脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

一年の終わりに・・・

2016-12-30 21:01:46 | 日記 2
今年もお正月の準備などする気持ちにもなれなかったのだが・・

姉からは手作りのお餅
ご近所の本家からも手作りのお餅やハム
義姉からは夫が好きだったちくわやみかんなど・・・
たくさんのものをいただき・・・


ひとつひとつに
娘が
(お父さんが)「好きやったんなあ」と言葉を発した。


明日は大晦日。
夫がいたころと同じように
手巻き寿司をする予定。
「お父さん、巻いてくれたんなあ」と娘。
自分ではうまく巻けない娘に
いつも
巻いて食べさせてくれたのは夫だった。

そんな娘も
今は
ぎこちないながらも
なんとか自分で巻いて食べるようになった。

ねえ、
今なら
ゆっくり食べらるよ?
帰ってきて
一緒に食べようよ。



年末には
必ず
子どもたちが好きだった
「どて煮」も作ってくれた。
わたしは匂いも大嫌いだったので
いつも
外で、炭火を起こして、
何度も下茹でをし
味噌で煮込んで、
匂いがなくなってから家に持ち込んでいた。
息子たちはこれが大好物で、
お正月の楽しみの一つだった。
もう
わたしでは作れないメニューだ


ねえ、もう一度
一緒に
あの
お正月を楽しもうよ・・・






ありがとうございました

2016-12-24 20:03:56 | 日記 2
夫の闘病中から
ずっと私を支えてくださった
たくさんの皆様に心から感謝を申し上げます。

わたしの気持ちは
夫がいなくなって5年4か月たった今も
少しも変わっていません。

夫と共にあった私の人生は
あの時点でピリオドを打ちました。
すべての喜びも悲しみも
夫と共にありました。

いよいよ
視力が落ち
入力のミスも多くなり
さまざまな身辺整理を余儀なくされています。

このブログでつながることができた皆様には
ただただ感謝しかありません。
ほんとうにありがとうございました。
これからは
視力と体力の良いときに
更新できたら・・・と思っています。
最近はずっと不定期な更新しかできませんでした。

とりあえず
皆様に
いちど
感謝を申し上げたいと思います。
ほんとうにありがとうございました。

2016-12-11 20:52:44 | 日記 2
長い間、心疾患を抱えていた母の容態がいよいよ悪い。
心不全がかなりすすんで苦しそうだ。
でも、私たちにできることはほとんどない。
日によって、遺言かと思えるようなことを言ったり
かと思えば、ヘルパーさんへの不満を言ったり
なかなか「悟り」の境地にはほど遠いようだ。

母を見ていると
否応なく、夫の最後の日々を思い出す。
苦しい呼吸なのに
語ってくれる言葉は
感謝の言葉ばかりだった。
どんなに息苦しかっただろうと思うのに
わたしを困らせるようなことは一度も言わなかった。
比べてはいけないと思いつつも
母のわがままとも思える言葉にいら立ってしまう。
いのちを終えるということは
苦しくてつらい修行なのだなあと、改めて思う。

自分は
どんな「終わり」を迎えることになるのだろう。
できるなら
早くその時が来てほしいと願いつつも
とりあえず
母を送り
お世話になった叔母、叔父を送り・・・などど
勝手なことを考える。