脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

未来

2014-06-23 00:13:29 | 私の思い 3
夫がいた頃、
わたしには未来があった。

名古屋の病院を退院するとき、
ドクターから
夫の余命は三ヶ月から半年、と言われた。
冬は決して越せない、と。

それでも、
夫と共に過ごしていた日々、
それは未来のことだった。

その
未来に怯えながらも
現実に
今という瞬間があり、
未来はその先にある時間だった。



今、
わたしには
未来という時間はない。

想像することができない。

期待することもない。

今という時間さえ
わたしとは無関係なところを
流れている


絶望も希望も
過去も未来も

それらは
人生を味わうことができるひとたちのものだ



なにも、ない。

娘のおもい

2014-06-16 22:10:50 | 私の思い 3
娘の調子が悪い。
今まで三年近く
きっと
がまんにがまんを重ねていたのだろう。
今は
娘が言葉にできないたくさんのおもいに
とことん付き合うしかないと思っている



夫が病気になって
再発してからは
娘は
有無を言わさず
ケアホームに預けられてきた。
そうでなければ
再発した夫の病院に
3か月もずっと付き添うことはできなかった
再発して
車いすになって
たびたび混乱する夫と
生活のすべてに支援が必要な娘との生活は
週末だけでも精一杯だった

娘は
週末に帰宅するたびに
混乱が深まってゆく父親の姿に
どれだけ戸惑ったことかと思う

あんなにやさしかったお父さんが
どんどん
お父さんとは違う人格になってゆく・・・


それは
ほんとうに
残酷なすがただったし
娘には
ショックな出来事だったと思う


重度の知的な障がいをもつ娘が
そんな経験をして
よくいままで頑張ってきてくれたと思う

そのひとつの原因は
わたしが不安定だったからだろう

わたしが
ないてばかりいるから
むすめは
自分のかなしみを表現できなかったのではないだろうか

いまになって
むすめの
そんな緊張感が
ぷっつりと
切れたのだとしたら
わたしは
それに付き合わなければならない
娘の心が満足するまで



あのころ・・・

2014-06-16 21:08:35 | 私の思い 3
だんだんと
できないことが増えていったころ・・・


わたしは
夫に
いのちのおわりが近いことを悟られてはならないと
必死で笑っていた

「あんたはどうするんや」と夫はくりかえし尋ねた。

失語がすすみ
意味を成す言葉をほとんど話せなかったのに
たどたどしい語り口で
夫はくりかえしその質問を口にした。

あのころ、夫はきっと気づいていたのだ。
自分がいなくなったら
わたしたちはどうやって生活していくのかと
そのことをくりかえし心配していたのだ、と思う。

わたしは
その質問の意味に気づきながら
気づかないふりをし続けた。
夫が
残してゆく家族のことをどんなに心配してくれていたか
そして答えようとしない私に
どれだけ失望し、絶望していったか。

最後の時間を
穏やかに過ごすどころか
わたしは
夫の問いにこたえようとせず
夫を絶望へと追い込んで行ったのだ、と思う。

できなかった。
夫のいのちのおわりがちかいことなど
決して認めることはできなかった。

けれど
それは
わたしのおもいであって
わたしが認めようと認めまいと
その「とき」は確実に近づいていたのだ。

いちばん大切にすべきは
当事者である夫の思いだったのだ。

どれだけ悔やんでも
もどれない大切な時間を
無為にすごしてしまったことへの
切り裂かれるような胸の痛みと懺悔の思いを
わたしは
ずっと
忘れてはならないのだ。

言えなかったことば

2014-06-15 21:41:12 | 私の思い 3
世の中では
「父の日」だとか
「サッカー」だとかで騒がしい。
でも、
我が家には
なんの関係もない。

娘が体調を崩し
微熱だけれど
あまり元気がない。
「父の日」という騒ぎと関係あるのかな・・・?
これから先も
「お父さん」のいないとしつきを
送っていかなければならない娘の気持ちを思う。


深夜、眠れずにいると
激しい耳鳴りに圧倒されそうになる。
これが
わたしの精神状態のせいだとすれば
付き合っていくしかない、と思う。
調理ができないことや
ほとんど眠れないことや
できなくなってしまったたくさんのことと同じように
受け入れていくしかないのだろう。


だんだんと
できないことが増えていった日々、
夫はどんな気持ちでそれらを受け入れていったのだろう。
そんな中でも
残してゆく家族のことだけを気遣ってくれていた。
自分の病状に関する不安は口にしても
できなくなったことへの悲しみを口にすることはなかった。



あのころ
一緒に
「つらいね」と泣けばよかった。
そしたら
夫も
自分のつらい思いを語ってくれたかもしれないのに。



いつのまにか

2014-06-12 05:08:01 | 私の思い 3
こころをとざして
まいにち
耳鳴りだけを聴いていると
夫が
現実にここにいないことと
かつて
たしかに存在したこととの
境界がなくなって
曖昧な霧のなかで
となりにいるような気がしてくる
そして
ふと
現実に引き戻されると
いつのまにか
冬から
初夏へ
季節が変わっていた。




主なき庭にも初夏はめぐりきて
芝青々と覆いつくせり