脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

母の誕生日

2014-02-12 22:45:39 | 私の思い 3
昨日は母の誕生日だった。


車で1時間ほどのところにある
介護付きアパートに住んでいる。


93歳。
せめてものお祝いに
母の好きなお寿司を食べるために外出した。


認知症の症状もあり、
足元もかなりおぼつかなくなって
介助とまではいかなくても
ずっと手をつないで歩いた。


たくさんは食べられないが
おいしいもの、
好きなものを
できるだけたくさん食べてもらいたかったので
「お刺身だけ食べたら?
 ご飯は私が食べるから」と
大トロ、生ずわい蟹、真鯛、うに等
母の好きなものを注文した。
茶わん蒸しも完食。

私が幼いころ
この母がしてきたことを
私は忘れてはいない。
思春期には
徹底して反抗した。
高齢になったからと言って
それらすべてを
水に流せるほど
私は心は広くない。


でも、
そのすべてを知ったうえで
夫は
母を「母」として大切にしてくれた。
私をこの世に生み出してくれたひと。
ただそれだけの理由で。


それでも
昨日は
笑って話し、和やかな時間を過ごした。


あと何度
誕生日を祝ってあげられるだろう。
米寿の記念にと
夫が旅行に連れて行ってくれたのは
5年前のことだったんだなあ・・・と思った。
母はそのことを忘れてしまっていた。


今度行くときは
あの時の写真を持っていこう。






耳鳴り

2014-02-10 03:16:00 | 私の思い 3
もう
ずっと長い間
耳鳴りが続いている。

あの夏以来
耳の奥で
蝉が激しくなきつづけている。

そして
そのむこう
遠くに
かすかに
救急車のサイレンが聞こえる時がある


幻聴なのか
耳鳴りなのかはわからない


私の時計は
こころも
からだも
あの夏で止まっているのだろう

自己矛盾

2014-02-08 23:29:00 | 私の思い 3
若猫、その後・・・



隣りのトイレも紙砂に変えたら
使ってくれるようになった。

隣りのトイレと
半々ぐらいで使っている。


2階建てにしたケージも
気にいってくれたようだ








狭心症の発作の最中に
このまま
消えてしまえたらいいのに、
と思い、
次の瞬間に
エンデイングノートが完成していないことを思いだし
ニトロを使った。
積極的に死にたいと願っているわけではないが
生きたいと願っているわけでもない。
それでも、
今はまだ、と思うあたり、
随分身勝手な思いだ。







夜になると・・・

2014-02-02 22:13:45 | 私の思い 3
夜になると
誰かと話したくてたまらなくなる


毎夜
夫が仕事から帰ってくると
それがどんなに遅い時間でも
晩酌をする夫と一緒に
お酒を飲みながら
今日の出来事やたくさんの思いを
話していた


私が本音を話せるのは夫だけだった
幼いころから
特殊な環境で育ったために
本音を表に出さないことに慣れていたはずだった
でも、
夫と過ごす歳月の中で
夫にだけは
本音を話すことができるようになっていた


夫とは
驚くほど
考え方が似ていた


私は
人と付き合うことが苦手だった
いつも
自分の本音をひた隠していた
それは
いまでも変わらない


ただ、
夫に
なんでも話せることで
私は
かろうじて心のバランスを保つことができていた


夫を失って
私は
完全に
バランスを失った


夜になると
誰かと話したくてたまらなくなる
でも
私の本音を話せる人は
どこにもいない





いつまでも・・・

2014-02-02 21:07:02 | 私の思い 3
猫のトイレ、その後。





老猫は
嫌がらずにトイレが使えるようになった。
は、いいのだが
隣においてあった
若猫用のトイレを若猫が使わなくなってしまった。
どうも
紙砂の感触が気にいってしまったらしい。
この
固まるタイプの紙砂は
尿量や尿の色などがチェックできるし
システムトイレより安上がりでいいのだが
毎回、トイレ掃除する必要がある。
一つのトイレを二匹が使うということは
いつもトイレを気にかけていなければならないので
ちょっと大変・・・
なので
若猫用のトイレにも紙砂を入れてみた。
さて、どうなるやら・・・・


昨日は
若猫のケージを二階建てにした。




もう大きくなって
伸びもできないケージの中で
昼間ずっと過ごすのはかわいそうだと思っていた。
かといって
元気いっぱいの若猫を
私がいない昼間、部屋の中に出しっぱなしにしておくのは
ほとんど一日中を眠って過ごしている老猫には
かなりの負担になるだろう。
本当は動きの少ない老猫がケージで過ごしてくれるといいのだが
長い間、部屋の中で自由に過ごしてきた老猫には
「閉じ込められた」という精神的な負担になるだろう。
などなど、いろいろ考えた挙句
思いついたのが、もうひとつケージを買ってきて
「二階建て」にする方法。
途中に、百均でワイヤーネットを買ってきて
「足場」を作り、その上に
爪とぎなどを置いて、遊び場を作った。




これには老猫も興味津々で
一緒に小屋の中を「探検」していた。




夫がいれば
もう少し上手に作ってくれたのだろうが
何しろ不器用な私の考え付いたこと、
多少居心地は悪いかもしれないけど、我慢してね。




さて、
あっという間にひと月が終わった。
今年の冬は雪が少ない。
気温も暖かいのだろうか、水道の凍結を心配しなくてもいい。
夫が闘病中だった年は
雪が多く、とても寒かった。
その後の冬がどうだったのかは記憶がない。
私の記憶は、あの年のままで止まっている。
カウンセリングの先生は
私の記憶や、状態(睡眠も含めて)がどんな状態であれ、
そのことに、私自身が違和感がなければそれでいいのでは、と言われた。
眠れても、眠れなくても
調理の方法やメニューを忘れてしまっていても
夫の声が思い出せなくても
時間が止まったままの記憶でも
その状態を私自身として
受け入れて生きていければ
それでよいのではないかと・・・
私も、そんなふうに思える時が多くなった。
悲しみは
いつまでたっても薄れることはないし
大切な人を失くした半身をもがれた感覚は
いつまでも、このまま続くのだろう。