脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

夫の想い

2017-01-19 20:42:06 | 日記 2
年末から
いろいろなものをたくさん整理した。

ずっと
触れることさえできなかった夫の洋服や
列車に乗ることが好きだった夫が
「時間ができたら整理したい」と言っていた
たくさんの切符や写真など・・・

もう何年も着ていない子どもたちの洋服や靴、
それらが入っていた衣装罐など・・・

自分で処分できない大きなものは
シルバー人材センターにお願いして処分していただいた

そんなことをしているうちに
夫の大切な時計の表示が消えた

夫が以前の会社にいたときに
無事故表彰(だったか、永年勤続だったか?)でいただいてきた大切な時計

太陽電池で
ずっと動いていて
夫の入院中もずっと夫のそばにあり・・・

夫がなくなる数分前
突然表示が消えたのだった

夫がなくなって数日してから
リセットボタンを押したら
それからは普通に動いていたのだが
一昨年、夫がかわいがっていた姪の子供がなくなった日の朝、
その知らせを受ける前に
この時計の表示が消えていた

その時も
数日後に
リセットボタンを押してからは
何事もなかったかのように普通に動いていたのだが・・・

この年末から
表示が消え、
リセットボタンを押すと動き出すものの
すぐに消えてしまうようになった


「もう、形のあるものにこだわらなくていいよ」と
夫が言ってくれているような気がした

それは
わたしの
勝手な思い込みかもしれない
都合のいい解釈なのかもしれない、と
心の中でその想いを打消していたが・・・


この数日の大雪で
以前だったらけっして運転しなかっただろう
アイスバーンの雪道を運転して通勤していて、思い出した

あの、再発の恐怖におびえていた最後の冬
夫は、ふらつきが日ごとに強くなっていく中で
「リハビリ」と称して毎日スポーツセンターに行きたがった。
アイスバーンの雪道を
夫を助手席に乗せて毎日通った。
夫は、思うように言葉が出なくなっていたが
身振り・手振りで
雪道の運転のコツを私に教えてくれた。
あれは
自分がいなくなっても、私が困らないようにと
雪道の運転のコツを教えたかったのではなかったかとずっと思っていた。


下り坂ではエンジンブレーキを使うこと
そんなにこわがらないで
40キロぐらいは出しても大丈夫だと・・・
通勤しながら
わたしは
隣に夫が乗っていてくれるような気がしている。
夫は
たしかに
いまも
わたしを守ってくれているのだと・・・
だから
形あるものにこだわらないでいいよ、と言ってくれているような
そんな気が再びしたのだった。
それは直感であり
なんの根拠もないし
わたしの都合のいい解釈にすぎないのかもしれないのだけれど・・


それでも
あの時計を修理に持っていこうか
まだ迷っている・・・