脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

はたして使いこなせるのか?

2012-08-31 21:25:03 | 日記 2
携帯をスマホに変えた。
はたして私に使いこなせるのか、
全く自信はない。

今までの携帯は3年以上使っていた。
東京の病院で、
脳腫瘍について必死で検索したのも
この携帯だった

何度も落っことして傷だらけだけど
ちゃんとはたらいてくれてた。
ずっとずっと一緒にいて
私の体の一部みたいだった。

長い間ありがとう。



朝顔

2012-08-31 06:00:48 | 日記 2
今年もひとりばえの朝顔が咲いた。
息子たちが小学1年生の時、
夏休みの観察に学校から持ち帰った朝顔の鉢植え。
こぼれた種が毎年遅くなって芽を出し、
秋まで咲き続ける。
今年はこれが最初の花。
今年も咲いてくれてありがとう。

万灯会

2012-08-25 21:57:16 | 日記 2
今日はお寺で万灯会(まんとうえ)があり、娘と一緒にお参りに行ってきた。
この地域や檀家で初盆を迎えた方たちご家族をお招きしての会である。
今年は26人だとか…一人一人名前が呼ばれ、名前が書かれた灯籠を仏前にお供えする。
夫は昨年のお盆直前、8月7日だから、トップで名前を呼ばれた。
何もこんなところで一番にならなくてもいいでしょうに……

灯籠とロウソクだけの灯りの中、厳かな雰囲気だった。


でもね……



儀式じゃなく
本当に
夫が今も私の心の中にいて
私を支えてくれていることは
事実だから……


夫からもらったたくさんの宝物を大切にして
生きていかなければいけないことも


人はみな
死にゆく者として生きているのだということも


だからこそ
生きているこの瞬間を
いかに生きるのかが問われるのだということも


とてもよくわかるし
本当にそうなんだと思うし
私自身、
そんなふうに生きたいと思うのだけど


力がないのは
どうしようもない。


夫がいたら
こんな私、
きっと「もっと好きにすればいいよ」って
言ってくれたかもしれない。


息子のことも
娘のことも
みんな
なるようにしかならないのだから
思い煩う私が弱いだけなんだろう。

現実

2012-08-20 22:11:32 | 私の思い 2
月曜日は毎週カウンセリングの日。
カウンセリングのあとは落ち込みが激しいので仕事はおやすみにしているのだが、
今日はそのあと保護者会の日帰りキャンプに行った。
一昨年、昨年は夫のことがあり、若い人たちにお任せだったので…少しはお手伝いしなければと……




カウンセリング、
私よりずっと若い臨床心理士の方なのだが
さすがはプロ!と感じいることしばしば。
余計なことは言わない、
あくまでも私中心の会話。
今日も
「ここに来る人は社会に適応したいとか
楽になりたいとか思ってみえるんですよね?
でも、私はこのまま生きていくしかないと思っているのに、
先生も困られますよね?」
と聞いてみた。
「ここにくる意味は○○さん(私の姓ではなく名前で呼んでくださる)が決めることで私が決めることではないので…」と言われた。

夫の闘病中の話は涙なくして語れない。
臨床心理士さん、思わず涙ぐんでおられた。
感情移入しちゃいけないんでしょ、と思いつつ、ちょっと嬉しかった。


夫の闘病中のたくさんの後悔も話して
それら全部を一人で背負っていくのは重すぎるでしょと言われ、
「力があるうちは背負っていられるかもしれないけど……力つきたらわからない」と正直に話した。



今、一番弱いところをさらけ出せる場があるだけ、恵まれているのかもしれない。



でも、不思議なご縁で
今日の保護者会のキャンプに去年から講師できておられる先生とは
娘の幼児の頃からの知り合いで
久しぶりにいろんなお話ができた。


苦しいのも
つらいのも
さみしいのも
後悔も
懺悔も
みんな
仕方ないのだ


だって、それだけ夫に寄り添えなかったということなのだから……


夫と共に
私の一番幸せな時間はなくなった。
もう、
夫がいた頃のように
楽しめることなど何もない。
それはどうしようもない現実なのだから……

君に…

2012-08-17 20:48:34 | 私の思い 2
思い出だなんて呼べない
だって今も君と一緒に生きているから


君はここ
一番身近で生きている
でも恋しくて涙あふれる


君の手のぬくもり恋し
あの頃の君の思いはどこにあったか


あの頃の君を思えば
慟哭の涙あふるる
届かぬ思いに


悔やんでも時は戻せじ
君ゆきて
再びめぐるやけつく夏よ