脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

秋の空のように

2013-08-28 22:32:33 | 日記 3



今朝の日の出。
空はすっかり秋空。
先週から、早朝にワンコの散歩に出ると
くるみの木に来ているリスに会う。
夫婦なのか、いつも二匹。




今朝の空は、中天に月が出ていた。



とても
とても
悲しいのだけれど
その気持ちと隣り合わせに
今朝の空のように
静かな、透明な気持ちがあることに気付いた。




先日
ワゴン車を改造したキャンピングカーを見かけた。
夫が元気だった頃、ほしがっていたタイプだった。
定年になったら
そのくらいの大きさのキャンピングカーで
全国を旅したいと言っていた。
定年まではまだまだだったのに
よくキャンピングカーのカタログを見ていた。
手術のあと、運転を禁止されてから
キャンピングカーを見かけたとき、
私が運転すればいい、という意味のことを言ったことがあった。
手術後、長い文章や難しい言葉は言えなくなっていたが
まだ、自分の意思を、ある程度言葉で表せていた頃だった。
あの頃、レンタカーを借りてでも
一緒に出かければよかったのに
なぜ、それを思いつかなかったのだろう。
やはり、後悔の涙が流れる。

どれだけたっても
何かを見るたび
こうしてさまざまな後悔が湧きおこってくるのだろう。
そして、
ずっとこうして
夫のことを思うたび
たくさんの後悔をしながら
夫と共にすごした日々のことを思い出すのだろう。

今朝はやっと
お仏壇の前を片付けた。
お盆の提灯を片付け、
お供えにいただいたものを下げた。
お供えの包みを開けていたら
チビ猫がやってきて・・・





ちゃっかり
お菓子の箱の蓋でまるくなった。
もう
以前からいる老猫と同じくらいの大きさになり
小さな箱には入りきらないくらいになった。


この子は、よく首輪をなくしてくる。
そして、何日かすると必ず自分で見つけて持ってくる。
昨日、老猫が珍しく首輪をなくしてきたので
今朝、老猫に
「首輪、探してきてね」と話していたら
このチビ猫が銜えて持って来てくれた。
これからは、「チビ猫」ではなく
「首輪探索名猫」とでも名付けようか。

夫がいたら
この子もきっと可愛がってくれただろうに・・・
この猫には
夫の写真を見せて
毎日、「お父さんだよ」と言い聞かせている。
覚えてね・・・

秋の気配

2013-08-19 04:15:00 | 私の思い 3
昨日、起きて表に出たら
とんぼがたくさん飛んでいた。

毎年、
お盆が過ぎた頃に必ず群れでやって来る。

名前はわからないが
このとんぼの群れがやって来ると
空の雲にも秋の気配が感じられるようになる。




君逝きてみたびの秋がめぐり来ぬ
問のこたえは見つからぬまま



たくさんの想ひに触れし盂蘭盆会
君はいまなほここにおはすか

悲しみは・・・

2013-08-18 22:06:21 | 私の思い 3
悲しさと愛しさはきっと同じもの

だから・・・

悲しみは
乗り越えるものでも
癒されるものでもなく、


ずっと
ずっと

共に

生きていくものなのだと思う。


あなたがいなくて
とても
さみしい。

あなたがいなくて
とても
かなしい。


だから、
私は
あなたへの想いとともに
ずっと
生きていく。

これからも
ずっと。

さて・・・

2013-08-18 03:08:03 | 私の思い 3
今年はお盆休みが長かった。
おかげで、
お花束配りも無事に終わり、
母の面会、
高齢の夫の叔母のところにも行けた。

今日は夫の従弟一家がお参りに来て下さった。
この従弟のお父さん(夫の叔父)は
夫の闘病中になくなられた。
夫の父親が早くなくなられたので
いつも
この家のことを案じ、
いろいろとお世話になった叔父さんだった。
夫が元気だったら
もっとお手伝いしたかっただろうけれど、
お参りに行くのが精一杯だった。
それなのに、こうして立ち寄って下さることに感謝。

さて、
そんなお盆休みも今日で終わる。


書かなければならない原稿があるので
そろそろ
頭を使わないと!



えにし

2013-08-17 05:43:00 | 私の思い 3
夫の法要の折のご法話で
夫の生涯は短かったけれど
短いとか長生きだとかは私たちの思いである、と話された。
夫自身は、
その生涯を精一杯、
なすべきことを尽くして
生ききったのだと。
ほんとうにそうだった、と
涙があふれた。

家長として
家を守り、
お付きあいを大切にし、
必死で働き、
自分のための時間はほんの少ししかなかった。
こどもたちのことを案じ
こどもたちや親戚に何かあると
上司に何を言われても
休みを取って飛んで行ってくれた。
休みを取りにくい職場だったので
それは大変なことだったと思う。

そんな夫への感謝の思いは
闘病中に
充分夫の思いに寄り添えなかったことへの
激しい後悔につながる。

でも、
一方では、
夫の思いを引き継いでいくことへの
強い願いにもつながる。

感謝の思いが強いから
後悔の思いも強いし、
夫の生き方を見倣いたいとも
強く思う。

お花束配りをしながら
夫がつないでくれた人たちとのえにしを
大切にしていきたいと
あらためて思った昨日だった。

お花束配りは
なくなった人を共に思うための風習なのかもしれない。
昨日もたくさんの思い出話をお聞きすることができた。
ご主人を52歳でなくされて19年たつけれど、
今もさみしいと話して下さったおばさまは
夫がとても頼りにしていた方だ。
血縁は遠いけれど、
夫が結んでくれた大切なえにしなのだと思う。