カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1278 『生きる技』

2014年11月14日 | 日記








 11月14日








ときたま下駄箱も覗かんといかんね。あれっ?これリーガルやんかって取り出してみたら、まだ、傷んでないのがあるがな。

靴紐がボロボロになってる。記憶を辿っても頼りないけど、一応、思い起そうと努力してる。

靴紐が傷んだのと、試しに購入したケンフォードを履き出したことから、そのまま忘れていたんだね。






で、ケンフォードが仕事にはうってつけって感じて、次もケンフォードを買い足してる間に忘れてしまったということか。なるほどね。

踵も減ってないし型崩れもしてないし靴の中も綺麗。一丁、儲けたね。靴磨きクリーム塗って拭き上げると、おお、まだまだ現役だね。

なんか、得した感じだよ。他にも、ウォーキングシューズが綺麗なままにある。こいで二丁儲けたよ。






履いてみるとしっくりとくるね。これは、必要がなくて存在を忘れてしまってたんだね。これも、綺麗に手入れしたら、まだ新品だよ。

靴は、なんか恵まれてんね。スラックスも誂え揃ってきたし、えらい優雅だね。「上着は?」 そうだね、今度は上着だね。

ロバート・デ・ニーロ調の奴だね。「思い違いだったんだろ?」 映画の中に見当たらなかったけど印刷されたみたいに退かないよ。






まあ、ぼちぼちと揃えていこうかい。皆さん、待っててね。「誰が、待つかっ」 くだらない、どうでもいい話でごめんなさい。



















今日は寒かったね。冬装束に身を固めてる人が居るね。寒いって云っても13~4度だよ。真冬が来たら、何を着るんだろうかね? 

これから、このぐらいの気温が続くらしいけど、ピリッとして気持ちいいんじゃないかね。

道路に落ち葉が目立ってきたよ。コロコロ風に飛ばされて、あちこちでヒラヒラしてるけど、何故か行き着くところが決まってる感じだね。






掃き寄せられたように溜まってるよ、掃除し易くしてんかね? ええ心がけやねえ。

リニアカーの試乗会なんてやってる。先端技術の高速列車、沢山の人が乗って感動してる。いつの時代でもあるんだね。我先に味わって悦に入ってる。

そんなニュースを見たり聞いたり読んだりしてきただけだね。そんなの、もう、廃(すた)れた頃に乗って感動してる人も居る。オレだね。






寒がりの奥さんが、櫓炬燵(やぐらごたつ)を買い換えて新品の奴を、もう出してるよ。前のデザインのほうが良かったんじゃないの?

「あんたには解らん」 なんでもいいけどね。食事時に炬燵に入って頂くんだけど、ご馳走さまして、ぼ~としてたら睡魔が襲って来るよ。

まだ、早いがなと思いつつも、入ったら入ったで気持ちいいから出られへんやないかえ。なにくそって勢いつけてパソコンの前に着く。






余計に寒く感じるやないかえ。腰掛けの足元冷え冷えして足を摩り摩りせんことにはおれんがな。無けりゃ無いで平気なのに罪やねえ。






なにを書いても後が続かんと云うことは、相当の重傷やね。あちこち風に転んで掃き寄せられた枯葉と同じく、全然、転ばんね。

木々には、まだまだ葉っぱがわんさか残ってる。こいつ等がヒラリハラリと落ちて舞い転ぶのを待つように、オレも、暫し、待たねばならんみたい。

映画を観て感性刺激してでも書きたいけれど、正直、疲れてるみたい。もう、どうでもいいやって気が転んでる。「あかんやないか」





















彼女が来たよ。彼女の力を借りて仕上げよう。「休講だから帰って来た」って云うから、「休校って、其れはラッキーだったね」なんて応えたら、

「講義が休みってこと」 ああ、そう。 見えているのに見えない8年越しの透明人間って感じの娘(こ)が睨んでるよ。

「なんで、透明人間なんだよ?」 正体不明だからさ。「8年越しの付き合いで正体不明なの?」 本ものの技は、技とらしくないんだよ。






彼女は、オレに似て正体不明だね。オレも彼女も、自分では、それに気付いてないのかも知れないよ。

何処が好きかと聞かれたら 「誰も聞いてない」 仮にだよ、何処が好きなのか解らないと答えよう。「その心は?」 透明人間だから。

何故に気にかかると問われたら、何故だか解らないと答えよう。「その心は?」 透明人間だから。「一緒やないかえ」 






自分が自分を操り生きる人が居る。俯瞰の目を持っている。動体は知恵で操り心で支えているんだね。分離一体なんだよ。

操作の要は、遠望なる目的と正義と優しくて鷹揚なる奉仕の心が原動力だね。

軸がぶれない。ぶれるようでは、ただの詐欺師となる。究極は、なにごとも紙一重。オレの生きる流儀だよ。オレは、微塵もぶれなかったよ。





















悪く云えば保身に優れた技だね、善く云えば粘りを生じてへこたれない技だね。そんなのを彼女からも感じられるんだよ。だから、愛おしいんだよ。




























カメレオンの独り言-1277 『疲れた夜は昔で逃げる』

2014年11月13日 | 日記








 11月13日 千日前の脇道のお店は、こんな雰囲気醸してた。









昨日は、11月の11日、11時11分って1がズラッと並ぶ時間にお目にかかれる日だったんだね。

写真撮るのに急かれてて、11秒を忘れてた。デジタルに表示が出てたんだね。27秒になってるよ。「撮るなら秒を意識するのが常識だろ」

まあ、いいじゃないか、撮っても撮らずとも、どうってことないよ。今度、1月の元旦、もしくは11日に撮ればいいじゃないか。






「デジタル表示は1月の場合、01ってなるだろ?」 ああ、そう、じゃあ、来年の11月に撮ればいいじゃないの、あっと云う間に来るよ。

「今現在11月に来年の11月が、あっと言う間に来るって云うか?」 云うよ。「ふつうは云わんで」 

今現在11月なのに、来年の12月は、あっと言う間に来るってのは云わんだろうけどね。ちょっとのことなんだけどね。「おまえはおかしいわ」





















アマゾンで買ったスポーツシューズが届いたよ。実物見んことには、やっぱり、取り出すまでは、一抹の不安があるね。

おお~いいねえ。想っていた通りの代物だよ。サイズは28センチ、早速、履いてみる。おお~、測ったみたいだねえ、バッチシだよ。

昔は大きなサイズが、なかなか、見つからずに寸足らずな靴を無理やり履いて仕事してた。






小指にタコができて痛いってなもんじゃなかった。普通に歩けなかったよ。それに指が常に圧迫されて爪がやられるんだね。

両足の指の爪が、全部、そのままの形で根っこから抜けたよ。「ゲエ~ッ」 前にも書いたろ、

血だらけにならないんだね。痛い峠を越して暫くするとズボッて抜ける。爪の下は薄皮ができていて血は一滴も出ない。






長い苦痛に耐えたあとのことだけどね。抜くときと、抜けたあとは、へんな快感があるんだよ。やったああ~ってね。

その後、大柄な人が増えて足も大きくなってきたのかしてサイズが豊富になった。楽になったよ。

オレの体質は、回復力が旺盛なのかして爪も元通りになるのが早いんだね。泣きたくなるほど痛いタコにもならなくて済んだ。






リーガルやケンフォードは、27サイズ、スポーツシューズは、28サイズで大方合うね。だから、ネットでも、そう心配せずに買える。

粘って、好みを探し続けて正解だったね。いいのが当ったわ。意外としっかりした造りで、これだったら長くもちそうだね。



 















今日(12日)は残業で帰って来たのが遅かった。風呂や夕食を済ませて10時半、パソコンの前に落ち着いたのが11時。

お話が、なんにも浮かばなくても当たり前だね。目に付いたこと、有ったことを書いてお茶を濁すしかない。疲れたよ。

午後8時頃かな、雨が零れだした。大阪の北部では、本降りだったらしい。少し、冷えてきたね。






明日から気温が下がって14~5度の日が続くようなことを云ってる。大きな欠伸が止まらない。目もトロついてきたよ。

暫く休もうかなんて思ってしまう。どうでもいいようなこと書いても面白くもなんともないからね。

気がついたら寝てたよ。椅子から上体が45度は傾いておったね。「転覆寸前だね」 だめな時は、あっさりやめておこう。 
























1967年(昭和42年)5月の道頓堀筋だよ。オレが思うに昔ながらの風情があった頃の道頓堀筋の最期辺りの風景かなあ。

これから10年後?辺りから、今のはっちゃかめっちゃかな道頓堀筋に変わって行ったんだろうかねえ?

