脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

変化 2

2022-01-31 10:26:10 | 日記 2
いつからかはわからないが
夫の闘病中から
味覚がおかしくなっていた
気付いたのはずいぶんたってからで
原因も治療法もわからないまま

ビールは苦いだけになり
甘さもあまり感じなくなって
苦手だった甘いお菓子が食べられるようになった
微妙な味わいは感じられなくなり
ダシのおいしさもわからなくなった
コーヒーも苦いだけになり
ミルクをたっぷり入れないと飲めなくなった
匂いもあまり感じなくなって
おいしいという感覚がなくなった
ただもっちりしたパンの感触や
パリッと焼けたパンの皮の感触などだけが
おいしいと感じられるものになった

そんな生活がずっと続いているのだが
先日、高級な紅茶をいただき
ふと、すっかり忘れていたことを思い出した

「私、ミルクテイーが好きだった!」と。
ふいにそのことを思い出した。
そういえば
夫が発病してからは
ゆっくり紅茶を味わう時間など無くて
インスタントコーヒーばかりだった。
どうして思い出さなかったのだろう。
何度か紅茶をいただいたこともあったけれど
なぜか自分は紅茶は飲まない、と思いこんでいて
すべてだれかに差し上げてしまっていた。
記憶の片隅にもなかったのだ。
今回、紅茶をいただいたときもまだ思い出せなかった。
何日かがすぎ、
「この紅茶はどうしようか?」
「おいしそうだけど、だれにもっていこうか?」
などと思っているとき、
突然に思い出した。
「私、ミルクテイーが好きだった気がする・・・」と。
おそるおそる淹れてみた。
ミルクたっぷり。
忘れていた味だった。
でも、なつかしい味だった。


思い出せないことは今もたくさんある。
夫が元気だったころ作っていた料理を思い出したいと思うときもあるけれど
心が蓋をしているならしかたないのだろう。
夫がいなくなったことも
たくさんの思い出を失ったことも
すべてを事実として受け入れていくしかないのだろう、と思う。

若いころ
人生は登り坂でとても苦しかったけれど
登っているときは
その先の事しか考えていなかったように思う
足下の小さな花や
ごろごろした石などをいとおしむ余裕はなかった
いまは下り坂で
足もとを見ないと転んでしまうから
一歩一歩確かめながら歩いている気がする
頂上に置いてきた余分な荷物やたくさんの思い出にかわり
今は飲み残しのお茶や残り物のおやつなどと
わずかな大切なものだけをもって歩いている
空を見上げることは少なくなって
足もとの小さなものだけを見つめて歩いている気がする
そして、それが今の自分にはとてもふさわしいことに思えている。




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