このLansing『287』ほど数奇な運命をたどった製品はない・・・・・、
(横須賀の極道様のHPより)
ALTEC-288を語るのに外せないのが
その原器 Lansing287・285や、オリジナルの-284であろう
コンプレッションドライバーの名器 288は
288、288B、288C、・・・・288G、288H、288K・・と続いた
歴史ある高域コンプレッションドライバーシリーズ
288はアルニコVマグネット方式だが、これは「WEの血を」引いている
その前進は、ALTEC・LANSING-287で励磁型ドライバー
これもWEの恩恵を受けているが、ランシングの怨念を感じる
さらにその前身285は執念を感じ、284では無念を・・・
288の元となったLansing284、その起源を更に探ると・・・・・・、
スピーカーの始まり事はやはりフレッチャーシステムにあったようだ
1933年4月にウェスタンが行った、フィラデルフィア~ワシントンD.C.600マイルの間を
三本のマイクと、三本のスピーカーで
立体音響伝送実験を行った際に使われたツーウエイ・スピーカーシステム
それがフレッチャーシステム
この実験は今で言えばNASAの実験なみの
国家規模で行われた壮大な音響実験だったそうだ
今でいう実況LIVE中継、その実験用に作られた最高の音質を誇ったスピーカーシステムが
フレッチャーシステムだ
低域にはジュラルミン製の巨大な振動板に、11フィートのホーンを装着したもの
高域に使われた3フィートのマルチセルホーンに取り付けられたドライバーが
のちのWE594で、これが高域用コンプレッションドライバーの始まりの様だ
それ以前のドライバーは555Wフルレンジスピーカー
ドームの湾曲の使い方は逆だが、コンプレッションの方法はほぼ同じ方式
フルレンジの555Wと大きく異なるのは
低域を出す必要がないためか、ダイヤフラムが大きいためか分からないが
振幅の少ない高域特性の良い「ロールエッジ」が使われ、
フェイズプラグも555の一体型の物から、より細かよりく精度の高いものに変わっている
それまでのフルレンジのドライバー555Wは
低域まで音を出す必要のあるフルレンジドライバーのため、
振幅の取れるタンジェンシャルリングエッジ形状(WEの特許)であった
設計が高域ユニットである594では低域を必要とせずロールエッジが採用され他のだと思う
話は1930年代に戻って
当時3,000~5,000席もの大映画館を多数所有していたMGM社という会社が
このフレッチャーシステムの高性能ぶりを聞聞きつけ
このシステムを自分たちの映画館で使おうと、すぐに大量のオーダーを出したのだが
しかし、WE社からの返事は期待に反するものであったらしい
(注※、前回も書きましたが、WEではこのフレッチャーシステムはエコーが掛かるため、商品化されず実験用だけにとどまったとのこと、記録によるとフレッチャーシステムの音質は素晴らしかったらしいですが、低域ホーン長11フィート、高域ホーン3フィート、8フィートのズレ、インチに直すと92インチの音源のずれが位相を乱し、タップダンスのタップ音が二重に聞こえるほどひどかったそうです)
これ以降のWEシステムはタイムアライメントを最小限にすることを定義しています
WEの気のない返事に業を煮やしたMGM社は、
その実験用システムのコンセプトを基に
自ら新しいシアターサウンド・システムを創ることを決意したのである。
(※想像ですが、気のない返事の原因は、王者WEはフレッチャーの音質は素晴らしいが、位相の問題でスピーカーシステムとしては失敗で使い物にならなかった事を、恥と考え公表せずにいたためだと推測)
1935年、ダグラス・シャーラーDouglas Shearer(MGM映画会社の音響責任者)が、
中心となり、かの有名な「シャーラー・ホーン・システム」が完成したのだが
この「シャーラー・ホーン・システム」のスピーカーユニット製造を担当したのが、