のんびりしたいい雰囲気だったんだけどねえ。戎橋筋、心斎橋筋、千日前筋とは、また違う開放感のある商店街通りだったよ。ほっとするんだね。



















1969年(昭和44年)4月の千日前交叉点南側、左に竹林寺が在って、その向こう並びに映画館のスバル座が見える。

この交叉点手前に千日デパートがある。この写真の3年後の1972年(昭和47年)5月13日に火災が発生し沢山の人が亡くなったんだね。

オレが、うろうろとしてた頃の懐かしい千日前の商店街通りの姿だよ。この頃の土曜日は、松竹座とか南街劇場とか、よく深夜映画に通ってたなあ。






スバル座を通り越し始めての脇道を西へ入るとモデルガン(精巧な銃の玩具)と大人の玩具(精巧なスケベな玩具)を扱ってる店があった。

最初は、モデルガン専門店だったと思うんだけど、どうだったかなあ? 大人の玩具が印象に濃い。「おまえもスケベやね」 良からぬお店だったね。






このブログで2回ほど書いたUFOを追跡したお話は、この頃だったかね。写真を右手に歩くと日本橋筋一丁目の交叉点、目撃現場だね。

交差する千日前通り(車道)も恰幅工事が行なわれ、高速が走り、この辺りも、昔の風情の趣が変わりだす頃だったね。

この時には、住んでいた日本橋筋一丁目の住居から北に上がった長堀手前の清水町筋へ我が家は移転してたよ。あの頃が髣髴(ほうふつ)とするよ。



















遡って、1966年(昭和41年)の日本橋筋3丁目の松坂屋前だね。堺筋の北方向(一丁目)を望んでる。おじさんが見てるね。

この頃は、まだ、松坂屋デパートが営業していたんだね。オレも何度も買い物に着いて行ったね。昔の、あの頃の匂いがするよ。

もう、そろそろ、北の天満橋へ移転する頃じゃなかったかなあ。其のあと、高島屋別館になったんだよ。






何も話が浮かばない時は、書くあてがあると、なんとか出来上がるよ。考えなくてもいいもんね。今日は、これにてご免。























カメレオンの独り言-1276 『昔が在りて今が在る』

2014年11月12日 | 日記






 11月12日







また、壁に当ったね。見えない壁なんだけど壁だね。なんにも話のネタが浮かんでこないよ。まともに越そうとすると煙草の本数が増える。

仕方ないかと焦らなかったら煙草に手は伸びない。健康のために仕方ないかで諦めようか。

今日は忙しかった。次々片付けるんだけど、後を追うように仕事が増えたね。向こうから来る仕事は、探さなくてもいいから有る意味楽だね。






片付いてほっとしてたら同業の社長さんが来られる。話し相手になってたんだけど、忘れっぽくなったって話で涙が出るほど笑ったよ。

社長さんも顔を真っ赤にして笑ってる。別段、仕事が有っての話じゃないんだけど、子一時間話されて、ご機嫌で帰られる。

笑いは構えないところから零れるね。話も構えない方が流れがいい。






社長さんも、思考の停滞を生じたら足が此方に向くのかね? 顔を真っ赤にして笑ったら遮る壁が倒れて無くなるのかも知れない。





















オレも、気分転換ができる何かを探さねばいかんね。毎日、同じパターンで、話しを続けていけるなら、今のままでも構わない。

瓶(かめ)に水が満杯で注ぎこむ水も途絶えない、そうでなくては栄養の有る話は浮いてこない。

「栄養のある話?」 聞く人が元気になる話しだよ。技だけが上手い話じゃないよ。語るものの思いを込めた話だよ。活字とともに伝わる心だよ。






下手でも生きてる話だよ。子供の頃に帰って噴き上がってくる笑いだよ。しんみり響いて熱くなる、生きる勢いに変わるんだよ。

人は、琴線に触れると敏感に反応する。刺激だね。日頃、仕舞い込んで大人で生きる。

でも、何処かで、声は聞こえているんだよ。遠いところから求める声が聞こえているんだよ。






忘れるほどに現実と戦う人でも、その声を聞くときがある。懐かしい声なんだね。及ばずとも、そんな処に届いて応えてあげれる話がしたい。





















昨日、終業間際に彼女が来た。時折、顔を覗かせる。大きなマスクをしてる。どうした、風邪か? 怪我をしたらしい。

外に出て、階段のところで遊んでる子供たちに相手になってると、一緒に来て足元にかがんでる。

この娘(こ)もオレも、あまり話さない。でも、伝わってくるんだね。オレに勢いをくれるのは昔ながらなんだね。






振り返り見下ろすと、昔のままの彼女が居るよ。「オレから離れずに居ろよ」って、思ってしまうんだね。「どうすんねん?」 こころの話さ。





















千日前の大阪劇場を大劇って云ってたね。その北隣に小さな千日会館って映画館があった。此処は安い料金で3本立ての映画が観れるから人気があった。

場内は、あまり綺麗って感じじゃなかったね。ゴミが散らかって、むわ~っと空気も悪いように感じたよ。

画面も小さくて、お世辞にもいい映画館とはいいにくい。今もあるのかなあ? 大劇との間に交番が在ったような無かったようなウロ覚え。






毎度、見慣れていたんだけど、遠く思い出になってしまうと記憶が頼りだから心もとない。常日頃、慣れ親しんだ処ほど写真に収めておくべきだね。

ネットをうろついてたら懐かしい写真に行き当たる。凄く嬉しいんだね。

この千日会館の前身になるんだろうと思う映画館の写真があった。戦前だね。1938年ってなってる。右が大劇、左は映画館の常盤座だろうと思う。










 『千日会館の前身 大阪ニュース館』










前にも昭和の大阪って本に載っていた南街劇場の珍しい写真を貼ったけど、同じく1938年(昭和14年)当時(下)の写真があったよ。

前に貼った写真は、昭和26年頃のだったから大阪空襲でやられなかったんだろうかね? 三角屋根も一緒だったよ。

戦前は、邦画を上映してたんだね。周りには、建物がなんにも無いような感じで寂しいね。



















ここが高島屋前の難波とは思えない。遠い昔は消えてない、でも、今と繋がっている。昔の無いものはない。人も建物も其の地も同じだね。
























カメレオンの独り言-1275 『ネットショッピングで時間を失う』

2014年11月11日 | 日記








 11月11日








こらあ、ひと悶着あるかなあって、思える仕事の不手際を抱えて休みが明けた。朝一番本社に連絡入れたけど担当は現場へ出ておらん。

携帯で話しても外部では用を足さん。経理に繋いで貰い不明内容の程、確認依頼。

オレの職場は、本社が一手に担って不信の原因を作りよるね。暫くして経理から連絡、不明の一つは片付いた。「解明書類は、担当の机に置いておきます」






礼を云って切る。もう一つは、担当名指しだからオレの出る幕じゃない。帰社した頃を見計らって電話を入れる。

此方で調べ上げた情報を伝えて辻褄(つじつま)が合ったらしい。本社から連絡くれって云ってたよ。「本社って誰ですか?」 冗談云って笑ってる。

相手の確認も確かじゃないようだから穴を埋めて行けば片付きますよ。「解りました、連絡とっておきます」 よし、一見落着だね。






仕事は、追いかけてくる。溜めれば、其の上に乗っかってくる。鬱陶しいことは、溜めずに当って片付けていく。溜めるのは、お金と楽しみに限る。





















昨日から、ブログを書くかたわら、アマゾンのスポーツシューズ売り場を、ず~っと開いては閉じ、開いては閉じを

繰り返して安物のシューズを探していたの。最近のスポーツシューズは、どれもこれも、ど派手なヤケクソのデザインみたいなのばかりだよ。

サンダル代わりに履けるやつはないかと。昔ながらのデザインを探すんだけど無いんだねえ。キチガイみたいな色柄ばかりだね。






おっと、立ち止まったらサイズがない。昔ながらのデザインのは安いね。220まで開いても無い。さっさと開かないからいじいじするんだね。

