口では吐き出せない気持ちを、ブログに書いて明日も又頑張ろうと・・かなり本音を書いています。コメントくださる方たちには、いつも「内側の私」でお返ししています。
ここにいる私は「私の内側の私」です。
一人娘でなかったら、兄弟姉妹で時間を融通し合えて・・母の闘病生活を支える力が何倍にもなったのではないか・・。(本音をぶつけられる相手が欲しい、・・ってことです。)
そうすれば、もう少しまわりの人(父や旦那や娘達)にも優しくなって、自分の気持ち(未来)に余裕をもてるのではないかとか・・。
【一人娘なの・・どうしよう・・。】
まず・・一番最初の有得ない現実逃避から、私のブログは始まっています。
「一人娘。」であること。
これは、父か母に隠し子でもいない限り(確認したら、いないそうです^^)どうする事も出来ない現実。
相談できる人もいない、泣き言を言える人もいない・・と言うか・・言いたくない。私の弱い部分をさらける場所が今回はどこにもみつけられなかったのです。(親戚や友達、私の家族には・・何故か今回、強気な私なのでした)
泣き言を言っている場合ではないと、本当に一人で、現実に立ち向かおうと頑張ってきました。
私まで泣き言を言ってしまったら、誰がこの先のことを考えるんだろう・・。
毎日病院に行って、とにかく側にいて看護士さんやヘルパーさんに目を光らせ・・。まるで、見張りみたいな私でした。
時には、研修医もどきの医師の無礼さをソーシャルワーカーさんや婦長さんにぶちまけたり・・。看護士さんやヘルパーさんを追い掛け回して、遠まわしに母のことをお願いしたり・・忙しかったなぁ・・。
「私の外側の私」の部分では、それなり強気でいるつもりです。
現状に憤り、前を向けない親戚や父。
何度も何度も「医師の味方・・」だと言われたことか・・。味方って何?
私だって同じなのに・・。本当は、立ち止まって動かずに・・閉じこもって泣いていたい。リスクのことなんか知らない!だって、3パーセントだし、こんな重篤になるなんて、言ってなかったもん!
大体、病院へ行って速攻入院。
動脈瘤をなんとかしなきゃ・・死んじゃうよ。
何を選んだというのだろう・・何を決めたというのだろう・・。
「責任」て・・何?どこにあるの・・そんなもの。
死んじゃうなんて嫌!ぜったい嫌!!もしもの時は、私がいるから大丈夫!
私はそう言ったから・・母に約束したから。
泣くだけ泣いたら、サッパリして・・立ち上がるから待ってて!!
本当は、私の外側だって、そんな気持ちも沢山でした。
でも、そんな時間はないのです。中途半場に立ち上がるしか、やれることを探すしか・・。
結局いつも、泣いてる場合じゃない!!これからのことを少しでも考えていかないでどうするんだ!
そうやって過ごした半年でした。
それが出来たのも・・最初に一人娘であることからの現実逃避をしてしまった・・脳梗塞交流掲示板での、コメントからでした。
あの時に、すぐにレスくださった方たちの励ましや暖かい言葉・・それがあったからだと今でも思っています。
その中の一人が・・ゼリーさんでした。
情けないけれど、立ち上がるきっかけは、いつも、私の場合、強さではなく・・暖かさや優しさだったのです。
ゼリーさんの優しさは、強さだと思います。とても暖かい言葉頂きましたよね。
大変な時期を、通り過ぎてきた人たちの暖かい言葉は、何より「真実」だと思うのです。
でもこれからのことは・・自分でひとつづつ通り過ぎないと・・やっぱりわからないことなのです。
内側の私は、泣いてばかりいるのだから。泣きながら、コメント読んで頑張る力に変え・・外側の私のパワーにしているのだから。
「いつか・・きっとそう思えるよ・・この時期私もそうだったよ」って。
私にはそれが・・一番の「真実」
あーあの時こう言ってくれたのは、このことだったんだな・・。
だから、どんな言葉も・・内側の私は真剣に聞いています。
後になってしか、気が付けないことも沢山かもしれませんが・・。
その言葉でその時々の「今」を乗り越えてきたから。
これから始まる介護生活。
私のまわりには、「大丈夫」なんていってくれる人は誰もいません。
どの人も、この人も・・「大変だよ・・」「これからが正念場」
「だから・・今のうちに休める時は休みなさい・・。」
それしか・・言ってくれません。
なのでブログを始めたのです。
介護が始まって、外側の私も疲れたら、・・ココにきて・・内側の私と一緒に「大丈夫」を探しましょう。
外側の私も私。あまりもう登場させたくないですけど。
介護する側・・される側・・両方の気持ちに少しでもなれるように・・やっぱり、ブログは続けていこうと思います。
口先で頑張っている外側の私共々・・いつだって本音でさらけている私ですが、
よかったら・・コメント沢山ください。
長い文章を最後まで読んでくださった方たち。本当にありがとうございました。
追記。
半年で・・確かに、母の状態は回復してきました・・。
確かに・・頭蓋骨を外し・・沢山の山を乗り越えて。蘇ってきたのです。
何度も、自分のお葬式の話をした母。
黄泉の国の川のほとりで、母は実母、父・・そして亡くなってしまった息子に会ったと言っていました。
そして度々・・現実に戻り、お葬式をあげ・・。
いつか母が完全に蘇った時「生まれ変っておめでとう!」と言えるか・・二人で昔話をしながら、今度は抱き合って泣くかは・・母と相談して決めたいと思います。
