・・思わず愚痴も、ブータレも出てしまいます。
そん時は・・どうか私を慰めにきてくだされ~。


それに・・いつもいつも・・優しくなってなってらんないのも私です。
理不尽に怒ったり・・イライラしたり・・ムカついたり・・。ホント・・忙しいです。

本当は優しさで掛けてもらった言葉ですら・・・わからなかったりしてます。

いわゆる「この子には、これくらい言わなきゃわかんないのよ!」ってやつの「この子」が私で~す。

だからこそ・・どんな形であれ、それが冷たい石のような言葉でも、いつか優しさに変わる事だってないわけでないことも知ってます(私が、気が付くのが遅いってことです)・・わかってなさそうだったら・・すぐに・・教えてください。まだ、私はそこまで頑固じゃないです。
一応・・いつでも聞く耳と心はあるつもりでいます。

とりあえず・・そういうことです(わかるかなぁ~・・・



 

と・・いうことで(どういうことだ?)以前の記事の、今年の自分なりの答え、みつけました。


母に対して・・の、優しさっていうのも変だけど・・。
もっと身近な人に対しても・・おもいやらなきゃ~なぁ。

なにげない優しさ・・これって、やっぱり案外・・私にはできてないんですねぇ。
でないと・・最近の大波小波の母は、本当に益々血圧が高くなってしまうだけのようで・・・す。

つまり・・母が混乱して、わけのわからないことや・・明らかに違うってことを言ってるとき、なんとかわかってもらおうとムキになるのはやめることにしました。

それは・・今回、母のショート中にあった担当者会議の時に、来てくださった施設(ディ、ショート、通所リハ)の皆様に、教えて頂いたことでもあります。

母の「高次脳機能障害」の・・・場所、時間、人・・の、認識が出来ないとき、それを無理やり治そう、覚えさせようとするのは、やはり母を混乱させてしまうだけだってこと・・一年かかってわかりました。

脳は学習するから・・違うことを正すのは、悪いことではないし・・家族にしか出来ないこと(母を怒らせても・・違うって言えちゃうからです)かもしれないって医師に言われたので・・私はかなりムキになって否定してました。
一生懸命に繰り返して・・なんとかわかってもらおうと必死なこの一年でした。
誰がなんて言おうと・・本当のことだけ、繰り返してました。

でも・・気が付けば・・血圧を上げて・・怒らせて・・頭痛を呼んでただけだったかもです。

案外、クリアな時にはいろいろわかってることもあるんだから・・。
それを、認め切れないのが・・母だったり、私だったりでした。

混乱してるときは、否定も肯定もしないで話を聞いてあげるなり、別の話に替えちゃうなりしていた介護士さんと一緒にいる時のほうが・・穏やかになってるときもあるって・・わかりました。

「そういえば・・わかってきてるみたいだなぁってこと・・沢山ありますよ」
「いつのまに・・出来るようになったんだなぁってこと・・沢山ありますよ」そう言ってもらいました。

家族は・・とにかく必死過ぎて(我が家の気質とでも言いましょうか・・)ちょっと余裕無さ過ぎでした。


それがわかった担当者会議でした。

詳しい話は、また後日書いておかなきゃナァ。
 

これからは・・もう少し・・心も頭も柔らかく・・気楽に過ごせたらって・・思います。
次回のブログは、今まで通りに・・あったこと書かなきゃ。

早く書かないと~忘れちゃう~よぉ

 

あ!!そうか・・これだったんだねぇ。気楽に・・って(気が付くのが・・遅い私でしたぁ) なるほどぉ。

 

      支離滅裂な本日の日記となりましたぁ・・・あ~あ、これで何が伝わるかなぁ・・・