脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

育猫日記 4

2012-11-27 20:51:15 | 日記 3


ワンコの尻尾にじゃれる子猫。
ワンコはこわくて動きが止まる。
でも、こんなふうに
お互いに
なんとなく「共存」している。

ふと、思った。

この犬は今3歳半。
順調に育てば、あと12年くらいは生きるだろう。
この子猫も健康なら15年くらいは生きるだろう。
私は・・・・
そんなに生きられるのだろうか・・・・
何も考えないで
小さないのちを預かったことを
少し後悔している。


感謝

2012-11-26 22:26:14 | 私の思い 3
非公開にしている記事を読んで、
本当にたくさんの人たちに支えられてきたことにあらためて感謝している。

病気のこともよくわからなくて不安で一杯だったころ。
少し体調が落ちついて、毎日、笑顔でいようと精一杯だった頃。
だんだんとできないことが増えていく事への不安。
そして、急激に症状が進んで、日々、自分の思いを書きなぐっていた頃。
穏やかに過ごしたいとひたすら願っていた頃。

いつも、たくさんの方に応援していただいたり
励ましていただいたり
心温まるお言葉をたくさんいただいた。
わたしにとって
このブログは、毎日を闘い続けるエネルギーの源だった。

愚痴もたくさん書いたし、泣言もたくさん書いた。
そのたびに、ありのままの私でいいと
たくさんの方が力づけてくださった。

すべてのかたに
あらためて
こころから
「ありがとう」と申し上げたい。



・・・・・・・・・そして、今。
私の周りにいてくださるたくさんの人が
私を支えていてくださることにも
ここころから感謝している。
本当にたくさんの人に力をいただいている。



「鬱」は少しはよくなっているのだろうか?
よくわからないけれど、少しは眠れる日もでてきた。
去年の冬は体中の筋肉がカチカチで
どんな姿勢をとったら眠れるのか、楽になれるのか
それすらわからなかった。
ほとんど眠れないのに
少しも眠くならなかった。
今は、横になれば
筋肉は少しはリラックスできるような気がする。

食事のしたくはまだ、できない。
メニューが思い出せないのだ。
何を作っていたのか、思い出せない。
思い出すのは夫の好物ばかりなのだけれど
夫の好物を作って食べることは、まだできない。
買物に行っても、何を買ったらいいのかわからない。
仕方なく、毎回、同じようなものしか買ってこない。
でも、それさえ作れなくて、冷蔵庫でダメにしてしまうことのほうが多い。
このところ
関東煮と、鍋物と、カレーだけは作れるようになったので
そればかり作っている。
休日のメニューはそのくりかえし。
平日は作る気力もないので、買ってきたお惣菜ですませている。
でも、去年の冬はほとんど食べ物が喉を通らず
6キロやせたけど、
今は体重も元に戻ったので
体調はよくなっているのだろう。


家事はまだできない。
ほとんどの時間をぼーっと過ごしている。
洗濯機を廻すことも
洗濯物を干すこともよく忘れる。
部屋も片付かない。
それでも、
つらい気持ちを他の人に話せるようになっただけいいのかもしれない。
今は、何人かの人に
正直な気持ちを話せるようになってきた。

今は、無理に元気にならなくてもいいのかな・・・と思っている。
いつまでたっても
悲しいし、切ないし、寂しいし
後悔と懺悔の気持ちで、胸ははりさけそうだし、
何をしても楽しいと思えない。
そんな自分の気持ちに正直に生きていこうと思う。

夫がいた頃は、精一杯笑っていた。
いつか、あんなふうに笑えるようになれるだろうか・・・
夫がいた頃、
毎日、その日その日の夫の状態にむきあって
必死のおもいで過ごしていた。
今も、毎日、その日その日の自分の心の状態にむきあって
一日一日を大切に生きてゆくことしかできないのだと思う。
夫がのこしてくれた
たくさんの暖かなおもいと共に・・・。

