脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

どうしたって

2016-02-21 20:45:47 | 私の思い 3
なにを
どうしたって
たいせつなひとをうしなったかなしみは変わらない

はげまされたり
多分、あきれられたり
しんぱいしてくださるひとも

みんな
「善意」なのだとわかってはいるけれど
わたしの思いにはしっくりこない

たぶん
ほんとうに
たいせつなひとをうしなってみないと
このきもちは
わからないのだと思う


それは
しかたのないことなのだ


わたしだって
夫とともに闘っていたころは
こんなふうに
かなしみのそこで
ただ
ただ
まいにちをやりすごすしかないことなど
想像すらできなかったのだから


それでも
日々の暮らしは
まいにち
ずっしりと重く

やらなければならないことも
つぎつぎとわいてきて

それらから
逃げたいわけでもないけれど
それらのひとつひとつに
大変なエネルギーが必要でもある


どうしたって
かなしいだけなら
いっそ
まいにち
かなしみの底で
じっとしていられたらいいのに・・・


せつない

2016-02-07 21:44:08 | 私の思い 3
昨日は母方の従兄の告別式だった。
8歳年上だったが、家が近かったこともあり、
兄妹のように親しく育った。
土曜日だったため
娘をつれて参列した。

同じ市内なので火葬場は夫の時と同じ場所。
従兄の棺が炉に入る瞬間
娘が「お父さんも入ったんなあ」と言った。
娘はどんな気持ちでいるのだろうと心配したが
お骨になった従兄を見ても
特に表情を変えることはなく
淡々としていた。
こうやって
娘も娘なりの理解をし、
人との別れを受け入れてゆくのだろうな、と
少し安心した。


が、わたしは・・・


夫がどんなに心残りだったことか、
夫がどんなに私たちを心配してくれていたか、
夫から受けたさまざまな教えを思いながら
もう二度と会えないことに
哀しみを募らせている。


二度と戻らない時間だと
わかっていても
どうしようもなく
せつない。