脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

空気

2013-10-30 22:17:53 | 私の思い 3
くりかえし
くりかえし
おもうこと


おもえば
夫は空気のような存在だったのかもしれない


そこにあることが当たり前で
ふだんは気づきもしないけれど
それがなくなると
生きていくことができないもの


夫が元気だったころは
お互いに忙しくしていて
「自立した」夫婦だと思っていた。
でも、
夫がいてくれたから
がんばれたのだ。
夫がいてくれたから
自分のことだけ考えていればよかったのだ。


空気がなければ生きていくことなどできない。


そんなことにさえ
気づかなかった
愚かで迂闊だった私。


どんなに悔やんでも
戻らない時間。


空気がなければ生きていくことなどできないのだ。

あなたへ  7

2013-10-25 21:57:35 | 私の思い 3
覚えていますか?
今日は
結婚記念日です。
あなたと共に生きるスタートとなった
大切な
大切な日です。
それなのに
どうして
あなたはいないのでしょう・・


今でも
目が覚めると
となりに
あなたがいるような気がします。
夜になれば
あなたの車が帰ってくるような気がして
外の物音に耳をすませます。
あなたがいないということが
いまだに
納得できない私です。


あの
最後の日々
あなたが
私に伝えたかったことを
繰り返し考えています。
ことばを失っていたけれど
思考はあったのに
私は
あなたが言いたいことを理解できなかった。


いいえ、
本当は気づいていたのです。
あなたが
自分の命の終わりを予感し
私たちの暮らしを
とても心配してくれていたことに。
でも、
わたしは
その話題に触れるのが怖かった。
あなたの命の終わりを認めることが怖かった。
だから
あなたの気持ちにも気づかないふりをしていました。
どうして
あのとき
そのことに真正面から答えなかったのか・・
あなたの気持ちに寄り添えなかったのか・・


私のいちばんの後悔は
そのことなのだと思います。


どんなに後悔しても
やりなおすことなどできない。
そして
私が今も後悔の嵐の中にいることなど
あなたが望んでいなかったことも
わかっています。


でも
あのころのあなたの苦しみや不安を思うと
それだけで
胸をえぐられるようです。
私が生きているかぎり
この痛みが消えることはないのだと思います。
この痛みとともに生きていくことしか
私にできることはないのだと思います。


明後日は
お寺の報恩講の準備のお手伝いにいきます。
あなたの分も
思いをこめて
お手伝いしてきます。

ふるさとまつり

2013-10-21 03:31:00 | 私の思い 3
昨日は当地の「ふるさとまつり」だった。
毎年、
地元の商店や
いろいろな会などがテントで出店する。
ケアホームのNPOを立ち上げてからは
毎年、
私たちもバザーで出店してきた。
近年は
知り合いのバザー(やきそば)の
人手が足りないいうことで
そこのお手伝いをして
売り上げの一部をいただく方法だった。
自分たちの団体のPRのため
看板は一緒に出させていただいて。


ひざを痛めている私には
長時間たちっぱなしは
かなりこたえる。
だから、毎年、
この日は
地元の女性グループの
おいしいお惣菜とおはぎを買って
夕食にしていた。
夫はそこのおはぎが大好きで
毎年、楽しみにしていた。


食べられなくなるなんて
想像すらしたことはなかった。
毎年、
次の年も同じように
いろんな行事が巡ってくるのだと
思っていた。

馬鹿だった。
迂闊だった。
軽率だった。

何を思っても
時間は戻らない。

今年は
何も買わなかった。
夫の好物を
一人で食べることはできない。

夫はもういないのだという事実を
あらためて突きつけられる。





ねえ、
もうすぐ
結婚記念日だよ。
帰ってきてよ。

せつない

2013-10-18 06:56:41 | 私の思い 3
何も思い出せなかった。

娘の二十歳のお祝いに
夫が連れて行ってくれた水族館。
確かに
そこにきた記憶はあるのに
何一つ思い出せなかった。

夫が元気だった頃の姿
夫の声
夫との会話
夫の笑顔
夫のために作っていた
食事のメニューも


まるで記憶喪失のように
何一つ思い出せない


なぜなんだろう
思い出したいのに




日の出

2013-10-15 06:04:00 | 日記 3


今、
日の出。


夫の病室から見た日の出を思い出す。
高熱が下がった朝。


あのとき、
まだがんばろうとする
夫の生命力を感じて
夫ががんばるかぎり、
私もがんばろうと思ったのだった。


夫の生きざまは
今も
私に
大切なことを教えてくれている。


きょうも
がんばる