で、今日も昨日の連続で開いては閉じの繰り返しで273まで開いて、もう、あかんねと諦めかけたらアディダスのオーソドックスなのに目がとまった。

色柄もので好みじゃないけどクリックしたら大写しの紹介が開く。関連したシューズが下に並んでる。あれって3本ラインのアディダスがあるよ。






赤と青と赤のラインか、と気落ちしたけどクリックする。大きな写真を見るが、いまいち乗らないねえと元に戻ろうとしたんだけど、色違いがある。

クリックしたら、なんと、俺が探し求めてたデザインのシューズが、ド~ンと出たよ。これやんかあ~。それにっ安いっ。¥3059 送料込みっ。

サンダル代わりに適してる。昔ながらのアディダスのデザイン、白地に3本の赤ライン 、こいでええんよ。気ぃ狂うたようなデザインなんか要らん。

















『アディダス adidas oracle VI STR』 ¥3059  無駄の無いスッキリしたデザインやないのお~。しかし、長くはもたないだろうね。
























下のアシックスのシューズも同じくすっきりしてる。このすっきりデザインは馬鹿にならないよ。¥23000もしてんの、丈夫なんだろうね。

















最近のは、色柄もそうなら、形もこねくりまわしただけのブッ細工なもんばっかしだね。何処がええのんやら、さっぱり解らんわ。

注文は、至って迅速、カチカチカチカチと叩いてポン、終わり。ああ~疲れてしまったよ。

オレみたいな買い物歩きの嫌いな奴には、このネットショッピングは、ホンマに助かるわ。






で、ブログを仕上げるの忘れてて時間が無い。今日は、オレのお買い物に付き合って頂いて終ろうか。ごめんなさい。


























カメレオンの独り言-1274 『直線を意識するタコ』

2014年11月10日 | 日記







 11月10日








電車に乗ってウロウロして来たよ。ついでに頼んでいた誂えのスラックス貰い受けて帰って来たよ。街ん中は、いろんな人が思い思いに歩いてるね。

何処からか出かけて来て、なにかの用事や待ち合わせに向ってんだろうかね。

擦れ違う人など覚えないね、何処かで、またまた、遭ってるかも知れないけど覚えてないからすれ違いの人に変わらない。






沢山の人が居る、漠然と、そう思ってる。この歳なるまで、そう思ってきた。これからも、そうなんだろうね。

人の波ん中で、そんなことを思ってる。誰も彼も知らない人ばかりなのに、ふと顔見合わせると笑ってるんだね。向こうも笑ってるよ。

言葉など交わさないのに笑顔で会釈して行かれるよ。馴れ馴れしく片手をあげて振ってるんだね。「知らん人だろ?」 そうだよ。






今度、遭っても覚えてないだろうね。オレは、一人で歩いてるときは鬱陶しい顔して歩いてると思うよ。

気分は鬱陶しくないのに顔は鬱陶しくなってると思うんだね。「なんでや?」 なんでだろうかね、人ごみが好きじゃないからかな?

若い時は、人の目が気になって、それだけで疲れてしまってたね。ホントは、誰も見てないんだろうけどね、其の名残かなあ? 






「自意識過剰か?」 かも知れん。なんか、見られてるような鬱陶しさがあったね。オレは、無視されるほうが好きだよ。

それがねえ、神戸へ行くと商店街を歩いてても、全然、気にならないんだよ。発見だったね。何度行っても変わらない。

神戸の人は、いい意味で、我れ関せずなところがあるんだよ。他人(ひと)は他人(ひと)って感じかなあ? 立ち入らないってのかなあ?






ねばくないんだね、あっさりしてるんじゃないかなあ。大阪は、ねばいんだね。なんか、粘着性を感じるんだね。オレも、生粋の大阪男やけどね。



















神戸には、何の縁もないんだけど、いいなあって思いがどかないね。其の地は、其処に住む人々の想いが大きく影響して匂いを漂わせるからね。

他を受け入れて、馴染んで、それぞれに生きることを習ったのかね? 外国人が住んでいたっていう建物が多いからね。一歩、進んでるね。

人を排斥する臭さはないけど、大阪は土着の匂いを醸してるね。情は濃いんだろうけど、ちゃんこ鍋だね。もうちょい、あっさりしろよ。



















「休みに出かけるのにリーガルなんか履きな、仕事やあるまいし」って、奥さんがケチつける。「もっと、ラフな感じで出かけっ」 

似合いもせん服来てウロウロしたら、それだけで疲れる。裸で歩かなきゃいいんだよ。警察もなにも云わんって、云い返して出て来た。

なんで、休みは休みの服を着なくてはいかんの? 制服のつもりか? 抵抗の無いいでたちが一番気楽なんだよ。






なんで休みに緊張して歩かねばならんのだ。「なんで緊張すんねん?」 不似合いないでたちすると、なんか無様に思えて足がもつれるよ。

「おまえのほうがおかしいで」 おかしくても構わん、道歩くのに、何を着ようが履こうが放っとおけ。自由だろうが。

前にも云ったけど、ラフな格好して歩いてる人々見て、いいなあって思ったこと無いんだね。「失礼やないか」 オレの目ですればだよ。






あれがオシャレって、何処がオシャレなのか、全く解らないんだね。どいつもこいつもモコモコにしか見えないんだよ。「モコモコ?」

オレだけが感じるんだろうかね? そのモコモコ、ヨレヨレ感が、オレは、大嫌いなの。夏は、ヨレヨレだね。冬は、モコモコなんだよ。

オレは、線を意識してんだろかね。直線的な部分がないとダメなんだよ。これはね、大きな声では云えないけどね、ステーブ・マックィーンノシセイニエイキョウサレタンダロウネ。






と、思う訳なんだよ。あの人の姿勢はね、いつも線が入ってるんだね。独特のキビキビ感だよ。ラフな格好していても線が失われないんだね。

オレが、逆さまなっても出来るわけないから、せめて、いでたちの線だけでも維持しようとの思いなんだよ。拘りだよ。

あの人は、映画でも、大方、ラフな格好ばかりなのに、人に直線を意識させる姿勢があるんだね。あんなのが好きだねえ。






中身の線がフニャフニャだから外見で直線創らんとタコになるよ。ヨレヨレのタコ、モコモコのタコ、オレには、我慢ならん。












『リーガル ウイングチップ 2589NEB27 』  ブラウン系のを一つ持っておこうかなあ。








それはそうと、毎度の話しだけど、仕事でリーガルの兄弟社、ケンフォードのウイングチップを愛用してるけど、リーガルをたまに履くと違うね。

同種のものを履き比べると、その造りの違いを歴然と知るね。見た目は、そう変わらないんだけど、履き心地がね、全く違う。

歩行する路面への定着感とか跳ね返り感が心地いいよ。それに靴を形成する皮のフイット感なんかは、やっぱり、ケンフォードでは味わえないね。






う~ん、一言で云うならば、歩くことが愉しくなるね。天下の街ん中、自分の気に入ったいでたちで歩いて、何が悪いんじゃっ、そういう気持ちになるね。























持ち帰った誂えのスラックス、いいねえ~嬉しいね。贅沢なんだろうね、この歳なって、ようよう味わってるよ。ありがとう。























カメレオンの独り言-1273 『地球は誰のものぞ』

2014年11月09日 | 日記







 11月9日







エボラは、遠い国の物語なんて云ってられないね。関空にも感染を疑われる人が発見されたらしい。

東京では、アフリカに一ヶ月滞在してた男性が、熱っぽい身体で空港を出てウロウロ歩いて家に帰り寝てたって騒いでる。こらあ、あかんで。

このおっさん、自分がアフリカに居って、熱が出てきて帰って来て姿眩ませるって無責任もええとこやないの。エボラを撒いたらどうすんねん?






去年かねえ、今世紀は、細菌が人類の最大の脅威になるんじゃないのって、従業員の人たちに冗談云ってたけど、ホンマになるかも知れんよ。

デング熱どころじゃないよ。東京なんかで、ポロポロ出だしたら、あれよあれよと云うまもなく拡がるんじゃないの?

