このあたりの習わしに
「お花束(おけそく)配り」がある。
ご仏前にお供えしたものをお参りにいらした方に持ち帰っていただいた習わしからだろうか?
ご近所や親戚に
「法要を勤めましたので…」とご挨拶して配る。
昔からの親戚づきあいがあり、
結構な数になる。
月曜日1日かけて配ったが終わらず、
今日も配った
行けば、必ず夫の話をしなければならない。
それは
夫のことを覚えていてくださるということでもあり、
私が知らなかった夫の話もおうかがいできて
嬉しいことではあるのだけれど……
夫がもういないという現実に向き合うのは
とてもしんどい。
今日はお花束配りの途中で
長い付き合いの友人に偶然出会い
「私、こんなに夫に依存していたんだ、って気づかされたの…」と話すと
「それをちゃんと認められるだけあなたはすごいよ」
「そこを認めないと余計にしんどいから」
「30年以上も一緒に暮らしたんだもの、お互いに支えあっていたのは当たり前でしょ」と
さすがは彼女だと思う言葉が返ってきた。
ちょっと勇気をもらったけれど
やっぱり不安定。
仕方ないんだ、と思う。
姉の家も義姉の家も
義兄がなくなってから
孫が生まれ、
孫の成長にあわせて
部屋の模様替えを余儀なくされた。
でも、我が家にはそんなふうに変わるきっかけがないから
きっとずっとこのまま
何も変えられないんだろうと思う。
夜は私の友人たちがお参りにきて下さった。
笑って話していても
そこにいるのは本当の私ではないという感覚。
ありがたいとは思っても
何も楽しむことができない。
どうしようもなく不安定な心と
気長に付き合っていくしかない。
哀しみ坂下りきったらその先は
深い海へと続くのでしょうか
「お花束(おけそく)配り」がある。
ご仏前にお供えしたものをお参りにいらした方に持ち帰っていただいた習わしからだろうか?
ご近所や親戚に
「法要を勤めましたので…」とご挨拶して配る。
昔からの親戚づきあいがあり、
結構な数になる。
月曜日1日かけて配ったが終わらず、
今日も配った
行けば、必ず夫の話をしなければならない。
それは
夫のことを覚えていてくださるということでもあり、
私が知らなかった夫の話もおうかがいできて
嬉しいことではあるのだけれど……
夫がもういないという現実に向き合うのは
とてもしんどい。
今日はお花束配りの途中で
長い付き合いの友人に偶然出会い
「私、こんなに夫に依存していたんだ、って気づかされたの…」と話すと
「それをちゃんと認められるだけあなたはすごいよ」
「そこを認めないと余計にしんどいから」
「30年以上も一緒に暮らしたんだもの、お互いに支えあっていたのは当たり前でしょ」と
さすがは彼女だと思う言葉が返ってきた。
ちょっと勇気をもらったけれど
やっぱり不安定。
仕方ないんだ、と思う。
姉の家も義姉の家も
義兄がなくなってから
孫が生まれ、
孫の成長にあわせて
部屋の模様替えを余儀なくされた。
でも、我が家にはそんなふうに変わるきっかけがないから
きっとずっとこのまま
何も変えられないんだろうと思う。
夜は私の友人たちがお参りにきて下さった。
笑って話していても
そこにいるのは本当の私ではないという感覚。
ありがたいとは思っても
何も楽しむことができない。
どうしようもなく不安定な心と
気長に付き合っていくしかない。
哀しみ坂下りきったらその先は
深い海へと続くのでしょうか