脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

退職の日

2021-10-31 21:19:23 | 日記 2
先週の最終出勤日、
仕事を終え、上司に職場の鍵を返したところ
理事長から花束をいただいて
思いがけないことに
涙が出そうになった

一緒に働いていた仲間からも花束をいただいたので
それらを添えて夫に退職の報告をした


夫が元気だったころは
娘の親の会活動などに多くの時間を費やし
全時間働くことはなかったので
こんなふうに
退職を祝っていただいたことはなかった

とはいえ
年金だけでは生活が苦しいので
春になったら
何かを始めないと・・・と思っている


「あきらめなければ、望みは叶う」とか
「努力は必ず報われる」とかいう人もいるけれど
多くの人は
どんなに努力しても
どんなにねがっても
かなわない願いを抱き続けているのだと思う
どんなに思っても
どんなに願っても
二度と会えない人がいる
それでも
いつもいつも
夫がいたら
きっとこう言ってくれただろうな、と思いながら
生きている
夫がいたら
「よくがんばったね」と
ほめてくれるだろうか・・・




夫の友人

2021-10-25 19:27:15 | 日記 2
昨日は隣県より
夫の友人がご夫婦でお参りに来て下さった。
わたし達の結婚前からの友人で
夫が亡くなった後の7日毎のお参りにも
遠くから必ず来て下さった。

とても仲睦まじいご夫婦で
いつも羨ましく思う。

夫も私も
決して友人が多いわけではないが
こうして
今も変わらず思い続けていてくださることに感謝。

夫が遺してくれた
大切なえにしだと思う。

コロナ禍で
今までのように頻繁にはお会いできなくなり
お互いに
体の不調を抱えている者同士
あと何度お会いできるだろうか、と思う。

でも
会えなくても
心の中には
いつも生きているひとがいるから
大丈夫・・・と思う

会えないことは淋しいことだけれど
それでも
心はいつも近くにいるから・・・

その友人も
距離的には遠いところだけれど
いつも
こちらの事を思ってくださり
わたしも
いつもその方たちの事を思っているから
こころはとても近くにいると思う

ねえ、あなたにも
その気持ちは届いているよね・・・

とりあえず

2021-10-17 19:42:43 | 日記 2
退職して、どんなにたくさん、やりたいことができるかと期待していたけれど
いまのところ、雑用に追われ
まったくやりたいことができていない。

白内障の手術を決めてから
視力の悪化が急激に進み
車の運転が怖くなっている
メガネをかけても0.2しかないと言われた視力では
都市部へ行くと
ほとんど標識が見えないばかりか
→の信号の向きが判別できなかった

膝の痛みは
一進一退で
今日は特に調子が悪く
歩く事もままならなかったが
娘のトイレや入浴介助のために
ある程度の無理はしなければならない

10年前から数年間、
調理らしいことがほとんどできなくなっていたが
今は
少しずつ
レパートリーを増やしている
それでも
以前のような手際良さは戻っておらず
娘のために作る料理は
数日前からネットで下調べをして
半日掛かりでやっと調理している
夫が元気だったころ
手早く、安く、工夫することが好きで
調理していたメニューを
全く思い出すことができないのは
今も変わらない
今作っている料理は
あのころとは全く違うものばかりだ
時々
調理しながら
「あのころ、こんなものを作っていたなあ・・・」と
思い出しかけることもあるが
それはほんの束の間で
しっかり思い出そうとしても
霧の中に消えてゆくような
記憶の曖昧さの中にいる

それは、もうあのころの自分には戻れないということを
否応なく思い知らされることだ
調理をするたびに
繰り返し・・・

それでも
娘が夫の好きだった食べ物や
夫と行った場所などを覚えていてくれて
時々
「お父さんと食べたんなあ」などと
片言で話してくれて
2人で思い出話ができることに
とても
とても
慰められている

今は
まずは
自分の体のメンテナンスをして
暖かくなったら
次の仕事を探そうかな、と考えている

追伸
カズリンさんへ
コメント、ありがとうございました。
お元気でおすごしでしょうか。
だんだんと寒くなってきますので
お体に気をつけてお過ごしくださいね。