空気感染がないのが救いだね。排泄物や唾液に直接触れると感染するらしい。排泄物を直接触るなんてないだろうけど間接的にはあるだろうね。






電車の吊り皮、手摺、商店の品物、スーパーの品物、自動販売機、券売機、其れにお金だね。お金の価値が落ちるよ。「落ちるか」

でも、あちこち拡散し出したら、受け取るのが怖いから、釣りは要らねえよ、が流行るだろうね。「昔の江戸っ子気質(かたぎ)だね」

ナイロン手袋が流行するね。すぐさま、色柄豊富になるよ。ナイロン袋被って歩く奴も出てくるだろうね。吐く息で前が見えなくなって交通事故も増えるよ。






道で気分悪くなった人などに助けは、まず、入らないだろうね。エボラと違うか? の一言で周辺10メートルには、誰も近づかないよ。

















こいつ、エボラだよ、なんて冗談流行るだろうね。「流行るかっ」 エラいことだよ、外国人の姿は、あっと言う間に消えるよ。

繁華街は閑散とするだろうね。デパートも商業施設も、遊園地やテーマパークも開店休業だよ。外食産業は、閑古鳥(かんこどり)だけが喧しい。

学校も長期の休校、もう、東京の機能は停止するよ。全てが大打撃に泣き濡れる。いずこも死活問題ですよと顔を曇らせる。






方や、すぐさま、色柄アイデア追加してナイロン手袋製造メーカーは昼夜突貫作業で笑いが止まりませんって社長も、顔、真っ赤にして興奮してる。

いやあ、今の季節、水中眼鏡の需要自体考えられませんが、休日返上で製造に全力を上げていますって、こっちの社長さんも天井突き破る勢いで高笑い。

いやあ、細菌様様ですわあ、今度はエボラですかあ、お蔭で休めませんわあ、なんてマスクのメーカーも、其の分、冬のボーナスで還元ですわって満面笑顔。






サラリーマンは、エボラ雨降る中でも往かねばならん。男女揃って、水中眼鏡に大きなマスク、色艶やかな花柄のナイロン手袋で通勤だよ。

色柄とりどりのナイロン手袋が印象的な通勤ラッシュなんて見出しが新聞に載る。テレビも水中眼鏡とマスクで歩くサラリーマンを映し出す。

東京駅前の道路を渡る異様ないでたちの大集団が遠景からアップで撮らえられ、死の街を往く企業戦士たち、なんておちょくられてる。






我々は、エボラを駆逐しますって安倍首相が宣言してる。大臣が街を視察する。付き添いの誰もが通常服なのに、こいつだけ全身防菌服で固めてる。

















なんてことにならなければいいんだけどね。地図からしたら地球の裏の遠い国の話しだったけど、現代では、全てが近い他所の国だね。

なにを中心にして地球は周り続けてるのかねえ? 「人間だろ?」 誰が云った? 人間が云ったんだろ? 「そうだよ」

人間を含める全ての生物のためかも知れん。それとも自然のためかねえ? 誰のためでもないのかも知れんね。






恐竜が地球の支配者になるきっかけは、約2億年前の大規模な火山活動だったらしい。

恐竜の繁栄したことと絶滅したことは大規模な火山活動が起因してるらしい。

溶岩の噴出で大気中の二酸化炭素量が2倍になり、地球規模の気温上昇や海水の酸性化など異変が続いた。






急激な地球温暖化による気候変動で、海洋が酸欠状態になり有毒ガスを吐き出すようになった。

温暖化により、海底のメタンハイドレートが溶けて、大気中に大量のメタンガスが放出されたため酸素欠乏になって大量絶滅が起きたという説がある。

これにより、地球上の生物の少なくとも半分が絶滅した。それまで繁栄していた哺乳類の祖先の大部分はここで絶滅したと考えられているんだね。






生き延びたそれまで小型だった恐竜たちは種を増やし、そのあと酸素が増加した三畳紀末期から急速に大型化していったんだね。

その後、恐竜たちは、1億5千万年も地球上に君臨していたという。1億5千万年だよ。凶暴でアホのまま1億5千万年だよ。進化しないんだね。

それはそうと、温暖化により、海底のメタンハイドレートが溶けてと云うくだりで思い出したよ。



















今、当時と同じく、温暖化に依って、その大規模なメタンハイドレートが溶け出しているんだよ。「何処で?」 ロシアの北シベリアの海洋でだよ。

北シベリアなどの沿岸永久凍土の地下数百ー数千mの堆積物の中に固形化して埋まってるんだね。

その永久凍土が、最近の温暖化で溶け出しているんだよ。低温なところ、もしくは低温を維持できる深海などに埋もれて眠ってる。






我が日本列島の周りにも多いんだね。南海沖トラフの辺りだよ。石油に代わるエネルギー利用を期待するむねもあるんだけど石油のような自噴効果がない。

だから、パイプ突き刺して噴き上がりを利用できないんだね。コストに見合う掘り出しの技術の発展を待たねばならない。

「じゃあ、シベリアの永久凍土のメタンが溶けても影響はないのではないかいな?」 其れが、無くもないらしいんだね。






シベリアは、大方が永久凍土に覆われてるんだけど急激な温暖化で溶ける部分も出てくる。其処は広大な湿地帯になり樹木が茂る。

しかし、地盤が緩み樹木が倒れて枯れ、湿地帯が乾燥化するに至っては、「ちょっと待て、何年先の話や?」 何百年先かねえ? 「居らんやないか」

時間は地球規模での差し迫りだろうかね? 話が、全然、面白くないほうへ転んだね。「子や孫辺りの時代の心配に留めとけ」 せやね。



















なんの話だったかなあ? 「恐竜だろうが」 ああ、そうか、恐竜の絶滅は、巨大隕石(直径10キロ)が地球に衝突したためと云われてた。

恐竜は、6500万年前、隕石落下で噴き上がったチリが太陽光を遮って起こした気候変動で絶滅したとされるんだね。

でも、火山噴火や温暖化で生存環境が悪化したところに隕石の衝突でダメ押しされたからだって新説がでてる。「じゃあ、前のは嘘か?」






インドの一連の火山噴火が長期の寒波などの劇的な気候変動を引き起こして恐竜たちを苦しめていたんだね。

恐竜たちは、読みが利かないから、あっちへウロウロ、こっちへウロウロ、運任せだね。「おまえみたいなもんやな」 だろうね、可哀想に。

そこらの火山軒並みに大爆発起こして溶岩溢れ出して地球は真っ赤っかだったんだろうかね? 空恐ろしい光景であったろうね。






大きな恐竜たちは、溶岩の流れる反対側にノッサ、ノッサと逃げるわなあ、でも、こっちにも溶岩流れて来よる。

ノッサ、ノッサと溶岩に挟まれて海際へ逃げるしかない、救いの海はボコボコボコと熱湯、湯気あげて煮えてるよ。

ここで、生まれて初めて恐竜は、真剣に考えたんじゃなかろうか? 「遅いがな」 溶岩に飛び込むか、熱湯の海に飛び込むか、其れが問題だ。






その切羽詰った状況に打ち震える恐竜の頭上に直径10キロの隕石が落ちてきたと考えられるね。「考える意味がなかったね」


















1億5000万年もの長~い年月、地球上に君臨した恐竜たちは滅んだ。1億5000万年だよ、カレンダーが1億5000万枚だよ。

人間の原型かね、猿以前だね、そんなのは1億年から7000万年前に、地球上に最初の霊長類として現れたらしいね。

600万年前から500万年前くらいになると、より人間に近い、ヒト亜科として区分される動物になってるね。









 『ホモ・ハビリス』









200万年前になると、ホモ・ハビリス。これは、初めてヒト属(ホモ属)に属する生物種に進化したんだね。でも、見た目は猿だよ。

でも、ホモ・ハビリスは、石器を使って他の動物を以前よりもはるかに容易に殺傷する能力を得てるんだね。

そして原人に進化する。ホモ・エレクトスと云う。背丈も160~180Cmぐらいに伸びてる。「おまえは、ホモ・エレクトスか?」






それ以前のアウストラロピテクスは、身長140~150Cmくらいだったらしい。「小柄な人は、アウストラロピテクスか?」

大体180万年前くらいからアウストラロピテクスから進化したのがホモ・エレクトスのようだよ。「おまえが、先に進化するのはおかしい」

50万年くらい前には、火を使用した痕跡が中国の北京で見つかっている。これが北京原人(ホモ・エレクトス・ペキネンシス)というらしい。









 『ホモ・エレクトス』 まだ、ゴリラだね。






ホモ・エレクトスって、眉や目の辺りなんか、西郷隆盛に似てるね。「中村半次郎に、ちぇすとおーって、叩ッ斬られるぞっ」 






 『ネアンデルタール人』 こんなおっさん今でも居るで。









原人の次が旧人類なんだね。ネアンデルタール人。こいつの登場したのが、大体50万~30万年前くらい。

脳の大きさは1300~1600ccくらいで、むしろ現在の人間より大きいらしいんだね。知的な奴が多かったんだろうかね?

