脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

お供えもの

2016-01-17 18:56:25 | 私の思い 3
お正月に仏壇にお供えしたものを下げる時期になった。
わたしはこれが切なくて
普段はほとんどお供えをしない。

我が家は真宗大谷派。
仏壇は
亡くなった人ではなく
阿弥陀仏がまつられているという。
だから
供え物も
亡くなった人にではなく
仏様に対してのものだという。

でも、
実際には
故人の好物を供えることが多い。

供えるときはいい。
でも
手つかずのそれを
結局は自分が食べるしかなくて
もう
夫が
それを食べることはないのだという事実に
胸が締め付けられる




ねえ
あなたは
どこにいるの?
寒くはない?
もう
痛みはないよね?
すべての思い煩いから解放されて
今は穏やかですか?
せめて
好きなものを
おなか一杯
食べてもらいたいのに・・・

元日に・・・

2016-01-11 21:32:09 | 私の思い 3
1月1日のこと

初詣をすませて
いただいた年賀状のお返事を投函するために
市街地まででかけた。
山の中の我が家から市街地の郵便局までは約15分。
途中
路線バスをみかけた。
夫がいなくなってから
当時勤めていたバス会社が撤退し
この付近の路線は地元のバス会社が引き継いだ。
夫が元気だったら
夫も会社を変わらなければならなかっただろう。

路線バスは当然のことだが
お盆もお正月も関係なく
年中無休だ。

夫は転職して1年8か月で発病した。
最初のお正月のことはあまり覚えていない。
2度目のお正月は
年末に「軽い脳梗塞」と診断され
仕事を休んでいた。
あのとき、夫の体内にはすでに病魔がいたのだ。
でも
そんなことも知らず
呑気にお正月を祝った。

でも
もし、健康でずっと勤めていたら
夫はお正月休みとは無縁になっていたことだろう。
元日の習わしとも無縁になっていたことだろう。
そうしたら
娘に伝える元日の風習は薄れてしまっていたことだろう。

元日に路線バスを見て
ふとそんな思いにかられ
元日の風習を娘に残せてよかった、
夫もそんな過酷な勤務から解放されてよかった、と
そんな思いが込み上げてきて涙があふれた。

19歳の年から
家族を養い
家長として
ずっと働き続けてきた夫
いまは
そんな重荷から解放されて
楽になったんだね、と思った
元日に働かなくてもよくなったんだね、と
その事実に
少しだけほっとした。

娘のために

2016-01-02 22:29:43 | 私の思い 3
娘には
夫が元気だったころのお正月の習慣を覚えていてほしくて
今の私にできるかぎりのことをしている。

元旦は
地域の神社への初もうで。
高い石段を登るのは娘にはかなりハードなのだけれど
「お父さんといつも行ってたね」と話しながら登った。

午後はの新年会。
にぎやかな中で
夫がしていたように
お酒がなくなっていないか気を配り
皆に合わせて笑い
疲れ切って帰宅。

夜は
娘にお年玉代わりのプレゼント。
夫が元気だったころからカルタや絵本のことが多かった。
今年は絵本と塗り絵にした。
「どんなにきみをすきだかあててごらん」
読みながら
「お父さんはどれだけ萌ちゃんをすきだったかわかる?」と聞くと
絵本の中のうさぎをまねて
両手をいっぱいに広げて
「こ~れだけ」と答えてくれた。
「お母さんもこ~れだけ大好きだよ」と話すと
それからは
ふたりで
手の広げあいになった。

こうして
娘が
たくさんの思い出を心に残しておくことができるように・・・
それだけを願っている。
わたしがいなくなっても
たくさんのあたたかい思い出が
娘を支えてくれると信じている。