脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

名古屋駅

2015-09-27 21:12:28 | 私の思い 3
昨日は育成会の全国大会が名古屋で開催され
友人たちと参加した。

名古屋駅発着の高速バスを利用して往復。
この高速バスは
夫が名古屋の病院に入院していた時
介護保険の手続きなどで
わたしだけ一時帰宅するとき利用したバス。
もう乗ることもないと思っていたのだが・・・

名古屋駅の構内はあまり変わっていないように見えた。
娘へのお土産を買ったお店もそのままだった。

少し歩けば
あの病院がある。
少し歩けば
あの頃に時間が戻るような気がした。

錯覚だとわかっていても
わたしの願望にすぎないとわかっていても
その一歩を踏み出したい衝動に駆られた。



車を手放すことに決めたとき
義弟が言ってくれた言葉が耳の奥に響いていた。
「気持ちはわかるけど
 永遠にその車に乗っているわけにはいかんやろう」

永遠に
ここにとどまることはできないのだ。
時間は流れていくし
人も同じところにとどまっていることはできない。
「何のために生きるのか」ではなく
「どう生きるか」がたいせつなのだと
夫が身を以て示してくれたのだから。

2015-09-20 22:04:33 | 私の思い 3
ずっと乗ってきた車が調子が悪い。
1年落ちで購入して7年。
走行距離は14万キロを超えた。

力がなくなり、
加速がとても悪くなった。
エアコンは昨冬修理した。
オーディオはたびたび動かなくなる。
まあ、それらは
走るには支障がないのでよかったのだが・・・
今回の不調はかなり困っている。
夫がいた頃は、
多少の不調は夫が修理してくれて
修理に出すかどうかの判断も夫任せだった。
わたしは
ただ「乘るだけ」だった。

行きつけの車屋さんでは買い替えを勧められている。
でも
今の車にはたくさんの思い出があって
手放す気にはなかなかなれなかった。
なんとかして
もう少し乗れないものかとも思ってみた。

でも、
今夜
整備士の義弟に相談して
買い替えたほうがいいという結論をもらった。

あとは
わたしの決心だけなのだが・・・

こうして
形あるものは
少しずつなくなっていくのだ。
それは
しかたのないことだと
わかってはいるのだけれど


決心できるのかどうか・・・



娘との外出

2015-09-16 20:41:53 | 私の思い 3
今日は娘の大学病院受診日だった。
午前中に大学病院をすませ
ホームセンターで娘の必要なものを買い
午後はA大学の障がい者歯科を受診するという
いつもながらのハードスケジュール。
夫の闘病中は
さすがにそんなスケジュールは組めず
別々の日に予約を入れ
一緒に行ったものだった。
その時々に
夫の望むままにあちこちのお店に寄った。
娘はそのことをよく覚えていて
「お父さんと行ったんなあ」と指さす。
「そうだったねえ」と相槌をうちながら
その時々の夫の姿や言葉を思いだし
涙があふれそうになる。
娘との外出には
たくさんの涙のスイッチがあちこちにあって
娘がそれに触れてくるから
とてもつらい。

今週末は五連休。
ゴールデンウィークやお盆は義姉家族が来てくださるので
忙しく過ごせるが
今週末はその予定もない。
どうしたら娘を退屈させずにすごせるのか、
なんの案も浮かばない。
夫がいなくなって、
人ごみには行けなくなり
知らない場所へも行けなくなったわたしには
娘を楽しませてやることはできそうにない。
楽しい思い出を残してやりたいと思うのだが・・・。