カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1272 『映画 プライベート・ライアンを観て想う』

2014年11月08日 | 日記








 『プライベート・ライアン』 1998年公開 11月8日









日中は、暑くもなければ寒くもない過ごしやすい気温だから文句はないんだけど雲の多い冴えない空模様だったね。

西の空に大きな夕陽が沈んで、空を覆う雲ぐもの輪郭辺りを柿色に染めて芸術的だね。

日は、流れるように過ぎ去っていくね。若い人たちは、一日を長く感じるらしいけど歳喰うと日めくりが忙しいほどに感じるよ。






夜、話のネタが浮かばないからパソコンの前でボ~と長い時間、固まってた。欠片も浮いて来ないときがある。

よし、風呂へ浸かって気分転換が先だね、腕立て伏せを70回、毎度のパターンでこなす。鼻呼吸でやると随分楽なのを知ってから苦にならない。

心臓に悪いも糞もない、其の後、風呂に浸かってさっぱりして夕食頂いてから再びパソコンの前につく。しかし、今日はアカンね。全然やわ。






感性に刺激が要るね。後ろの収納家具の引き出し開けるとギッシリDVDが新品同然に詰まってる。う~ん、チャプタで少しだけ観るか。

初っ端から凄まじい戦場シーンの 『プライベート・ライアン』を引き出し、ドライブに入れる。ボックスもDVDもピッカピカだね。

此の映画を観たのは、つい最近だと思ってたけど、考えたら、もう15年ほど前だったんだね。その間、ずっと眠ってたことになる。

















年月の経つことの魔法のような空白を感じるよ。「あいだで観たんじゃないか?」 いや、観てないよ。

ヘッドホーンで音量上げて、映画館もどきで観賞したよ。もう、一言、凄まじいに尽きるね。そこに実際の戦場がある。描写力が並じゃないわ。

スティーブン・スピルバーグ監督の最高傑作だよ。 「シンドラーのリスト」も素晴らしかったけどね。戦場ものではナンバーワンだろうね。






最近作の 「ローン・サバイバー」も凄かった。これ等と並んで 「ブラックホーク・ダウン」この3作だね、文句なしの戦争映画は。

















「感性に刺激を受けたか?」 受けたねえ、血ダルマだよ。戦争について、いろいろと語られてるけど、愚かを繰り返さねばならない宿命の力だろうね。

人類が背負う宿命なんだろうって思ってしまうね。その時代に生まれ合わせた人々が、その宿命に振り回されて嫌がおうなしに地獄を這いずりまわる。

歴史を紐解けば、この殺し合いなくして平和がない。平和が戦争を起こすんじゃなくて、戦争が平和をもたらしていると捉えることができるよ。






愚かを延々と繰り返し繰り返し今に至ってる。何万、何十万、何百万、何千万人の人々の涙の物語が土に埋まるね。

其の都度、人々は、尤もらしいこと云って反省するんだけど、その舌の乾かぬうちに、また、同じことを繰り返す。人間の歴史は血ダルマで綴られてるよ。

核爆弾があろうが無かろうが、平和、平和と唱えようが、転がる因果が巡ってくれば、ええっ、なんでえ?って、吃驚するよな展開で戦争は起きるんだよ。






クソでかい歯車が回りだすと停めること叶わず押し出される。戦争とは、そういうもんだろうね



















割れた腹から腸(はらわた)溢れ出し、首は吹っ飛び、顔は潰れ、手足は飛んで、ひき肉になって死んでいく。凄惨、壮絶の世界だね。

審判の時かね? 生きるか死ぬか、大まかに分けられるんじゃないのかね? 

動物でもあるね、種族が増えすぎると大群になって、次から次へと海へ身を投じて死んでいく。






北欧のレミングが有名だね、ネズミの仲間の小型哺乳類なんだけど、この自殺行為を、なんとかいうんだね? 出て来ないね。

種の存続、増えすぎて存続に危機をもたらす頃合に起こるみたいだね。口減らし、間引きってのかね? 自然の調整の力が働くのかも知れない。

人も、そうだよ、鉄砲持たされたら行くしかない。其処が地獄でも行くしかないんだね。






悲劇は過去のものって思いたい、なんとしても、そう思いたい。我が身は平和に抱かれてゆっくり生きたい、過去の人々も、みんな、そう思ってった。



















人間に欲が有る限り、価値観の相違が有る限り、この因果の宿命は無くならないだろうね。

人は、悲しいぐらいに自分を守る。悲しいぐらいに自分だけは別と考えてしまうね。交通事故なんか他人のことって思ってしまうね。

其の思い上がりが災いの元だね。戦争も、其の思い上がりの集合体が起こすんだね。






戦争に突入する決断を下した双方の者が、まず、死ぬ。それに賛同した双方の者たちが続いて死ぬ。後押しした双方の者たちも先に死ぬ。

この絶対的な運命の約束があれば戦争は、なかなか起きないだろうね。最期を、結果を、見ずして責任を全うできないなんて綺麗ごとは認められない。

命をとして決断せざるを得ない状況では無いんだね。利害の計算上の判断なんだね。実際に鉄砲持って死に行く者たちの頭数数えるのと変わらない。






実際に地獄を舐めた何万、何十万、何百万の戦死者や被災者の名は、歴史に残らない。彼等は数字でしかない。そして、思い上がりの奴等の名が残る。

戦争とは、そういうもんであって、歴史は、そういうもので綴られているんだね。

ただ、流されて鉄砲を持つ。個人的には、なんの恨むつらみの無い者同士が殺し合う。流された代償をともに命を払って果たすんだね。



















自ら数になってはいけない。勇気を奮って、もの言う人でなくてはならない。全てが、過ぎ去ってから、もの言う奴等は、ごまんと居るけどね。

人は、意見を、しっかり持たねばいかんのだよ。人間に生まれたら自分というものを、しっかりと持たねばいかんのだよ。思考の依存は大罪だよ。

人類が背負う宿命の働きならば抗しようもないけれど、鉄砲を持たされる手に平和の旗を握って、何万、何十万、何百万、何千万の人々が一斉に立てば、






宿命の歯車でさえ止め得る力となるやも知れない。連鎖の力だね。愚かな繰り返しの歴史を変えることができるかも知れないね。それが人間の力だよ。









 









どうにもならぬと諦める。成ると云う声が圧倒して諦めを希望に変え不可能を可能にする。これができてこそ、過去の愚かを問えるんじゃないの?





















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