育猫日記 3

2012-11-18 21:24:48 | 日記 3


ファンヒーターの前で並んで丸くなっている猫たち。
体重は2キロをこえた。
動きはますます激しくなり、
すごいスピードで部屋中走り回るので、
夫の写真も落っことしてしまう。
子猫に罪はないのだけれど、
「お前はお父さんをしらないからねぇ・・・」と悲しくなる。

ワンコとは微妙な距離。
子猫は遊んでほしいのだけれど、ワンコの方ははちょっとこわいらしい。
自分のほうがずっと大きいのに
子猫がちょっかいをだすとワンコの動きがとまる。
それでも、同じ部屋の中で3匹一緒にいられるようになってきた。

夫がいたら、この三匹の姿をなんて言ったかなあ・・・

心が先か、体がさきか?

2012-11-17 14:34:15 | 私の思い 3


3年間はいてきた靴にさよならをすることにした。
夫が発病する前の年の秋、
(今から思うと、時々固有名詞が出にくいという症状が出始めていた頃)
「視覚障害者移動支援従業者研修」を受講した。
音訳ボランティアを通して、視覚障がいのかたたちとお会いする機会が多く、
その方たちの不便さを知り、少しでもお手伝いできることをふやしたいと願ったからだった。
その講習の中で、外出実習があり、
お互いにアイマスクをつけて、バスや電車に乗ったり、食事や買物をしたり、
そのあと、市街地を歩行するという実習だった。
当日の天気もわからないので
完全防水で、軽くて歩きやすい靴を探した。
当然、そのあとの、実際の外出支援のときのことも考えてのことだった。
それまでは、特売の靴がほとんどだったが
これはいつもの10倍以上のお値段で
私にしては、ものすごく思い切った買物だった。
おかげで、東京に行くときも
夫の車椅子を押すときも
天候のことは気にせず
この靴一足で過ごすことができた。
昨年秋、靴底だけ貼り替えてもらって
まだ当分履けるつもりでいたのだが
わずか1年で踵のうしろ部分が磨り減ってしまった。
たぶん私が足をひきずって歩いていたのだろうと思う。
いつもうつむいて歩いていたので・・・・
新しい靴にして
気をつけて足を上げて歩くようになった。
足を上げるためには
前を向いて、歩巾を広くして歩かなければならない。
それは「元気そうな」歩き方。
すると不思議なことに
心が少し軽くなった気がするのだ。

心が先なのか、体が先なのかはわからないけれど
人間の心と体は密接に関係しあっているのだろうなあと思う。

2012.11.4  記


夫の思い

2012-11-13 22:59:18 | 私の思い 3
ずっとつらくて読み返せなかった闘病中の記録を
やっと読み返した。

そこには
私が忘れていたたくさんの夫の姿があった。

私は、夫の苦しかった姿ばかりを思い出しては
後悔と懺悔の涙を流していた。
苦しかった夫に対して何もできなかったことを悔い
ただひたすら、夫のもとに行きたいと願っていた。

でも、そこには
苦しくても生きようとする夫の姿、
娘とささやかなふれあいを楽しむ夫の姿、
私に、たくさんの気遣いを示してくれた夫の姿が書かれていた。

そうだった・・・
夫は、自分の思いが伝えられないことに苦しみ
だんだんといろいろなことができなくなって行くことを不安に思いながらも
それでも、その時、その時の小さなできごとに感謝の言葉を忘れなかった。
私への最後のはっきりした言葉は
「こんなに苦しいのに何もしてあげられなくてごめんね」という私に
「そんなことはもういい」と言ってくれた。
看護師さんへの最後の言葉は
口腔清拭をしてくださった看護師さんへの
「ありがとう」という言葉だった。
もうほとんど意識もないようにみえた夫だったので
この言葉を言った時には、看護師さんも私もとても驚いた。
そのあとも、娘の声にだけは反応していたが
それも、だんだんと弱くなっていった。
でも、旧友や親戚の方が来てくださると涙を流していた。
あの苦しい息の下で、夫は何を思っていたのだろうか・・・

夫が残してくれたたくさんの思いを引き継いでいくことしか
私の生きる道はないと、今も思う。
そのための力がほしいと切望する毎日である。

2012.11.13  記