精神的にも進化して、亡くなった者の身の周りに花を飾ったらしいんだね。もう、感傷的な面持ちになるんだろうね。






かかあが逝っちまたあ、これがっ酒呑まずして居れようかっ、悲し~い気持ちで一杯だようっ。そんな顔してるね。「酒、あったんか?」 知らん。






そして、新人類が登場したのが、20万年前くらいなんだね。今でも、生態が異なる新人類が登場してるね。ひょっとしたら進化かも知れん。

ホモ・サピエンス、ラテン語で知恵ある人、賢い人の意で、現代の人間の先祖って雰囲気になるんだね。

18世紀の中頃、スウェーデンの生物学者 C.リンネは、生物の体系的分類を行うにあたり,この語をもって人間を表わす学名としたんだね。






なんか、おかしいよ、こんな話しをするつもりじゃなかったんだけどね。「地球は誰のために回ってるのかね?からだよ」 そんなん解るかいっ。

「おまえが云ったんじゃないか」 停まらないから回ってるんだろうね。抵抗の無い空間の自転だよ。

太陽は100億年の寿命で、現在、50億年を消化したらしい。太陽なくして生物の存続は有り得ない。暗黒の宇宙だよ。



















太陽が熱を失うときが全ての終わりってことになる。人が熱を失い亡くなるときと同じだよ。

そうして逆から考えると、地球ってのは、生きとし生けるもののために在るんだろうね。1億5000万年間、何の進化もない恐竜が生き続けた。

人間は、進化、成長する生き物だから、もし、仮に恐竜と同じ年数を地球上で君臨するならば第2の地球、第2の太陽を作ることも可能かも知れない。






今の人間が、未来を空想することは、実際に成り得るものばかりなのかも知れない。

それは、未来からの反射であって、想像という働きを促せて人類の英知の可能性を知らしめるものなのかも知れないね。

賢い奴って、とんでもなく賢いからね。気持ち悪いよ。「その人たちは、アホって、とんでもなくアホだから気持ち悪いよって云ってるよ」






そうか、しかし、気持ち悪いところが共通してるね。人類の英知って、賢い人たちのことを指して云ってる訳で、その他、諸々は関係ないね。





















カメレオンの独り言-1272 『映画 プライベート・ライアンを観て想う』

2014年11月08日 | 日記








 『プライベート・ライアン』 1998年公開 11月8日









日中は、暑くもなければ寒くもない過ごしやすい気温だから文句はないんだけど雲の多い冴えない空模様だったね。

西の空に大きな夕陽が沈んで、空を覆う雲ぐもの輪郭辺りを柿色に染めて芸術的だね。

日は、流れるように過ぎ去っていくね。若い人たちは、一日を長く感じるらしいけど歳喰うと日めくりが忙しいほどに感じるよ。






夜、話のネタが浮かばないからパソコンの前でボ~と長い時間、固まってた。欠片も浮いて来ないときがある。

よし、風呂へ浸かって気分転換が先だね、腕立て伏せを70回、毎度のパターンでこなす。鼻呼吸でやると随分楽なのを知ってから苦にならない。

心臓に悪いも糞もない、其の後、風呂に浸かってさっぱりして夕食頂いてから再びパソコンの前につく。しかし、今日はアカンね。全然やわ。






感性に刺激が要るね。後ろの収納家具の引き出し開けるとギッシリDVDが新品同然に詰まってる。う~ん、チャプタで少しだけ観るか。

初っ端から凄まじい戦場シーンの 『プライベート・ライアン』を引き出し、ドライブに入れる。ボックスもDVDもピッカピカだね。

此の映画を観たのは、つい最近だと思ってたけど、考えたら、もう15年ほど前だったんだね。その間、ずっと眠ってたことになる。

















年月の経つことの魔法のような空白を感じるよ。「あいだで観たんじゃないか?」 いや、観てないよ。

ヘッドホーンで音量上げて、映画館もどきで観賞したよ。もう、一言、凄まじいに尽きるね。そこに実際の戦場がある。描写力が並じゃないわ。

スティーブン・スピルバーグ監督の最高傑作だよ。 「シンドラーのリスト」も素晴らしかったけどね。戦場ものではナンバーワンだろうね。






最近作の 「ローン・サバイバー」も凄かった。これ等と並んで 「ブラックホーク・ダウン」この3作だね、文句なしの戦争映画は。

















「感性に刺激を受けたか?」 受けたねえ、血ダルマだよ。戦争について、いろいろと語られてるけど、愚かを繰り返さねばならない宿命の力だろうね。

人類が背負う宿命なんだろうって思ってしまうね。その時代に生まれ合わせた人々が、その宿命に振り回されて嫌がおうなしに地獄を這いずりまわる。

歴史を紐解けば、この殺し合いなくして平和がない。平和が戦争を起こすんじゃなくて、戦争が平和をもたらしていると捉えることができるよ。






愚かを延々と繰り返し繰り返し今に至ってる。何万、何十万、何百万、何千万人の人々の涙の物語が土に埋まるね。

其の都度、人々は、尤もらしいこと云って反省するんだけど、その舌の乾かぬうちに、また、同じことを繰り返す。人間の歴史は血ダルマで綴られてるよ。

核爆弾があろうが無かろうが、平和、平和と唱えようが、転がる因果が巡ってくれば、ええっ、なんでえ?って、吃驚するよな展開で戦争は起きるんだよ。






クソでかい歯車が回りだすと停めること叶わず押し出される。戦争とは、そういうもんだろうね



















割れた腹から腸(はらわた)溢れ出し、首は吹っ飛び、顔は潰れ、手足は飛んで、ひき肉になって死んでいく。凄惨、壮絶の世界だね。

審判の時かね? 生きるか死ぬか、大まかに分けられるんじゃないのかね? 

動物でもあるね、種族が増えすぎると大群になって、次から次へと海へ身を投じて死んでいく。






北欧のレミングが有名だね、ネズミの仲間の小型哺乳類なんだけど、この自殺行為を、なんとかいうんだね? 出て来ないね。

種の存続、増えすぎて存続に危機をもたらす頃合に起こるみたいだね。口減らし、間引きってのかね? 自然の調整の力が働くのかも知れない。

人も、そうだよ、鉄砲持たされたら行くしかない。其処が地獄でも行くしかないんだね。






悲劇は過去のものって思いたい、なんとしても、そう思いたい。我が身は平和に抱かれてゆっくり生きたい、過去の人々も、みんな、そう思ってった。



















人間に欲が有る限り、価値観の相違が有る限り、この因果の宿命は無くならないだろうね。

人は、悲しいぐらいに自分を守る。悲しいぐらいに自分だけは別と考えてしまうね。交通事故なんか他人のことって思ってしまうね。

其の思い上がりが災いの元だね。戦争も、其の思い上がりの集合体が起こすんだね。






戦争に突入する決断を下した双方の者が、まず、死ぬ。それに賛同した双方の者たちが続いて死ぬ。後押しした双方の者たちも先に死ぬ。

この絶対的な運命の約束があれば戦争は、なかなか起きないだろうね。最期を、結果を、見ずして責任を全うできないなんて綺麗ごとは認められない。

命をとして決断せざるを得ない状況では無いんだね。利害の計算上の判断なんだね。実際に鉄砲持って死に行く者たちの頭数数えるのと変わらない。






実際に地獄を舐めた何万、何十万、何百万の戦死者や被災者の名は、歴史に残らない。彼等は数字でしかない。そして、思い上がりの奴等の名が残る。

戦争とは、そういうもんであって、歴史は、そういうもので綴られているんだね。

ただ、流されて鉄砲を持つ。個人的には、なんの恨むつらみの無い者同士が殺し合う。流された代償をともに命を払って果たすんだね。



















自ら数になってはいけない。勇気を奮って、もの言う人でなくてはならない。全てが、過ぎ去ってから、もの言う奴等は、ごまんと居るけどね。

人は、意見を、しっかり持たねばいかんのだよ。人間に生まれたら自分というものを、しっかりと持たねばいかんのだよ。思考の依存は大罪だよ。

人類が背負う宿命の働きならば抗しようもないけれど、鉄砲を持たされる手に平和の旗を握って、何万、何十万、何百万、何千万の人々が一斉に立てば、






宿命の歯車でさえ止め得る力となるやも知れない。連鎖の力だね。愚かな繰り返しの歴史を変えることができるかも知れないね。それが人間の力だよ。









 









どうにもならぬと諦める。成ると云う声が圧倒して諦めを希望に変え不可能を可能にする。これができてこそ、過去の愚かを問えるんじゃないの?





















カメレオンの独り言-1271 『眠たくても精進』

2014年11月06日 | 日記








 11月6日








台風20号が日本の南、太平洋上を北東に進んでいるね。小笠原諸島がコースに入ってる。今年最期の台風なんだろうね。

中国の密漁船が、その小笠原諸島辺りでサンゴの密漁を行なってるらしい。日本の領域に入って遣りたい放題。こいつら、いったいなんなんだろうね?

