カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1276 『昔が在りて今が在る』

2014年11月12日 | 日記






 11月12日







また、壁に当ったね。見えない壁なんだけど壁だね。なんにも話のネタが浮かんでこないよ。まともに越そうとすると煙草の本数が増える。

仕方ないかと焦らなかったら煙草に手は伸びない。健康のために仕方ないかで諦めようか。

今日は忙しかった。次々片付けるんだけど、後を追うように仕事が増えたね。向こうから来る仕事は、探さなくてもいいから有る意味楽だね。






片付いてほっとしてたら同業の社長さんが来られる。話し相手になってたんだけど、忘れっぽくなったって話で涙が出るほど笑ったよ。

社長さんも顔を真っ赤にして笑ってる。別段、仕事が有っての話じゃないんだけど、子一時間話されて、ご機嫌で帰られる。

笑いは構えないところから零れるね。話も構えない方が流れがいい。






社長さんも、思考の停滞を生じたら足が此方に向くのかね? 顔を真っ赤にして笑ったら遮る壁が倒れて無くなるのかも知れない。





















オレも、気分転換ができる何かを探さねばいかんね。毎日、同じパターンで、話しを続けていけるなら、今のままでも構わない。

瓶(かめ)に水が満杯で注ぎこむ水も途絶えない、そうでなくては栄養の有る話は浮いてこない。

「栄養のある話?」 聞く人が元気になる話しだよ。技だけが上手い話じゃないよ。語るものの思いを込めた話だよ。活字とともに伝わる心だよ。






下手でも生きてる話だよ。子供の頃に帰って噴き上がってくる笑いだよ。しんみり響いて熱くなる、生きる勢いに変わるんだよ。

人は、琴線に触れると敏感に反応する。刺激だね。日頃、仕舞い込んで大人で生きる。

でも、何処かで、声は聞こえているんだよ。遠いところから求める声が聞こえているんだよ。






忘れるほどに現実と戦う人でも、その声を聞くときがある。懐かしい声なんだね。及ばずとも、そんな処に届いて応えてあげれる話がしたい。





















昨日、終業間際に彼女が来た。時折、顔を覗かせる。大きなマスクをしてる。どうした、風邪か? 怪我をしたらしい。

外に出て、階段のところで遊んでる子供たちに相手になってると、一緒に来て足元にかがんでる。

この娘(こ)もオレも、あまり話さない。でも、伝わってくるんだね。オレに勢いをくれるのは昔ながらなんだね。






振り返り見下ろすと、昔のままの彼女が居るよ。「オレから離れずに居ろよ」って、思ってしまうんだね。「どうすんねん?」 こころの話さ。





















千日前の大阪劇場を大劇って云ってたね。その北隣に小さな千日会館って映画館があった。此処は安い料金で3本立ての映画が観れるから人気があった。

場内は、あまり綺麗って感じじゃなかったね。ゴミが散らかって、むわ~っと空気も悪いように感じたよ。

画面も小さくて、お世辞にもいい映画館とはいいにくい。今もあるのかなあ? 大劇との間に交番が在ったような無かったようなウロ覚え。






毎度、見慣れていたんだけど、遠く思い出になってしまうと記憶が頼りだから心もとない。常日頃、慣れ親しんだ処ほど写真に収めておくべきだね。

ネットをうろついてたら懐かしい写真に行き当たる。凄く嬉しいんだね。

この千日会館の前身になるんだろうと思う映画館の写真があった。戦前だね。1938年ってなってる。右が大劇、左は映画館の常盤座だろうと思う。










 『千日会館の前身 大阪ニュース館』










前にも昭和の大阪って本に載っていた南街劇場の珍しい写真を貼ったけど、同じく1938年(昭和14年)当時(下)の写真があったよ。

前に貼った写真は、昭和26年頃のだったから大阪空襲でやられなかったんだろうかね? 三角屋根も一緒だったよ。

戦前は、邦画を上映してたんだね。周りには、建物がなんにも無いような感じで寂しいね。



















ここが高島屋前の難波とは思えない。遠い昔は消えてない、でも、今と繋がっている。昔の無いものはない。人も建物も其の地も同じだね。
























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