脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

不安定

2012-07-28 22:11:44 | 私の思い 2
このあたりの習わしに
「お花束(おけそく)配り」がある。
ご仏前にお供えしたものをお参りにいらした方に持ち帰っていただいた習わしからだろうか?
ご近所や親戚に
「法要を勤めましたので…」とご挨拶して配る。
昔からの親戚づきあいがあり、
結構な数になる。
月曜日1日かけて配ったが終わらず、
今日も配った
行けば、必ず夫の話をしなければならない。
それは
夫のことを覚えていてくださるということでもあり、
私が知らなかった夫の話もおうかがいできて
嬉しいことではあるのだけれど……
夫がもういないという現実に向き合うのは
とてもしんどい。


今日はお花束配りの途中で
長い付き合いの友人に偶然出会い
「私、こんなに夫に依存していたんだ、って気づかされたの…」と話すと
「それをちゃんと認められるだけあなたはすごいよ」
「そこを認めないと余計にしんどいから」
「30年以上も一緒に暮らしたんだもの、お互いに支えあっていたのは当たり前でしょ」と
さすがは彼女だと思う言葉が返ってきた。
ちょっと勇気をもらったけれど
やっぱり不安定。



仕方ないんだ、と思う。



姉の家も義姉の家も
義兄がなくなってから
孫が生まれ、
孫の成長にあわせて
部屋の模様替えを余儀なくされた。
でも、我が家にはそんなふうに変わるきっかけがないから
きっとずっとこのまま
何も変えられないんだろうと思う。



夜は私の友人たちがお参りにきて下さった。
笑って話していても
そこにいるのは本当の私ではないという感覚。
ありがたいとは思っても
何も楽しむことができない。



どうしようもなく不安定な心と
気長に付き合っていくしかない。



哀しみ坂下りきったらその先は
深い海へと続くのでしょうか

今夜は弱音

2012-07-27 21:18:09 | 私の思い 2
法要をすませて、脱け殻状態。
なんとも情けない。


夫の病気がわかった一昨年の4月から
娘の体調と夫の体調を気遣いつつ
無我夢中で過ごしてきた。まるで夢の中で過ごしていたみたいで
現実感がない。
最後の入院は
もういつ呼吸が止まってしまうのかと
残された時間が惜しくて
ほとんど眠らずにベッドサイドで過ごした。
別れが近いことを思い
泣いてばかりいた。


でも
告別式では泣けなかった。
泣き出したら涙が止まらなくなるとわかっていたから
絶対になくまいと決めていた。
皆さんに笑顔でお礼を言った。


今は毎日、泣いてばかりいる。


たくさんのひとの優しさに支えられていても
夫の強さや優しさはますます輝いていて
夫のいない世界で生きていくことの意味が見いだせない。
夫がいたからがんばれた。
夫と一緒だったから楽しかった。
何をするにも
どこに行くにも
夫と一緒だった。
夫のいない世界で
何をどうしたらいいのか
いまだにわからない。


人はいろんなことを言う。
善意だとよくわかっている。
だから反論できない。
でも
心が悲鳴をあげている。
そんなふうに思えたら幸せなのに……
私には思えないから苦しい。


脳幹グリオーマの方の症状は
再発・転移した昨年春の夫とよく似ている。
拝読していて
身体的にも精神的にも
とてもつらいのがわかる。
夫もきっとそうだっただろう…と思う。
でも、夫は一度も弱音を吐かなかった。
どんな思いであの苦しい日々を過ごしたのだろう…
そう考えるだけで涙が止まらなくなる。
その方とご家族に
穏やかな時間、
ご家族との暖かな時間が
たくさん続くように祈ることしかできない。


私は何のために生きているのだろう?
なぜこんなにも涙があふれるのだろう?

夫がどこかにいるのなら
そこにいきたい。

夫がいてくれなければ
生きている意味などない




我はいま
哀しみ迷路で迷子中
行方不明の君を探して





法要のあとで…

2012-07-23 20:32:56 | 日記 2
21日、夫の1周忌法要を勤めた。

お客様は21名。

ごく近しい人だけをお招きして
質素に行った。

義弟がいろいろと気を配ってくれて
おかげで本当に心暖まる法要になった。

義姉家族と夫の従兄は泊まってくださり、
ゆっくりお話ができた。


法要の席では、
いつも夫が口癖のように言っていた
皆さんへの感謝の思いをお伝えした。
19歳で父親をなくした自分が
田舎の慣習も何も知らない中で
なんとか家長としてやってくることができたのは
手取り足取り教えて下さった親戚やご近所の方々のおかげだといつも言っていた。
その言葉を皆さんにお伝えし、
夫に代わってお礼を申し上げた。


