脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

車 2

2015-10-29 21:13:32 | 私の思い 3
車を手放す日が近づいている。

夫が格安で見つけてきてくれた車。
夫の闘病中
ずっと夫を乗せて走った車。

最初の病院への通院のころは
高次脳機能障がいはあったものの
まだまだ会話ができていた。
夫は
1時間の通院時間
わたしに
細かく運転の指示をした。
制限速度で走ること
後続車がたくさんになったら
路肩によって、後続車を先にだすこと、
横断歩道では必ず止まること。
一時停止の場所では
かならずしっかり止まること・・・


ほとんど眠れない時期が2年以上続いたが
事故もなく通勤できたのは
夫のそれらの教えのおかげだったと思う。

この車に乗れば
いつも助手席に夫がいるような気がした
夫に守られている気がした

形あるものがなくなっても
夫の教えは私の中に生きている
夫の教えにわたしは守られている
そうは思うのだけれど
やはり
形あるものがなくなることは
夫との距離が遠くなるようで
たまらなくかなしい



旅行

2015-10-18 17:33:52 | 私の思い 3
娘のグループホームの仲間たちと
一泊旅行に行ってきた。
夫がいなくなった翌年からはじまり
今年で3回目。
こんなことでもなければ
決して出かけることなどできないだろう。
仲間の気遣いに感謝。

利用者さん・保護者・職員、19人で出かけた。
バスレクを担当し
たくさんのゲームで笑いを誘った。
夜の宴会では
変装して「麦畑」を踊った。
みんなの歌声に合わせ手拍子をうち
大声で笑った。
娘が「おかあさん、がんばった」と言ってくれた。

ホテルは
夫が連れて行ってくれたことのある公園の近くにあった。
一日目、娘は気づかなかったのか、何も言わなかった。
翌朝、通りかかると
「お父さんと行ったんなあ」と言った。
憶えていてくれたのだ・・・。
お父さんとの楽しい思い出が残っていることが
何よりうれしかった。
そして
こうして
わたしと外出したことも
いつか、楽しく思い出してくれたらいい・・・そう願って
精一杯がんばった二日間だった。

発作

2015-10-13 20:29:16 | 私の思い 3
今日、勤務先で利用者さんが発作を起こされた。
久しぶりの、大きな発作だった。
時間にすれば、3分弱。
でも
とてもとても長い時間に思えた。
その苦悶の表情は
夫の発作の時にわたしを引き戻す。

ドクターは
くりかえし
「発作で死ぬことはないから」と言われた。
「発作をこわがらないで」とも。
でも、
発作の間
夫はどんなにか苦しかっただろうと思う。

車いすになって
ドクターから
いよいよ
「末期」と宣告されてから
不思議に発作の回数は減った。
肺炎で苦しい呼吸の下で
あの発作の苦しみを味わうことがなかったことだけが
唯一の救いだ

発作の時
周囲の者にできることはわずかしかない。
刺激を与えないように
危険がないように
ただ見守ることしかできない。
病魔の前で
まったく無力な自分を思い知らされる。

もしも神様がいるなら
どうぞ
この発作の苦しみを
すこしでも
減らしてくださいますように




たったひとつの・・・

2015-10-12 19:12:00 | 私の思い 3
たったひとつのねがい

それは
夫とならんであるくこと

ときどき
視線を合わせて
微笑み合って
他愛のない冗談をかわして

たったそれだけのことなのに


3連休最終日
退屈している娘を「ドライブ」に誘った
「お父さんと行ったんなあ」と娘。
休日は
いつも
唐突に
「ドライブに行こう」と誘ってくれたものだった。
娘にとって
「ドライブ」は行先がわからないお出かけ。
わたしが行けるところなどたかが知れているが
それでも
娘が知らない道を選んで走った。
2時間弱の近場ドライブでも
わたしには
とてもエネルギーが必要なこと



連休中
娘と一緒に犬の散歩に行くと
「お父さんと行ったんなあ」と娘。
娘にとっても
すべてが
お父さんとの思い出につながっているのだ。