ランシング率いる(James B.Lansing)
ランシング・マニュファクチャリング社であった
このシャラ―ホーンシステムの高域に使われたのが、J.B.ランシング初のコンプレッション・ドライヴァー
『284』(フィールドコイル型)なのである。
※284ユニットの基本的な発想は『594-A』を踏襲するものだと言われていて
技術的な理由だとは言われているが594-Aの4インチ(10.16cm)径ヴォイスコイルを採用できず
2.84インチ(7.2cm)径にとどめられたとあるが、(注、当然これが284の名前の由来です)
私はこの大きさののヴォイスコイルがランシングの好みでもあったのだと思う、
後に再度自らの名前を冠した会社JBL社を立ち上げ
家庭用ではあるが、ランシング理想のドライバーを作ったときは、
さらに小さな1.75インチの175DLHだった事からも想像できる
注、その後JBL社で作られた4インチの375はランシングの作ではない
Lanshing284で当初採用したイコライザーは
リング状の円形イコライザー(フェイズプラグ)だったようだが
このリング状のフェイズプラグイコライザーは、
ライバルWEの特許で、594でも使われていたために
ウェスタンからの強烈なクレームで、284のフェーズプラグの設計変更を余儀なくされ
結局WEのクレームで、エッジをロールに変更し
フェイズプラグをラジアル(放射状)型とした
『285』にリプレイスされたらしいです
※注、もう一つの資料ではこの284を共同開発したブラックバーン氏が
特許調査を行い類似の技術論文を見つけ特許問題をすり抜けた
284E型もあったとのこと
※※
ここでちょっと疑問なんだが、
284の作られる前年に作られた、フレッチャーシステムの594ドライバーは
当時のWEは販売を行っていないようだ
MGM社やランシングがフレッチャーシステム超えるものを作ろうとしても
WEのそのスペックはベールに包まれていた、トップクラスの企業秘密だったと思う
ランシングが効率のいい圧縮が行える、リング状の「円形フェイズプラグ」を考えたのも
動きのいい「タンジェンシャル・エッジ」を考えたのも
WE社と同じ技術の進歩で、偶然なのか
それとも誰かスパイがいて、
「ほらこれがWE594だよと、ランシングの前に出したのか」
・・・・・・・・、
う~ん
妄想が働きます・・・・・、
が、
その答えは簡単な事でした
先日のスピーカー100年の歴史の本にちゃんと書いてありました
ランシングは下済時代に、WEスピーカーの修理の下請けを行なっていたんだそうです
そこでWE555wのメンテナンスも行なっていて、
WEのスピーカーについてはその構造も熟知していたとのことです
だが構造を知っていても、下請けのランシングの名前で製品を作るとなれば話は別
WEとベル研の特許の壁にランシングは苦慮したのだと思います
が、
結局284E、もしくは285を高域に使い、低域には後の515の元祖15Xsを使った
シャラホーンシステムで
1936年のアカデミー映画芸術科学技術賞を取っている
当時の絶対王者WEに、一泡吹かせたのだ
※注、ここで重要なのがランシングがMGM社の依頼で作ったシャラホーンシステムと
WE社は完全にライバル関係にあることです、
シャラ―ホーンがアカデミー賞を取った翌年に
怒りに燃えたWEは王者奪還を目指し、
最強兵器ミラフォニックサウンドシステムを投入したのです
その、鏡のように音を写し出す「ミラフォニックサウンドシステム」の音は伝説となっていきます
話が戻りますが
当時WEが売ってくれないから、MGM社がシャラホーンを作ったのです
これは
※また脱線します
どこかの耕運機メーカーの社長が、素晴らしいい馬の車が欲しくて買いに行ったら、
田舎者には売らないよ~~、と玄関払いされ
腹が立って、くそったれ~めと、それならば「馬」に対抗して
馬より早いクルマ「牛」を作ったのは有名な話ですが、
これに近いのかな?
