脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

からっぽ

2015-02-11 21:57:11 | 私の思い 3
昨日は
職場までずっとアイスバーンの道を
いつもの倍近い時間をかけて出勤した。
夫が元気だったころは決して運転しなかった雪道。
夫が自宅療養していた冬は
スポーツセンターに行きたがる夫を乗せて運転した。
言葉で表現することが難しくなっていた夫だったが
雪道の運転のコツを身振り手振りで教えてくれた。
そのことを思い出しながら
慎重に運転するが、涙があふれて前が見えなかった。


今日は母の誕生日だった。
母の好きなお寿司を食べるために外出した。
母は贅沢な人だったので
大トロや生ズワイ、うになど母の好みそうなものばかり注文した。
今の私の経済状態ではかなりキツイ出費だが
いつまでできるかわからない親孝行だ。
母は夫のことはよく憶えていて
毎年、母の誕生日に
母の好物を届けていたことなども憶えていた。
それなのに
姉がこないことをまた愚痴っていた。
せっかくの誕生日だから怒りたくはなかったし
怒ってみたところで、母にはもう理解できないことなのだろう。
姉が幼いころ、
母は、血がつながらない姉を虐待していた。
そんなことは
もう母の記憶からは消えているのだろうが
姉は今でもそのころの夢にうなされることがあるという。
わたしは
幼いころから、そんな母が大嫌いだった。
そのことを知りつつも
夫は母を大切にしてくれた。
わたしを産んでくれた人だという、ただそれだけの理由で。
だから
わたしも今
わたしを産み、育ててくれた事実にのみ感謝して
真似ごとの親孝行をしている。
「心がこもらない」ということは
どんなに努力してもむなしい。




たいせつな
たいせつなひとを喪って
どうして生き続けることができるのだろう。
こころはからっぽで
それでも
笑っていなければならないことにつかれた。



3年半

2015-02-07 23:01:24 | 私の思い 3
今日は42回目の月命日。

42か月と書くと短いようにも思えるが
3年半、と考えるととても長くも思える。
この3年半のあいだ、
わたしはずっと悲しみの底にいた。
そしてそれはこれからも変わることはない、と思う。

わたしの生きがい
わたしのよろこび
わたしの喜怒哀楽のすべては
夫とともにあった。
夫がいない今、
わたしに残されているのはかなしみと喪失感だけだ。
夫がいない世界で
いつまでこの時間を重ねなければならないのかと思うと
わたしの心には深い絶望しかない。
それでも
夫が最後まで心配していた娘のために
親として
やっておかなければならないことがたくさんあるから
わたしはそのためだけに生きている。


同じ時期に鬱を味わった友人は
かなり元気を回復し
わたしを日帰り旅行に誘ってくれた。
その気遣いに感謝しつつも
わたしは到底行く気持ちにはなれないと断った。
何を見ても美しいと感じることも
何をしても楽しいと思うことも
何を食べてもおいしいと感じることもなく
ただ時間をやり過ごす日々。
そして週末に娘が帰ってくると
娘を喜ばせることだけを考える。
そのわずかな時間にすべてのエネルギーを注いでいる。


わたしは
夫の心のこりを成し遂げるためにだけ生きている。
すべてを一日も早く成し遂げたいのだけれど
成し遂げることはできそうもない。
娘のことも
息子たちのことも
次々と新たな問題がおきてきて
わたしの力ではとても成し遂げられそうもない。


こうして
生きていくのが
わたしに課せられた課題なのだろう。