中国は、その密漁船に対して、「理性を失わずモラルある対応を」 と日本に求めてる。其の台詞、そっくり、おまえとこに返すわ。盗人(ぬすっと)恥知らずめ。






いかし、日本は、気が長い、理性有りすぎて大人しい。いってもたれっと腹立てるけど話し合い、なんでもかんでも話し合い。善いことよお~。

しかし、台風は、そんなの知ったことじゃない。中心気圧955hPa  最大風速 中心付近で40m/s  最大瞬間風速 60m/s の勢力維持して進め。

北条時宗の鎌倉時代、蒙古襲来の折の神風となって傍若無人の盗人船どもを吹き飛ばせ。こんな国と仲良くしようちゅう奴等の神経が解らんわ。






香港の学生運動も穏便に終ればいいんだけどね。香港だけ民主化なんて許すはずないよ。反乱罪なんて云って暴権振るいよったら中国は怖いよお~。

歴史が証明しているよ。テレビの画面に堂々と顔曝して意見云ってる学生や市民の人たちは、政府が崩しに入り寄ったら、真っ先に拘束されて地獄だよ。

映像からデモ参加者の顔写真をどんどん作成しておるぞ。そんな国やぞ。或る日、突然、家ん中へ押し寄せて不穏分子狩りを始めよるぞ。






群れで騒いでる時はやらない。世間(世界)の目があるから控える。報道制限が入って情報が行き届かぬように図ってから崩していきよるんだよ。

群れから離なせば、ただの草食動物、肉食の野獣の餌になる。狩りの法則だよ。其れを繰り返して、群れの勢いを失せさせる。獣は腹が満てれば襲わない。

でも、秘密警察は、徹底的に狩りまくりよるからね。共産、社会主義の国ってのは、いつまで経っても、その体質は変わらんねえ。

















朝夕は、相当に冷え込むね。外のほうがましかなって思うときがある。家ん中に居ると寒む~って感じるよ。「暖房つけろよ」 馬鹿か、秋に暖房なんか要らんわ。

なんでも我慢だよ。一通りの我慢を教えねばいかんよ。なんでもハイハイなんて贅沢教えてロクなの育つか。

しかし、テレビなんか見てると、世の中は、ホンマに贅沢だねえ。でも、愉しく贅沢に暮らせることは悪いことじゃないよ。とてもいいことだと思うよ。





無理して苦しい人生なんか生きるもんじゃないよ。人間に大事なのは、満てる喜びよりも、生きる喜びってのを感じる心だね。

其れを、此れから育つ子達に教え解らせることを忘れてはいかんよ。貧富を越えて生きる喜びを知るってのが、健全な人間を育成させる根本だよ。

苦労は、其れを容易く知る機会に恵まれてる。贅沢の中に生まれ育つと、それらを知るのは容易じゃなくなるんだね。知っても上辺なんだね。






貧困に負ける、贅沢に堕ちる、それは、追い求めるものを間違ったからだよ。

まず、健全にあるべきだね、永続性の有る幸せとは、生きる喜びを知ることから始まったものだろうと思うよ。

「生きる喜びってのは、具体的にどういうもんなんだ?」 あのね、今は、極、表面的なお話でしかないの。






今の、オレの、脳細胞の働きでは、それを具象化するのは難しい。今、こうしてお話ししている内容でさえ漠然とした思考の上で語ってる。

つまり、一つの絵の初っ端の下書きに過ぎない訳。それに倣えば、思いの絵が出来上がっていくだろうと思いつつ鉛筆を走らせている過程なんだね。

つまり、絵は、まだ、完成されていないんだよ。だから、まだ語りたくても語れないんだね。「早よ、云うたら、よう具体的に説明でけへんねやろ」

















克服せねばならんところだね。「曲がりまくって、逃げくねって、その台詞はないやろ」 おまえは、オレの敵か? 「敵だよ」 そうか。「そうだよ」

心配しなくても道標(みちしるべ)一本立てれば、なるほど、そういう道もありだねって、解る人には解るんだよ。

懇切丁寧に説明入れなきゃ解らん人は、立て札蹴とばして、思いの道に向えばいいんだよ。三叉路で、暫し、足を止め、選択するのは、その人だよ。






まあ、また頭の回転の良いときに補足してお話ししようか。今日は、いまいち乗りが悪い。黙ってるけどね、欠伸(あくび)が百連発なんだよ。

昨日、1270『ブログで鍛える ブリティッシュ・グレナディアーズ行進曲』で、勇ましいこと云ったから、弱音が吐けないの。

今日は、跳ばそうと思ったんだけど、突き進むんだよっなんて、云った手前、其の次の日に休むってのは、タイミングが悪いよ。






「そうだろうよ、みんなっ、前向きに頑張ろうっ、前進あるのみだよっなんて、ミーティングで檄っておいて、次の日休んでる奴と一緒だわな」 失墜だね。

口は災いのもとだよ。口で築き上げて口で全てを失う人もいる。策士、策に溺れるって云うからね、こころが一致してないから起きるんだろうかね?

「おまえは?」 オレも危ないかも知れん。ブログだからもってるとこが、随分とあるからね。「身を隠して口だけやからね」 おまえは、オレに喧嘩売ってんか?






「心配してるんだよ」 そうか、ありがとう。思いが通じる言葉を発したいね。発した言葉にこころを感じて貰えるお話を続けていけたらいいね。「精進だよ」
























カメレオンの独り言-1270 『ブログで鍛える ブリティッシュ・グレナディアーズ行進曲』

2014年11月05日 | 日記







 11月5日







水の流れ、人の流れってのがあるね。商売してると、この流れってのを嫌ってほど考えてしまうんだね。

どうしたら、流れを此方に向けることができるか、最大の問題だね。流れを変えるってのは容易い話じゃないね。

このブログもそうだね、訪問者の方の流れってのがあるね。それを、あれやこれやと引き込む方法があるらしい。






オレは、ブログで商売してる訳じゃないから、一切、何の手も打たない。書いてるカテゴリかね? 其れも的が外れてるみたいだね。

ジャンルなんてのもあるけど考えたこともない。カタコリじゃないわ、カテゴリをどうせいちゅうねん? 解らんジャンル。「馬鹿か?」

なんにもしない、ただ書き続けてたら、どんどん順位が上がって信じられないとこまで上がってたよ。






でも、この9月頃からかなあ? また、もとの順位に下がって定着してる。思うに、gooのアホが、ブログランニングとかブログ村とか

いうボタンをアクセス欄に設けてからだね。これは、『ブログへのアクセス数の拡大と、興味が似ているブログと“つながり”が持てることです。

同じ興味を持った人に情報が届きやすくなり、あなたのブログにたくさんの人が訪れます』 なんて、キモイこと云ってんだよ。

















繋がりが持てる? なんで繋がりたいの? 独りで居れんのかっゴキブリどもがっ。気分の悪いボタンをオレとこから外せっ、この野郎っ。

「なにを云うてんねん?」 主旨が気に入らんわ。今なら登録するとキャンペーンで5000円のポイントが貰えるだって。要らんわ。

なんなんだろうかねえ? 群れるのが好きな奴が多いんだね。仲間外れを怖がってんかねえ? 参加してりゃ安心ってやつかあ?






群れを形成するのは、嘘から始まって嘘で終わるってのを知らんのか? 便利に利用して都合のいい仮想世界だよ。何の当てにもならんよ。

時代がおかしな方向に流れ出して、右左の分かれ道、行ってはいかん方向に押し出す奴等が、この手合だね。

己の主張より群れの主張に傾く我なしばかりだよ。うんざりするね。いつの時代にも大勢を成して存在するね。






まあ、ええわ、我は我の道を往く、書いて書いて書きまくる。「アホの一つ覚えじゃないのか?」 どうなと云え。解らん奴に解れとは云わん。

今の目標は、2000回突破だよ。駄文の山も、其の頃には山らしく見えるようになってるかねえ? 「丘ぐらいじゃないか」 まだかよ。

黙々と一歩一歩突き進む、「黙々じゃないだろ? 喧(やかま)しくだろ」 そう云えばそうだね。なんでもいい、突き進むんだよ。



















歩き来たる軍隊は、射撃の的だよ。バタバタと倒せるんだね。でも、撃っても撃っても、歩き来る。倒しても倒しても歩き来る。

そして、相手の表情が読み取れる程に迫ってくると撃つ用意の時間が足らなくなってくる。焦燥が手元や狙いをあやしくさせてくる。

射撃の的は、変わらず歩き来る。撃つ、倒れる、撃つ、外れる、なんて狂ってくる。ヤキモキ、アタフタ、ソワソワ落ち着かない。






もう、目と鼻の先に射撃の的が迫ってる。銃剣ギラギラさせて変わらず歩き来る。これだよ、これが昔からの正攻法だよ。

ブリティッシュ・グレナディアーズ(The British Grenadiers)行進曲の鼓笛の音も高らかに、ただ、只管(ひたすら)に突き進む。

此の行進曲とともに英国擲弾兵(てきだんへい)が、あまりにも有名だね。オレも、これで行くよ。






「馬鹿」「アホ」「恥知らず」「無能」「幼稚」「稚拙」「時代遅れ」と、嘲り、罵倒が飛び来る中を、傷つき、脚引きずってでも突き進むんだよ。









Barry Lyndon - Primera experiencia de Barry en batalla



映画『バリー・リントン』より ユーチューブの動画投稿者の編集は、総じて切れが悪いね。出だしの良さがケツで死ぬよ。








よくやるねえ、反射的に、伏せるとか、屈むとかするもんだけどねえ。目にとまらぬ弾丸が無数にぶッ飛んでくるんだよ。

無敵の英国擲弾兵って云われるだけあるね。待って撃つ方が怖くなってくる心理戦だね。

敵陣に到達する頃には、敵は浮き足立ってる、歩き来たるものは恐怖の克服で我慢限界だから大爆発する。






罵倒で人は死なない、こころは傷ついても血は流れない。そういえば、オレは、昔、20年もの長い間、罵倒の中で生きて鍛えられてる。

経験に意味のないものはない。知らず知らず体験から会得したものが、いつか、自分を守ってくれる武器になる。

並みの精神力じゃない。来んかえ、根性見せちゃるっ。「見せちゃるって、怖がりやのに強がりなんか?」 オレにも、よう解らんねん。






オレってね、遊びごころが武器やなあって思ってるの。自由に放置されて「勝手にしい」って云われたら、発想は止め処なく噴き上がってくるタイプだね。

野に放たれた一匹狼だよ。オレに管理は必要ないよ。誰よりも自分に厳しく生きてるからね。

一匹狼なんだけど奉仕のこころも旺盛だよ。「えらい自分を売ってるね」 売るんじゃなしに正直に自分を語ってんだよ。






意外と、オレっていい男だね。「おまえなあ、後で読んで、バッカだねえって恥かきやめとけよ」 恥にも強くならんといかんよ。

上の動画を見たか? 無責任な弾丸が頭に一発ぶち当たったら終わりだよ。生死を運に任せて歩く彼等に恥も糞もあるか?

細々、気を使うばかりが能じゃないよ。生きてる間が華だよ。云いたいこと云って、死の。























カメレオンの独り言-1269 『走れば止めどころが肝となる』

2014年11月04日 | 日記







 11月4日







なんの話のネタも無いなんてのは有り得ないんだね。尽きることなく有って当たり前なのが人生だよ。ただ、思いつかないだけなんだね。

昨晩は、疲れたのかして早めに寝たよ。目が覚めたら9時半、よく寝たね。薄曇りかな?

