カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1283 『残像』

2014年11月19日 | 日記







 『高倉健』 11月19日








高倉健が亡くなったね。10日の日に独り彼の世へ旅立った。83歳か、早いか遅いか微妙なところだね。

いろんな人が、いろんな想いを言葉にして塗りたくって見送るんだろうね。それらの想いが、高倉健を創ってる。

邦画は、あまり観ないけど、此の人の映画は、いろいろと観た。芸が上手い役者だとは思ったことが無い。






棒読みに近い台詞まわし、正直、喋らないほうがいい。語呂に滲ます味などないに等しい。

でも、存在が言葉になる人柄だね。大画面に映(は)えて他を圧するものを持っている。それだけ有れば役者は一流だよ。

「唐獅子牡丹」では、花田秀次郎(高倉健)を影で支えた風間重吉(池部良)のいなせな男の色気が足らない部分を埋めていた。



















まわりの役者に支えられて創り上げられた、男、高倉健だけど、この人が居なけりゃ始まらないって存在感を発する役者だったことは確かだね。









昭和残侠伝 唐獅子仁義(予告編)










以前に書いたアメリカのオールスター映画 『史上最大の作戦』 に出演していた役者は、今じゃ大方、亡くなってる。

死んでも、元気な頃の姿がフィルムに残って永遠だね。高倉健も、そうして残っていく。時代を生きた人だね。時代を語れば、其の中に顔を出す。

人って面白いもんだね。大方の人は、身内の人の記憶に残る程度で人間を終える。なのに、生きてる時は、自分ほど大きく目立つものは無い。






歴史や時代なんてものは、生きてるもののために在って、人間終えたら、何の関係もないものになってしまう。仮の宿って感じかね。

「だから子を残していくんだろ?」 そうだね、其のとおりだね。でも、生きるってことは不思議なもんだね。

生きるってことは、残像なんかね? あちらこちらと、生きてる間も移動して、其処から消えて残像だけが残る。






出来うるならば、いい残像を残して生きていきたいもんだね。そして、出来うるならば、いい残像を残して、此の世を去りたいもんだね。

残像を残すって表現は、ダブってるように感じるけど、今は此れしか浮かばない。

誰に残すか、誰が残してくれるか、となると確かめようもない。不快の中に残るか、はたまた喜びの中に残るか、其れが問題だね。






同じ残るなら、喜びの中の残像で在りたいね。魂が安らぐよ。























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