脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

もうすぐ

2013-07-31 03:53:21 | 私の思い 3


るこう草が咲いた。
種を蒔いて
間引きして
4本残した苗は
白と赤が2本ずつだった。


昨日は
夫の古くからの友人がお参りに来て下さった。
夫を忘れないでいて下さることが
なによりうれしい。
お盆にはまた来るとおっしゃって下さった。

人がたくさん集まることが大好きだった夫。
今年も夫が楽しみにしていた
お盆がやってくる。
最後の入院のとき
「もうすぐお盆だよ、お盆にはお姉さんもみえるから良くなって家に帰ろうね」と言うと
かすかな声で「そうか・・・」と答えてくれた。
入院前はもうほとんど会話は成り立たなくなっていたのに
入院してからは
ほんとうにわずかだけれど
的確な答がかえってきた。
苦しい息の下で
清明な意識が戻ったように思える数日だった。

私は
今も
仏前や写真に
夫の好物を「供える」ことができない。
もう二度と
夫がそれを口にできないと思うことがかなしい。
夫は私の心の中では生き続けているのに
現実の世界には夫がいないということがたまらなく悔しい。



まだ

2013-07-29 22:39:32 | 私の思い 3
今日はまだ月曜日。
一週間は始まったばかり。
なのにとても疲れている



いろいろな悲しみを背負っている人がいる。
その人にとっては
それは背負いきれない悲しみなのだとも思う。


でも、
人生には
どんなに願っても
かなわないこともある。


そう思わなければ
やりきれないことがある。


毎夜、
真っ直ぐ歩けないほど
酔って
それでも眠れない。

まだまだ




夫の味わった苦しみには
程遠いのだろう。



へとへと

2013-07-27 19:51:11 | 日記 3
今日は娘のケアホームの交流バーベキューだった。

夫がいたら、きっとはりきって
準備から後片付けまで
取り仕切ってくれただろう。
そう思うと、
夫のいないバーベキューはつらいだけだった。
他の御家族のお父さんたちが
準備から焼き担当、後片付けまで
ほとんどやってくださり、
私たちはこどもの世話をしながら
おしゃべりしたり、、、
その中で、涙をこらえていることを
誰にも気づかれないように。

夫がいないことは
いつまでたっても悲しくてつらい。
慣れることなど、決してできない。


かみなりがなると

2013-07-27 04:30:22 | 私の思い 3
かみなりがなると、あの日にひきもどされる。

夫のお通夜の午後。
納棺をすませ、
斎場からの迎えを待っていたとき。
激しい雷雨とかみなり。
近くにおちたらしく地響きがした。
私はかみなりが夫の心臓を直撃して
夫が生き返ったらいいのに、と
本気で思っていた。

激しい雨音を聞きながら
もっと、もっと
あれも、これも、と
たくさんの後悔が
胸の中で荒れ狂う。


さまざまな思い

2013-07-20 22:30:53 | 私の思い 3
うれしいことや悲しいこと、
さまざまな思い


まずはうれしいこと

山水が復活した!

長男が
崩れていた谷川から
ホースを救出して
山水を復活させてくれた!



私がこの家に嫁いだ当時、
舟屋は木製だった。
台所の増築で取り壊しを余儀なくされ
夫がどこからか手にいれて
新たに作ってくれた舟屋。
屋根の雪が落ちて変形したけれど、
便利に使っていた。

上段は野菜を洗ったり、
スイカをまるごと冷やしたり、
下段は汚れ物を洗ったり
花をとりあえず浸けておいたり・・・


山水が来なくなって
洗車ができなくなり、
頂き物の野菜も洗えなくなった。

なにより、
みずおとが聞こえないことが
さみしかった。


長男が
復活させてくれて
とても嬉しかった。


悲しいこと。

娘は今でも
お父さんが嫌いだと言う。

娘には
最後の頃の
混乱したお父さんの印象が強いのは仕方ないのだろう
でも、
私は繰返し話し続ける。

お父さんがどんなに娘を愛していたか。
どんなに私たちのことを
心配し続けていたか。

愛された記憶を
大切に持ち続けてほしいから。

娘の心に温かな記憶を遺すことを妨げる
脳腫瘍という病をあらためて憎いと思う。