昨日は夫のお友達二人がお参りに来て下さった。


こうして
たくさんの人の心の中で
夫が生きていることが何より嬉しい。


病気の話になれば、
やはり、
涙があふれる。
苦しい治療にも検査にも
一度も弱音を吐かなかった夫の
「治りたい」という一念を思い
その苦しみに寄り添えなかった非力を懺悔するしかない

時間が戻せないことがわかっていても
あの日に帰りたいという激しい思いを抑えることはできない


夫のように
強く生きられるようにならなければ……
夫が最後の日々、
身をもって示してくれた生きざまを
見倣って生きていきたいと思う。


強くならないと……
強くならなければ
優しくはなれないから……

最後のメッセージ

2012-07-21 04:29:00 | 私の思い 2
今日は夫の1周忌法要。
叔父の50回忌と義母の33回忌も併せて勤める。
夫の命日は8月7日なので少し早いのだが、
あまりお盆直前というのも
お参りしてくださる方々のご都合はどうかな…と考え、
少し早くした。


ここ数日、
家の中の片付けをしながら、
泣いてばかりいた。
夫がいなくなってからも
ずっと触れることさえできなかった
様々なものが
夫の闘病中のままになっていたから…
でも、結局、
ほとんど片付かないまま
当日を迎えてしまった。


夫の携帯の履歴を見ていて
私への最後のメールを見つけた。
昨年の6月13日、
以前のメールを誤送信したものだと思っていたのだが……
「いろいろあるでしょうが焦らないでください!明日は歯科に寄ってから帰ります」という
元気だった頃、泊まりの仕事の夜に送ってくれたメールの再送信だった。
毎日、
夫の状態や来客、食事内容、私の予定など細かく記録していたのに
なぜか
この日の記録は真っ白。
何も書けないほど大変な状態だったのか
逆に落ち着いていたのだったか……


当時は携帯の誤操作だとしか思っていなかったのだが
あらためてそれを見ていて
それは夫からの私へのメッセージではなかったのかと思えてきた。
もう、
メールをうつことも
自分の思いを言葉にすることもできなくなっていたが
思考力は比較的しっかりしていた夫が
自分の思いを伝える唯一の手段として
使ったのではなかっただろうか……


あのとき、
なぜそこに思いが至らなかったのかと
激しい後悔の嵐の中にいる。


でも、
今、
この言葉は
そのまま
夫から私への最後のメッセージとして
心に響いてくる。
私のすべてを受け入れて
認め、
支えてくれた夫。
「焦らないで」と言ってくれた
その言葉を忘れないように……ゆっくり生きていこうと思う。


眠れないまま夜が明けようとしている。


今日は
きちんとご挨拶をしよう。
夫がいつも言っていた
皆さんへの感謝の思いをお伝えしたいと思っている。


がんばれますように!
あなた、今日も私を支えてね!

つながるいのち

2012-07-13 21:18:43 | 私の思い 2



『生き物は必ずいつか死ぬ。
 ・・・・
 ・・・・
 たとえ自分のいのちが終ったとしても、
 自分の考えが残っていれば、
 それは「いのちがつながっている」ということだ。』

夫の思いを引き継いでいくことだけが
今の私にできる
「夫のいのちをつないでいく」ことなんだと
あらためて思った。


弱虫で
鬱のどん底で
涙が止まらなくて
それでも
娘の前では笑っていなければならなくて
仕事場では「しっかり者」を演じて
(そろそろ化けの皮がはがれてきたけれど・・・)
夫の法要の準備も
何も進まなくて
ただ
ただ一日いちにちを
やっとの思いで過ごしているだけでも


そんな私だけど

それでも
最後まで
自分のことより
相手のことを優先させた
夫の生き様を
ちゃんと引き継いでいかなくてはいけないのだと
必死で自分自身に言い聞かせている


「いのちがつながっている」ということは
夫の思いが
今も私の中で生きているということ。
夫の思いを
私が引き継いでいくことだけが
夫のいのちを生かし続けるということ。


哀しみは
哀しみとして
私の大切な一部なのだと認めよう。
そして
これからも夫と共に歩いていこうと思う。