脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

猫もワンコも・・・

2014-01-26 23:51:00 | 私の思い 3
今月は猫とワンコにたくさんお金がかかって大赤字。

年初め、
私の風邪と同時期に
ワンコが血便と激しい下痢で
病院へ。
急性の大腸炎とのことで
幸い
療法食と服薬で治まった。

老猫の定期通院は
血液検査もろもろ。
状態は改善されていたものの
尿量をチェックする必要があり、
今までの一週間取り換え不要の
システムトイレから
固まるタイプに変更。
新しいトイレを通販で購入した。
ついでに
二匹の猫を同時に病院に連れて行くため
キャリーももうひとつ必要なので
注文。


老猫がトイレに慣れるために
まずは砂を入れないまま
居間に置いておいたら
若猫がさっそくチェックしていた。





キャリーは老猫がチェック。



君たち、
使うのは
その反対なんだけどね~?

猫もワンコも
とりあえず
元気でいてくれて
ほっ。




今夜は
とても風が強い。


ひゅうひゅうと
こころの中を
吹き抜けてゆくようだ。

もう二度と・・・

2014-01-19 22:03:22 | 私の思い 3
長引いていた風邪も
ようやく快方に向かっている。
13日ごろから
少しずつではあるが
声が出るようになり
まだ嗄声ながらも
日常生活には不自由しないほどに
発声できるようになった。
夜の
咳き込みはじめると
どうにも止まらなかったしつこい咳も
おさまってきた。
幸い、娘にはうつらず
ほっとしている。