母のこれからの人生・・ぜったいに笑って過ごして欲しいから。
ここにいる私は「私の内側の私」です。
一人娘でなかったら、兄弟姉妹で時間を融通し合えて・・母の闘病生活を支える力が何倍にもなったのではないか・・。(本音をぶつけられる相手が欲しい、・・ってことです。)
そうすれば、もう少しまわりの人(父や旦那や娘達)にも優しくなって、自分の気持ち(未来)に余裕をもてるのではないかとか・・。
【一人娘なの・・どうしよう・・。】
まず・・一番最初の有得ない現実逃避から、私のブログは始まっています。
「一人娘。」であること。
これは、父か母に隠し子でもいない限り(確認したら、いないそうです^^)どうする事も出来ない現実。
相談できる人もいない、泣き言を言える人もいない・・と言うか・・言いたくない。私の弱い部分をさらける場所が今回はどこにもみつけられなかったのです。(親戚や友達、私の家族には・・何故か今回、強気な私なのでした)
泣き言を言っている場合ではないと、本当に一人で、現実に立ち向かおうと頑張ってきました。
私まで泣き言を言ってしまったら、誰がこの先のことを考えるんだろう・・。
毎日病院に行って、とにかく側にいて看護士さんやヘルパーさんに目を光らせ・・。まるで、見張りみたいな私でした。
時には、研修医もどきの医師の無礼さをソーシャルワーカーさんや婦長さんにぶちまけたり・・。看護士さんやヘルパーさんを追い掛け回して、遠まわしに母のことをお願いしたり・・忙しかったなぁ・・。
「私の外側の私」の部分では、それなり強気でいるつもりです。
現状に憤り、前を向けない親戚や父。
何度も何度も「医師の味方・・」だと言われたことか・・。味方って何?
私だって同じなのに・・。本当は、立ち止まって動かずに・・閉じこもって泣いていたい。リスクのことなんか知らない!だって、3パーセントだし、こんな重篤になるなんて、言ってなかったもん!
大体、病院へ行って速攻入院。
動脈瘤をなんとかしなきゃ・・死んじゃうよ。
何を選んだというのだろう・・何を決めたというのだろう・・。
「責任」て・・何?どこにあるの・・そんなもの。
死んじゃうなんて嫌!ぜったい嫌!!もしもの時は、私がいるから大丈夫!
私はそう言ったから・・母に約束したから。
泣くだけ泣いたら、サッパリして・・立ち上がるから待ってて!!
本当は、私の外側だって、そんな気持ちも沢山でした。
でも、そんな時間はないのです。中途半場に立ち上がるしか、やれることを探すしか・・。
結局いつも、泣いてる場合じゃない!!これからのことを少しでも考えていかないでどうするんだ!
そうやって過ごした半年でした。
それが出来たのも・・最初に一人娘であることからの現実逃避をしてしまった・・脳梗塞交流掲示板での、コメントからでした。
あの時に、すぐにレスくださった方たちの励ましや暖かい言葉・・それがあったからだと今でも思っています。
その中の一人が・・ゼリーさんでした。
情けないけれど、立ち上がるきっかけは、いつも、私の場合、強さではなく・・暖かさや優しさだったのです。
ゼリーさんの優しさは、強さだと思います。とても暖かい言葉頂きましたよね。
大変な時期を、通り過ぎてきた人たちの暖かい言葉は、何より「真実」だと思うのです。
でもこれからのことは・・自分でひとつづつ通り過ぎないと・・やっぱりわからないことなのです。
内側の私は、泣いてばかりいるのだから。泣きながら、コメント読んで頑張る力に変え・・外側の私のパワーにしているのだから。
「いつか・・きっとそう思えるよ・・この時期私もそうだったよ」って。
私にはそれが・・一番の「真実」
あーあの時こう言ってくれたのは、このことだったんだな・・。
だから、どんな言葉も・・内側の私は真剣に聞いています。
後になってしか、気が付けないことも沢山かもしれませんが・・。
その言葉でその時々の「今」を乗り越えてきたから。
これから始まる介護生活。
私のまわりには、「大丈夫」なんていってくれる人は誰もいません。
どの人も、この人も・・「大変だよ・・」「これからが正念場」
「だから・・今のうちに休める時は休みなさい・・。」
それしか・・言ってくれません。
なのでブログを始めたのです。
介護が始まって、外側の私も疲れたら、・・ココにきて・・内側の私と一緒に「大丈夫」を探しましょう。
外側の私も私。あまりもう登場させたくないですけど。
介護する側・・される側・・両方の気持ちに少しでもなれるように・・やっぱり、ブログは続けていこうと思います。
口先で頑張っている外側の私共々・・いつだって本音でさらけている私ですが、
よかったら・・コメント沢山ください。
長い文章を最後まで読んでくださった方たち。本当にありがとうございました。
追記。
半年で・・確かに、母の状態は回復してきました・・。
確かに・・頭蓋骨を外し・・沢山の山を乗り越えて。蘇ってきたのです。
何度も、自分のお葬式の話をした母。
黄泉の国の川のほとりで、母は実母、父・・そして亡くなってしまった息子に会ったと言っていました。
そして度々・・現実に戻り、お葬式をあげ・・。
いつか母が完全に蘇った時「生まれ変っておめでとう!」と言えるか・・二人で昔話をしながら、今度は抱き合って泣くかは・・母と相談して決めたいと思います。
母のこれからの人生・・ぜったいに笑って過ごして欲しいから。