脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

どうすれば・・・

2018-09-13 18:36:45 | 日記 2
いろいろなことが重なり
気持ちがついていけない


論理的には
わかっているのだけれど・・・


ひとつは
大学病院の主治医から
女性科のドクターとも相談し
ホルモンのことがあり
下垂体腺腫の手術後ずっと飲んできた薬を
やめてみたらどうかという提案だった

もう一つは
娘が32歳になったこともあり
小児科を卒業して
神経内科に移らないかという提案だった

急なことで
予想もしていなかったので
頭はフル回転
気持ちがついていかないことは
二の次で
正しい答えを出さなければならなかった


わたしは
東京の病院で
この薬は一生飲み続ける薬で
腫瘍は、完全には取り切れていないけれど
この薬でコントロールできると説明を受けたことをお話しし
もしやめる方向で考えるとしても
一度にではなく
ホルモンの検査をしながら
少しずつ減量したいとお願いした
当然ドクターも
そのことは考えていてくださったようだった

そして
小児科卒業の件は
今、薬を減量していく過程は
主治医に見守ってほしいことをお願いし
経過がはっきりするまで
1年程度の猶予をほしいとお願いした

主治医の説明はよくわかり
小児科卒業の件も仕方ないことなのだと思うけれど
長い間お世話になり
娘の体質もよくわかっておられ
いままで
わたしの精神的な部分も含めて支えていただいてきたので
とても不安で


言葉に表すことなどできない
仕方ないのだとわかっている
わかっているのだけれど
なぜ
今なのか
とても不安で


夫が
自分の異変に気づきながらも
娘の入院を優先させてくれて
文字通り
「いのちがけで」守ってくれた娘を
わたしが守り抜かなければならないのだと


でも
私のちからでは
とても守りきることなどできなくて
主治医をとても頼りにしていた


娘の下垂体腺腫をみつけてくださったのも
東京の病院を紹介してくださったのも
すべて
この主治医だったし


どうすればいいのか・・・


どうすることもできないのだと
わかってはいるのだけれど・・・・


こんな時にかぎって
職場でも
いろいろなことが起きて
きもちが
ぐちゃぐちゃになっている





台風

2018-09-08 19:03:42 | 日記 2
台風が過ぎたと思ったら
大きな地震・・・
ほんとうに自然の大きな力の前では
人間は無力だと
つくづく思う・・・


台風のあと
倒木のため
50時間以上停電していた

20年以上前
夫が
弟の家の建て替えで不要になっていた
太陽熱温水器をたった一人で取り付けてくれていた
そのおかげで
入浴はできていた

こんな時にも
夫の力を思う


夫が生きていたら
きっと
友人から
発電機を借りてきてくれただろうな・・・
などと思う


冷凍庫のものは
半分溶けかけた時点で
娘のグループホームにも持っていき
自宅でも
できるかぎり調理して食べた

市内には
まだ停電したままの地域もあり
市内の温泉施設が
その地域住民には無料開放されている

我が家は
週末前に回復したので
週末には
娘を連れ帰ることができた


いろいろなことが起きるたび
「夫が生きていてくれたら・・・」と思うことばかり


でも
仕方ないのだと
自分に言い聞かせる
いや
自分を
説き伏せる、と言ったほうがいいかもしれない


近所のおばさんが亡くなられた
田舎のお付き合いでは
葬儀のお手伝いなど
男手が必要なことが多い
夫がいないわたしは
とても肩身が狭いけれど
仕方がない・・・・