カーテン滑らせ窓を開ける、すう~と冷えた風が気持ちいい。時折、日差しが差し込んでくる。流れる雲が多いんだね。






男性の役者を観ていても、然程、時の経つのを感じさせないんだけど、女性の役者は、それが諸に出て「あら、まあ~」なんて思ってしまう。

昨日、書いた「ブロークンシティ」でキャサリン・ゼタ=ジョーンズを久ぶりに観たんだけど老けたねえ。

老けても綺麗なんだろうけど面相に険が出て怖いよ。「起きて、早々、人を貶(けな)すな」 いや、ちょっと思い出したんだよ。






もう、今度、何かの映画で、お目にかかったら、人違いだろ?なんて思わせるんだろうね。「嬉しいんかえ?」 寂しいんだよ。

過ぎ行く昨日、去り往く年月、消え往く過去、ともに同じ時代を生きて、その無常を思い知るんだね。

珈琲を飲んで、一息入れて、振り返れば日差しが晴れやかに差し込んでいるよ。生きているって醍醐味だね。



















自分の書いたヤツを、最近、よく振り返るんだけど「カメレオンの独り言」って改題してからのは、なんとか駄文で成り立ってるんだけど、

其れ以前の独り言は、遡れば遡るほどに、我ながら、一言、アホだね。「なんで、そんなの残しておくんだよ?」 不快なる事実だよ。

そのアホを続けていたから今が在る。若い頃のままだったら、ここまでアホを書かなくて済んだろうにブランクが長かったからねえ。






なにを書けばいいのか、皆目、解らぬままに始めたから、便器に糞を残したままのようなもんだよ。「クッサイ表現やのお~」

水に流して綺麗面か? 事実を隠して澄まし顔か? 向き合って生きる、嘘を減らすんだよ。向き合って進化すればいいんだよ。

まあ、今で、ようよう駄文だね。 オレが、思うにはね、世の中は捨てたもんじゃないってことを、このブログで知ったよ。






自分で情けないって吐き捨てるような糞を創ってた頃から、じっと見てくれてた人が居るんだね。

なんとも、未熟で、こそばゆく悲しくなるよな内容でも、オレの可能性を感じ取って見続けてくれてた人が居るんだよ。「可能性か?」

少しは伸びるもんを持っているという可能性だよ。いちいち、人の言葉の上げ足とんなっダアホッ。






オレは、なんで必死になって、昨日、今日、明日を書き続けるかってのはね、この人たちに対しての恩義に報う誠を貫きたいからだよ。



















そのためには、進化を見せねばならん。ほんの些細な進化でも、この人たちには解って貰えるんだよ。見ててね。「おちょくってんか?」

オレは、とことん行くで。見ろっ、疲れて萎えて元気が失せてたオレが、もう、復活している。「ホンマかいな?」

事実を真正面から見据えろ。負けるな、最悪から学び取る、最悪を糧にする、最悪から本当の恥を知って繰り返すな。其れが進化だよ。






昨日のオレは、今日のオレじゃない。「またや」 今日のオレは、明日のオレじゃない。しかし、面倒みてやろう。「なんかッズルいんとちゃうんかえ」

何ごとも、正直過ぎるほどに向き合って負けてしまう人が居る。変化の作用に疎(うと)い人だね。

其処に止まってはいけない。動くということは変化なんだよ。昨日の自分は、今日の自分ではない、明日を創る自分なんだよ。






裏切られたら裏切るな。騙されたら騙すな。泣かされたら泣かすな。嘘を恥じたら嘘をつくな。全て反面教師だよ。

事実をないがしろにしてはいけない。真実を見失うよ。不快なる事実こそが、今の自分を育てる糧となっていることを悟(し)ることだよ。

正直は美徳ってのは、そのことを云ってるんだよ。「目には目をってのはどうなんだよ?」 やり返すならやり返せばいい、






そこから、また、人は学ぶ。因果を引きずるんだろうね。オレの云ってるのは、自分で処す範疇だよ。尾を引かない処し方だよ。



















人は、笑顔の裏側で、些細なことなんだけれども、自分の全てを押し潰されるほどの苦痛を感じるものと戦ってるんだろうね。「そうかあ?」

そうだよ。人の心はね、些細なことほど繊細に感じ取って傷を広げるもんなんだよ。

其れを喜ぶべきだよ、その鋭敏な神経を保有する自分の構造を誇るべきだよ。鈍感な奴には解らんこころの作用だよ。もうひとつの世界だよ。






感じ取れる、微小なるもののほんの揺らめきでさえ反応する、繊細な感受性なるが故だよ。そういう人は、処し方を会得するべしだね。

「おまえの無責任流、他人ごとか?」 其れは、オレの処し方だよ。遠慮なく真似してもいいよ。「誰がするかっ」

高度な機器で動く乗り物を乗りこなすには、それ相応の知識と技術が求められる。繊細さは暴走すると病気を引き起こし破壊へも通じる。






まあ、今日は、転んで停まれば、こんなお話になっていた。つまり、何ごとも停めどころを知るということだね。




























カメレオンの独り言-1268 『話のネタ切れで、映画 ブロークンシティ』

2014年11月03日 | 日記








 『ブロークンシティ』 11月3日








『ブロークンシティ』は、2012年制作のアメリカ合衆国のクライム・サスペンス映画。キャサリン・ゼタ=ジョーンズも枯れたね。






市長選挙を目前に控えたニューヨーク。元ニューヨーク市警察刑事の探偵ビリー・タガート(マーク・ウォールバーグ)は、

現職市長のホステラー(ラッセル・クロウ)に呼び出され、妻キャサリン(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)の浮気調査を依頼される。