話が飛び飛びですみません
284のエッジは当初は、タンジェンシャル・エッジを採用と書いてある資料もありますが、
このタンジェンシャルエッジも当時、ウェスタンの特許であり
結局使う事ができず、
実際の284は上記写真にもあるようにロール・エッジで作られたようである。
※脱線
ランシングがこの2インチクラスの高域用ダイアフラムにはタンジェンシャルが適していると確信があったっのだと思います、
伸びやかで低域とのつながりもよく聴きやすい音質面にも惚れ込んでいたことは、
先程も書きましたが後に自らの名を冠したJBL社を立ち上げた際に
最初に作った作品175DLHのエッジもタンジェンシャルでしたが
が、
WE社の特許、自分がALTECランシング社に残した特許にも阻まれ
様々な壁に阻まれたが、苦悩の末タンジェンシャルエッジの向きを逆にする、まさに逆転技を使ってまでも使っていることからも、ランシングがこのエッジに拘っていたと想像できる
※注※もちろん私の勝手な思い込みですが
話は昔に戻って
つまり何が言いたいかというと、この時点でランシングの理想のドライバー284は
594-Aと同様のリング状の円形イコライザー(フェイズプラグ)と
勿論響きのいい金属製のフェイズプラグで
タンジェンシャルエッジのボイスコイルを使いたかったのだが
その両方共に、強烈なライバルWE社がその特許を持っており
ランシングは理想のフェイズプラグと理想のボイスコイルが使えづ
妥協して作ったものと、勝手に想像している
そんなランシングのジレンマが、なんと一転したのである
ミラフォニックサウンドシステムで一人勝ちの王者ウェスタンは1937年
集中排除法の適用によりE.R.P.I.のシアター部門を売却することになってしまった
WEを引き継いだのは
E.R.P.I.の主要メンバーだった、キャリントン氏(George Carrington)ら役員によって
オール・テクニカル・サービス(ALL Technical Service Company)を立ち上げられ
ALTEC社として従来のウェスタンのシステムの保守・管理を行う業務を開始するのだが
1941年、altec社は保守だけに飽きたらず、
音響システムを「新規開発販売する野望」を抱いたが
もはやWEやベル研の協力は得られなかったため
新機種を開発するには新たな技術者の獲得が必要であった
ちょうどその時、技術力はあるのに、販売側の不運で業績が悪化して
倒産寸前の、身売りせざるを得ない状態に陥っていた、ある会社を買収し
技術開発を行ったのだが
その会社がなんと
「ランシング・マニュファクチャリング社」
そう、ジェームスBランシング氏が社長を務める会社であった
そのランシング社を会社設備ごと従業員(23人)も全て買収し
JBランシングを技術担当副社長として(5年契約)
開発技術者としてJKヒリアードを迎えて
1941年、アルテック・ランシング(Altec Lansing Corporation)社が誕生したのです
これは実はランシングにとってとんでもないことだったのです、
かつてMGMの依頼で「シャラホーンシステム」を制作するときは
ランシングの理想のコンプレッションドライバーはWEとベル研の特許の厚い壁に阻まれ、
取り敢えずのフェイズプラグと
取り敢えずのロールエッジ284ドライバーを作るしかなったのが
この吸収合併で、いきなりその特許が全てランシングの物になった
(注、5年の契約期間中だけ)
ついでにフェージングプラグも、同軸ツーウエイもエッジワイズ巻きボイスコイルも
マルチセクトラルクホーンも
喉から手が出るほど欲しかった権利も研究成果も
ぜ~んぶ、手に入れたランシングは
ふざけんじゃねーぞ~、と叫び
(注、私の想像です)
それまでの自らの理論と技術を注ぎ込み
直ぐに理想のコンプレッションドライバーを作ったのではないでしょうか
それがランシング理想のコンプレッションドライバー、の第一段
287だったのではないでしょうか
・・・・・、
ランシングは
さあ、これから最高の特許技術と自らの理論で、
WE594Aをも凌ぐ最高の音質のコンプレッションドライバーを作るぞ!
