脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

はるかな空のかなたに・・・

2014-09-22 22:51:28 | 私の思い 3

  はるかなる 空の高みの なほ高く
     きみはお座すか 曼珠沙華咲く



今日は夫の60回目の誕生日。
19歳で父を失くし
戸主として働きぬいた夫だった

わたしはいま、
毎日9時から17時の仕事でさえ
へとへとになっているが
夫は
毎日、長い時間の労働を続けてくれた
その年月には
理不尽な上司にもあったことだろう
それでも
家族のために
働き続けてくれた

休日でさえ
じっとしていることが嫌いで
なにかしらことことと
家の周りを修理したり
草刈りをしたりしてくれていた

それが終わると
突然に
「ドライブに行こう」と
わたしと子どもたちを誘い
いろいろなところへ連れていってくれた



今の夫のために
わたしにはなにもできることがないということが
わたしを無力感でうちのめす
夫の好物を作ることも
もう二度と
夫がそれを口にすることができないのだと思うと
できない

信仰でも確信でもないが
それでも
来世も無も信じることができないで
すべてに
懐疑的でありながら
どこまでも蒼い空をみていると
はるかな
はるかなところに
夫がいるような気がする


そして
ことしも
秋がやってくる
夫がいない世界でも
時間は確実にすすんでゆく


ひとは
どこにむかっていきてゆくのだろう?







猫、大活躍

2014-09-14 20:10:24 | 私の思い 3
昨夜のできごと。

蛇は生きていて
猫がそれをつかまえようと大暴れしていて
それを長男が追いかけて・・・の大騒ぎだった。


以前、老猫がまだ若かった頃は
出入り自由にしていたので
よくネズミや蛇や小動物を獲ってきた。
必ず、そのまま銜えてきて
部屋でひとしきり遊び
少しだけ食べて、あとは放置していた。

蛇だけは銜えてきた時点で
家の中に入れないようにしていた。
(獲物を持っているときは
 いつものように前足と頭を使って戸をあけられないので
 玄関の前でわたしが気づくまで待っていた)

年老いて
一日のほとんどを眠っている老猫は
昨夜の騒ぎにも知らん顔で眠っていた。



若猫は
小さな虫にも反応する。
田舎だから
小さな虫はたくさん入ってくるが
そのたび
捕獲するまであきらめないで
壁を駆け上ったり
ジャンプしたりと大暴れになる


ムカデにも反応してくれるので
これには大助かりだった


昨夜は
何に反応しているのかと
最初はわからなかった
細長いものがちらちらぬいぐるみの下から見え隠れするので
ムカデかと思い、殺虫スプレーをもってきたら
もっと長くて!!


でも、若猫は大活躍で
あっという間につかまえて
しっかり銜えて
長男には渡すまいと
銜えたまま
部屋中逃げ回っていた。


それにしても
だれもいない部屋に入り込んでいることはあっても
人がいる居間に入ってくるなんて
はじめてのことだ。
猫がいてくれたおかげで
早く見つけることができた。
家の中だけで暮らしている子だけれど
ちゃんと獲物がとれるんだ!!


そして今日は
娘がさかんに「こわい」を連発している。
「大丈夫だよ、猫とお兄ちゃんがやっつけてくれるからね」とは言っているが
実は
わたしもこわい・・・




大騒ぎ

2014-09-13 22:13:00 | 私の思い 3
我が家は山の中、
古くて隙間だらけ。

夫が自宅療養中に
ずいぶん隙間を埋めてくれたが
小さな隙間はいたるところにあるのだろう。


毎年、秋になると
冬眠のためか
蛇が家の中に入ってくる。

猫はそれを見つけると
おもちゃにし
死んだ蛇は放置する。


私は蛇が大の苦手で
それを見ると
こだまが返ってくるような叫び声をあげる。


後始末は
いつでも
夫の役目だった。


夫がいなくなって、
一人暮らしだった秋、
泣きながら始末した。


今夜は
長男を呼んだ。


あなたがいたから暮らせたんだよ。
私一人では
暮らして行けないよ。









あのとき・・・

2014-09-06 22:07:19 | 私の思い 3
昨日は久しぶりに心療内科のカウンセリングに行った。
臨床心理士の先生の都合や
わたしの都合が合わなくて3週間ぶり?だった


カウンセリングの料金も私にはかなり堪える金額だ。
それでも、行くのはなぜだろう?と思う。


唯一の理解者を失くし
「それでいいよ」と言ってくれる人がほしいだけなのかも知れない、とも思う。


話題はいつも夫のこと。


なぜ、あのとき
夫の症状にもっと早く気づかなかったのか
なぜ、あのとき
娘のことを優先したのか
なぜ、あのとき
東京から戻らなかったのか
なぜ、あのとき、、、、

そう思うことばかりだ


おもっても
時間は決して戻せない
わかっていても
そう思う気持ちをどうすることもできない



きっと
こうして
ずっと
この思いとともに生きていくしかないのだろう


生きていくことを選ぶのか
夫のもとへ行きたいと願う気持ちが勝るのか
それは
わからない


でも
わたしが生きているかぎり
この気持ちがなくなることもうすれることもないのだろうと思う。


それでも
娘のことを思えば
生きていなくてはならないのかと
それはそれで
とてもプレッシャーなのだけれど



「今年はあまり蝉が鳴かなかったね」と言った友人がいた
もちろん
わたしの耳鳴りのことなど誰も知らない
わたしの耳の中では
ずっと
あの日のまま
激しく蝉が鳴き続けている