実はビリーは、7年前に刑事を辞める原因となったある事件についてホステラーに秘密を握られているんだね。






調査の結果、キャサリンの浮気相手は、ホステラーの対立候補ヴァリアントの選挙参謀を務めるアンドリュースである事が判明する。

キャサリンはビリーに単なる浮気調査依頼のはずがないと忠告するが、ビリーはホステラーに結果を報告して調査を終える。

ところが数日後、そのアンドリュースが何者かに殺され、ビリーは窮地に立たされてしまう、なんて粗筋が紹介されている。






マーク・ウォールバーグ、この役者は、「ローン・サバイバー」の生き残りの兵士役を演じた人だね。

男前でもなんでもないんだけど、それなりに魅せる人だね。

役者になるまでは、人種偏見に凝り固まりドラッグと暴力に明け暮れ25回も警察の世話になったって札付きの悪だったらしい。












『ラッセル・クロウとマーク・ウォールバーグ』







相手役のラッセル・クロウが上手い役者だから、安っぽくない映画にはなってるね。別段、語るべき内容でもないんだけど、

ビリー(マーク・ウォールバーグ)は、売り出し中の女優の卵、ナタリー(ナタリー・マルティネス)とは恋仲、同棲してる。

最初の映画が完成したので祝賀パーティに一緒に出席して欲しいと云うナタリーに、いやいやながらも出席するビリー。












『マーク・ウォールバーグ』







馴染めそうもない映画界の連中に囲まれてパーティの中、試写会になってナタリーのあられもない性交シーンが映し出される。

ビリーは、顔を伏せ、いたたまれない時間を強制されるんだね。隣りの席のナタリーにすれば作品の出来上がりに嬉々としている。

試写会が終ってパーティの場、ナタリーは仲間等とはしゃいでいる。ビリーは、バーで、独り、断っていた酒を浴びるように呑むんだね。






素っ裸で台の上にうつぶせになり背後から交わって、悶える恋人の姿を映し出されて平気な奴は居ないだろうね。






そんなビリーの姿に気付いたナタリーが慌てて止めに入る。ビリーは、「奴と寝たのかっ?」って嫉妬で荒れ狂う。

「オレとは、あんなに燃えないくせにっ」 「こんなパーティぶっ潰す」 なんて、手のつけられない状況になるんだね。

監督かプロデユーサーかの男が止めようと間に入ったら、ビリーは、一瞬で、この男を締め上げて失神させる。生きる世界が違うと理解が及ばないんだね。






失神させられた男は、最初、テーブルを囲んで話す折、ビリーを窺がう目つきや話しぶりが、余所者って感じを匂わせて、受け入れ難い奴だったね。

多くの男の中で対等のつもりで生きる女性ってのは、弾かれる身になるまでは気づきようのない座の在りようなんだろうね。

いろんな世界がある、いろんな世界に、それぞれ男女が入り混じって成り立っている。それぞれが、その人の生きる世界なんだろうね。












『ナタリー・マルティネス』







ある日、部屋に戻るとナタリーの荷物一切が消えている。ビリーに驚きの様子はない。

ビリーが裁判で無罪になり警察を辞職した7年前の発砲事件は、そもそもナタリーやその家族のためにやったことなんだけどね。

年月の経過は、あらゆるものが日々の塵積もりの中で、その形は薄らぎ褪せて昔のこととなるのかね。






うらぶれたビルの片隅に探偵事務所、秘書のケイティ(アロナ・タル)は、ぶっきらぼうな女性なんだけど仕事は出来る。

ビリーの指示通り、なんでもスムーズにこなして滞りがない。ビリーとは、仕事以外、なんの関わりもない存在なんだね。

ビリーは、市長の陰謀を暴露してホステラーを失脚させるんだけど、我が身も捜査中に起こった過去の殺人の新証拠が明るみになり無罪は取り消し再審になる。












『アロナ・タル』







ラスト、警部と警察に向うビリーに、ケイティが待っているって意思表示するんだね。ビリーは、ケイティの想いに気付くんだね。

立ち去るバーの出入口で振り返り片手でバイするビリーの明日が明るいものになる描写がいいね。

目立たず添えもののような存在だったケイティ(アロナ・タル)だったけどラストを締めたね。









映画『ブロークンシティ』予告編











なんか、ちょっと、疲れが出たのかね? チューブに穴が空いてるみたいで、少し走るとタイヤが凹んで快走できないんだね。そんな感じ。























カメレオンの独り言-1267 『ホッポンミー』

2014年11月02日 | 日記







 10月3日







三田村なんとかいう役者が、あちら此方と旅して美味いもの巡りする番組を食事どきに見たけど、近江八幡って、大阪から近いのにいいとこだね。

のんびりとうろつくには手頃なところ。琵琶湖の水郷を屋形船で巡りながら弁当でも食ったら美味いだろうね。

滅多に行きたいなあ、なんて思わないのに、此処は、なんか無性に惹かれるね。カメラ持って、いつか、出かけてやろ。







大阪駅から快速で一時間か、808段の階段上がれば琵琶湖が目の下に広がってる。いいだろうね。



















此処まで書いて、固まって寝てしまったよ。ああ~気持ちいいけど首が痛い。座った姿勢で1時間ほど寝てたんだね。

今日は、なんにも浮かんで来ないね。頭の中が真っ白けだわ。

暫く、瞑想に耽ってたけど、やっぱり、なんのお話の欠片も浮いてこないよ。






こんな時は音楽だね。ヘッド・ホーンを耳にして「縛り首の木」の編集欄を開いて聴いている。画像と活字の配列が気になって直しつつ聴いている。

音楽と画像の流れが合わないね、これは、歌詞を入れて、画像と歌と同調を図らんといかんね、なんて考えてる。

思いついたら遣ることは早い。英語の歌詞を探し出して、1番、2番、3番を書き入れて、4番目で画像と同調させたよ。いいねえ、合ってるよ。






このユーチューブの動画を利用せずに、自分で編集した動画が貼れたらねえ、傑作をお見せできるんだけど残念だね。「独り善がりか?」

オレはね、自分の感性で動画編集するのが好きなの、歌は当然、歌詞の字幕入り、此処ってところで台詞も入れるし、3~4分の動画が出来上がる。

凝ったヤツなんか玄人はだしだよ。時折、ハードに溜めてるのを観る(聴く)んだけど、実に素晴らしいよ。「自分で云うとけ」 






ただ、ハイクオリティな音質は無理だね。そんな録音探すの大変だし、CDなんて、度々、買ってられないから間に合わせになる。



















お世話になってるのに云っちゃあいかんけどね、ユーチューブで出てる動画編集は総じてダメだね。

思い入れを感じる作品もあるんだけど、作者の感性を疑うような出来上がりのものが多過ぎる。「失礼なやっちゃなあ」 

作品を出したら批評は、ついて回る。オレの、このブログもそうだよ。ミソカスに云われて当たり前って思ってりゃいいんだよ。懲りぬことだよ。






日立のプリウスにインストールされてたお手頃な動画編集のソフトが手に馴染んで機能は全部使い果たしたよ。

プロが使用する7万円の編集ソフトが何千円って破格で安売りになってたので買ったんだけど、対応がXPまでだったから使えず終いだったよ。

これが使えてたら、オレの動画編集は、ハイレベルまで進化してたろうね。惜しいねえ、悔やまれるねえ。「もう、そのへんでええやろ」






独り善がりで字数を稼いで、あと少し。 ツルーオブホポニューホッポンミー ツルーオブラブニューラブホンミ~ 「なんや?」 縛り首の木だよ。

「英語で歌ってるつもりか?」 そうだよ。「ホッポンミーって、なんやねん?」 そうとしか聞こえないんだよ。

まあ、今日は、この程度でお茶を濁してだね、皆さんに、我慢頂いて寝ることにするよ。






こういう日はね、なんか、いよいよ、底尽いて来たんじゃないかって不安になるよ。もし、そうなら、あとは掘るしかないね? 「ほいっ、スコップ」
























カメレオンの独り言-1266 『懐かしの映画 縛り首の木』

2014年11月01日 | 日記








 『縛り首の木』 11月1日








『縛り首の木』 The Hanging Tree (米) 1959年公開

監督 デルマー・デイヴィス

音楽 マックス・スタイナー

主演  ゲイリー・クーパー、マリア・シェル、カール・マルデン

主題歌 『縛り首の木』 ( The Hanging Tree ) 唄・マーティー・ロビンス







医師のジョー(ゲイリー・クーパー)は駅馬車強盗に襲われて重傷を負ったエリザベス(マリア・シェル)を救う。

エリザベスはジョーを慕うようになるがジョーはそれをかたくなに拒む。ジョーは女性不信で、もう、女は懲り懲りなんだね。

ジョーに求愛するが拒否された彼女は、町のボスのフレンチ―(カール・マルデン)と共同で金鉱の採掘を始める。






やがて、金鉱が発見される。フレンチ―は、エリザベスを自分の女にして独り占めを企てる。

此の映画は、昔、東芝の白黒テレビ14インチで観たんだね。中学生ぐらいだったかな? 派手な銃撃戦なんてない西部劇でボーと観てたよ。

カール・マルデンのおっさんが、マリア・シェルを襲ってるところへゲイリー・クーパーが助けに入る。

















「これからエエとこやのに邪魔すんなっ」 「うるさいっ、此のエロ野郎っ」 ボコッ、マルデンのおっさんは階段を転げ落ちる。

「そんな台詞があんのんか?」 なくても思いは当ってる。発砲しながら家の外へ逃げるマルデンを、怒りに燃えたゲイリー・クーパーが追う。

這うように逃げるマルデンを撃って、撃って、撃って崖っぷち。倒れたマルデンを蹴り落とす。











『ゲイリー・クーパー』







マルデンの仲間たちに「殺人だっ」なんて扇動された人々が、ゲイリー・クーパーを捕え、丘の上の縛り首の木に連れて行く。

荷馬車に立たされ縄を首に巻かれたゲイリー・クーパー。馬を走らせば足場を失って木にぶら下がる。

そこへ、マリア・シェルが駆けつけて掘り出した金と金鉱の採掘権利書を暴徒に差し出す。「この女は、奴を買うつもりだ、くれてやれっ」









































その声に、我先に金や権利書を奪い合う見苦しい連中は画面から消えて、ゲイリー・クーパーとマリア・シェルが見詰め合う。

此処から、主題歌の伴奏が流れ出す、おおっ、オレの好きな雰囲気。堪らんね~。









Marty Robbins - The Hanging Tree - Country Music Experience










立ち去ろうとするマリア・シェルに「エリザベス」って、ク-パーが叫ぶ。























































『The Hanging Tree by Frankie Laine』




I came to town to search for gold
And I brought with me a memory
And I seemed to hear the night wind cry
Go hang your dreams on the hanging tree
Your dreams of love that could never be
Hang your faded dreams oh on the hanging tree




I searched for gold (at the hanging tree)
And I found my gold (at the hanging tree)
And I found a girl (and I found a girl)
Who loved just me (and she loved just me)
And I wished that I could love her too
But I'd left my heart on the hanging tree
I'd left my heart with a memory
And a faded dream oh on the hanging tree




Now there were men who craved my gold
And they meant to take my gold from me
When a man is gone, he needs no gold
So they carried me to the hanging tree
to join my dreams and a memory
Yes they carried me to-o the hanging tree












To really live you must almost die,









and it happened just that way with me









They took the gold and they set me free               
And I walked away from the hanging tree









I walked away from the hanging tree









And my own true love, Oh yes, she walked with me









That's when I knew that the hanging tree









Was a tree of life, new life for me









A tree of hope, new hope for me                    
A tree of love, new love for me,









the hanging tree









The hanging tree









The hanging tree












ほんの僅かな時間のなかでメロディとともに物語の完結を描写して納得させる。オレは、此れが大好きだよ。

いつまでも、いつまでも記憶に残って、思い起すたびにこころが熱くなるよ。

それが証拠に、オレは、此の映画は、何十年前に、テレビのちっこい白黒画面で一回こっきりしか観てないよ。






でも、このラストのシーンは、記憶に脈々と生き続けているよ。実際は、総天然色だったんだね。












The Hanging Tree - Ending Scene Song by Marty Robbins









ホンマ、ユーチューブって根性臭いね。すぐに消しよるさかい、こっちも負けんと取り溜めておこ。






















カメレオンの独り言