と、意気揚々とJKヒリアードと共に開発を始めようとしたが
しかし悲しいかな
開発技術者のヒリアードと制作技術者のランシングは、単なるいちエンジニア
既に経営者でも最高責任者でもない
新しい会社の経営方針には逆らえない
キャリントン社長の声
「もっと簡単な装置で、いっぱい作れて、いっぱい売れる製品を作れ~」
常に新しい技術と利益を求める会社の方針に、
倒産寸前の状態の会社を買い取ってもらったランシングは、
新しい会社の方針に答えなければならなかった
最高の音質を求めるのではなく
利益を出す製品を作ること、そんな会社の要求に
結果を出すしかなかったのです
※もちろん私の妄想ですが
悲しい事ですが
就任の翌年、二人は技術的にも大きな変革を起こしてしまったのです
会社の膨大な利益を生む「新素材を手にし」新たな計画を立てたのだと思います
これに優秀な二人が答え、想像を超える結果を出したことで
悲しいことにある優れた音響技術文化の、
「終焉を迎える」事になってしまったのです
「励磁の消滅」
キャリントン社長が持ち込んだのは、戦争の軍事産業の副産物で入手が可能になった
超強力で磁力が永久に続くとんでもない磁石「アルニコ5型マグネット」
売れる、メンテナンスの要らない
利益の出る製品を作る、そんな結果をもめられていた二人はやむを得ず
1942年に
自ら作り上げた理想の励磁型、287ドライバーのコイルを取り出し
そこにアルニコVマグネットを装着し
287では製造が間に合わなかったのか、何故か使わなかった
WEの特許であった、低い周波数での歪を最小限に抑え
ランシング理想のタンジェンシャルエッジをここでやっと採用し
288型ドライバーとして発表することになった
電磁石と違い磁力の切れないマグネット方式になって
裏蓋の開閉が困難になり、故障時に簡単に振動板が交換できるようにと
要の振動板を押さえる響きのいい金属リングを、
ぺっかぺかのベークライトリングに接着固定して
簡単に誰にでも交換出るように変更することになった
残念な事だが
ランシングは最高の音質を得るための技術が使えるようになったが
その場は、
ベル研やWEのように、良い音ために惜しみなく技術を投入する
エンジニアの楽園の場所ではなく
五年の刑期の間(契約期間)に売り上げを伸ばさなければならない、
そこは質より、量を求められた厳しい民間のマーケット競争の場
ゴーンならぬ、キャリントン支配の利益追及の場
多少音が悪くなろうが、ざらつこうが仕方ない、
コイルを巻く手間も、
電源も要らない画期的スピーカー
メンテナンスも簡単で誰でも使える方式を採用するしかない状況だったのだと思われます
そして同時に
これも自ら開発した理想の励磁ウーハ15Xsを改良した、名機415型ウーハーも改良され
WEの特許、3インチ径のワイズエッジ巻きヴォイスコイルを採用し
515型ウーハーも誕生してしまった
もちろん515ウーハーも、簡単に振動板が交換できるように、
デッドチューニングが各所になされた
その後、映画の発展とと共に、音響技術も進歩?し
特に電源の要らないスピーカーは重宝された
製造もメンテナンスも簡単に
しかも励磁型は発熱を伴いBOXに入れられないことが多かったが
発熱の心配のない画期的なスピーカー515を、
位相反転型(バスレフ)エンクロジャーに入れ
低域の特性改善が可能・・・、
また折り曲げホーンではクロス付近でディップが生じる分解能が悪くなる
等々の理由を付けて
安くて、簡単、手間いらず、故障してもすぐ直せるシリーズとして
ヴォイス・オブ・ザ・シアタ-=Vottシリーズが完成する
その絶頂を迎えたランシングは、
5年の刑期(契約期間)を終え自由の身となるのだが
自由の身となってから、WEやベル研の特許と共に
今度はアルテックランシング社での功績も大きな壁となり
鉄壁の映画音響技術の壁の外に、一人で放り出されたことを知る
まあ彼の本当の凄さはこれからのなのだが・・・・・、
話はランシングでは無く、288シリーズの話なので288に話を戻します
これも当然私の勝手な推理ですが、
ランシング自身もフィールド型の音の良さは分かっていながら
エンジニアとして技術の革新を行わなければならない使命感を持っていたし
民間企業のアルテックランシング社ではかなりの利益を持てめられていたのだと思う
時代の中でアルニコの使用は仕方ない事だと思う
だが、やはりランシングの理想のコンプレッションドライバーは
切れが良くて透き通ったリアルな音質、それは
フィールドコイルで
高域特性の良い、歪が少ない2.84インチ振動板で
低域とのつながりが良く、低い周波数での歪を最小限に抑えられ、音質も柔らかい
タンジェンシャルエッジを使った振動板で
磁力が切れるので、がっちり振動板を抑え響きのい
金属製のダイヤフラムリングで
音を濁さず、響きのいい、理想的なコンプレッションが行える
真鍮製リング状の円形フェイズプラグを使った
Lansing 287T
✳︎「T」はタンジェンシャルエッジのTです
それがランシングの理想のドライバーだと思いませんか
あら?
何故か我がユニットと同じではないか
注、妄想ですからね( ◠‿◠ )
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