時給で生活している身には
いつまでも
仕事を休んでいるわけにもいかず
仕事は
二日休んだだけだった。






いろいろな
つらい時期があったけれど
夫が
仕事を休むことなく
出勤し続けていたことを思い出す。

つらい時期に
夫が仕事に出かけていくのに
私が泣いているわけにはいかず
夫のいないところで
一人
涙していたことも。

夫の前では
努めて明るく
ふるまっていた。







時間は
何も解決してくれない。
ただ、
時間の経過とともに
思いは変化してゆき
結果として
考え方や
思いの在処が変化するということは
経験してきたことだ。




恋しさや
愛しさや
切なさは
時間とともに
増すばかりだ。





でも、
夫には
もう二度と会えないのだという
現実を
なぜだか
納得せざるを得なかった。





さまざまな
宗教を思ったけれど
どの教えも
夫が
夫のままで
夫の人格をもって
存在しているということは
証明しえなかった。


いま
夫が
どこで
どうしているのかは
知る由もない。
ただ
もう
あの
肉体の苦しみから
解放されていることだけは
信じうる。


もう
苦しくないという
そのことだけが
今の
私の
慰めとなっている。








老猫の血液検査に行ってきた。
療法食のおかげで
数値が改善され
もう少し
元気に暮らせそうだ。

人間も
動物も
いつかは
いのちの終わりを迎える。
いのちは
ただ
一度のもので
終われば
二度と
戻ることはない。

それでも
いのちがある限り
みんな
そのいのちを
精一杯
生きるしかないのだろう。






夫が生きたあかしを
受け継いでいけるのは
わたししかいないのだ、と思う。


もう
二度と
会えなくても
夫の
思いは
私の中で
生き続けているのだから。

すべてが・・・

2014-01-14 22:01:00 | 私の思い 3
もう
なにも
夫のために
できることはない。

その
冷徹な事実を
私は
認めなくてはならない。

どんなに悔やんでも
どんなに懺悔しても
どんなに切なくても
どんなに恋しくても

それらは
すべて
私の「思い」であって
夫には届かない。

夫の「思い」は
過去形で
私の「思い」は
現在進行形なのだ。

すべては
それを
認めるところからしか
出発できないのだろう。

私は
過去形の夫と共に
現在進行形で生きていくのだ。




夫が
いま
どこで
どうしているのか
知りたいと願った時期があった。

遥かな高みにいるのか

千の風となって
私のまわりにいるのか

はたまた
目にみえぬひかりとなって
私を導いているのか



いずれにしても
あの
闘病の苦しみや
混乱からは
開放されているのだろう


であるならば
私が
あのころの
夫の苦しみや
不安を
いま
わがことのように
苦しんでも
なんの意味もないのかもしれない。


もしも
もういちど
夫に
まみえることができたら
そのとき
夫は
夫の人格をもっているのだろうか?
たぶん
答えは否。

どんなに悔やんでも
どんなに恋しくても


もう二度と
夫には会えない。



戻らない

2014-01-06 18:46:50 | 私の思い 3
やっと長いお正月休みが終った?
はずなのに、
日常生活に戻れない・・・・・


先月、20日頃から風邪気味だったが
熱が出ないので仕事を休むこともできず、
休みの間には良くなるだろうと思っていたのだが・・・

年末から喉の痛みと咳がひどくなり、
年が明けてからはひどくなるばかり。
それでも、熱が出ないので
ご近所のお付きあいや
親戚へのご挨拶はかろうじてこなした。
娘がいるから
食事の仕度はしなければならず
お風呂にも入れてやらなければいけない。
娘と入浴すると
私は充分暖まれないが仕方ない。
そんなこんなで
すっかりこじらせてしまったようだ。

声が出ないので、
娘の相手もしてやれず
かわいそうだった。
一人でおとなしく
テレビを見ていてくれた。

日曜の夕方、
娘をケアホームに送ったら
急激に疲れがきた。

熱が上がり、
頭痛、悪寒、関節痛。

仕事初めだというのに
年明け初日から休んで病院に。

病院も今日からなので
すごい人。
待ってるだけで
余計に悪くなりそうだった。

とりあえず、
肺炎はおこしていないということで
ほっ。

でも、声はでないまま。

薬を飲んでも
声が良くならなかったら
耳鼻咽喉科にかかるように、と。


声が出なかったら
仕事ができない。


もう、3日間、
まったく声が出ない状態が続いていて
声のだしかたを忘れてしまったのではないかと不安になる。
病院でも
郵便局でも
筆談で用をすませたが・・・


錯語の激しかった頃の
夫の気持ちを思う。
自分が伝えたいことが
伝わらなくて
どんなにつらかっただろうと思う。

最後の日々、
友人や親戚の人たちの来訪に
もう
目を開けることもできなくなっていたのに
涙を流していた。
きっと
伝えたいことがたくさんあったんだよね?

自分は
声が出ないだけでも
こんなに
不安で不自由なのに
夫は
どんなに不安だったことか・・・

昨夜の頭痛の間も
夫が耐えていた痛みのことを思い、
涙が溢れた。

手術後、
頭痛はかなりあったようなのに
看護師さんたちには
「我慢できるよ」と言っていた、と
開示してもらったカルテに書かれていた。

そんな痛みの中でも
娘のことを案じ、
急いで帰って来なくていい、と
言ってくれたのだった。

どんなに苦しくて
不安だったことだろう。

開示してもらったカルテの
看護記録には
ひとりで気丈にふるまっていた
夫の姿がたくさん書かれていた。

こうして
ひとりぼっちで布団にいると
あのころの
夫の気持ちを思い、
涙が止まらない。

夫の願いは
娘が元気になって退院してくることだった。
そのために
ひとりぼっちで
痛みにも
将来への不安にも
耐えていた。
私を心配させないように
私には一度も
痛みのことは言わなかった。

その
夫の優しさに甘えていた私。

悔やんでも
悔やんでも
時間は決して戻らない。

お客さま?

2014-01-02 20:02:21 | 日記 3
我が家のお墓は家の奥、
もう
その向こうは山になる、という位置にある。

山から降りてきた群れを見張るのには
絶好の位置にあるらしい。

いつも
ボス猿らしき猿が
お墓の台座の上、
時には
墓石の上に座っている。

年末も
掃除がすんだお墓で
南天を食べ散らかして
毎日、
掃除のやりなおしだった。



木の上で
こちらを眺めている二匹。
こわくて
お墓に行けなかった。