脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

5回目の夢

2015-05-16 21:16:20 | 私の思い 3
やっと
やっと
夢に出てきてくれました!!!!!

記憶する限りでは
これが5回目です。

娘の小さなころのビデオを見て
一緒に笑っている夢でした。

我が家には
ビデオカメラはないので
娘が小さなころのビデオは実際にはないのですが・・


娘は、ほんとうに
ほんとうに
それはそれはうれしそうに
楽しそうに笑っていました。
そしてそのビデオを
ふたりで
とてもとても楽しい気持ちで
一緒にみていました。
いまも
夫の笑い声が耳に残っています。
夫の笑顔がまぶたにやきついています。


いままでも
目が覚めたとき
ああ、今の夢は
夫が隣にいた夢だ、と感じたことは
何度もありましたが
それは
「気配」だけで
夫の声を聞きたいと願っても
夫の笑顔を見たいと願っても
叶いませんでした

昨夜は
夫と一緒に笑い
その声も、笑顔も
しっかり焼きついています。

今日はいちにち
とても温かな気持ちで過ごすことができました。


娘の誕生祝

2015-05-10 21:15:07 | 私の思い 3
この連休中、
義姉にはじめて味付けができなくなったことを告白した。
味覚異常については話さなかったが
毎日、ほとんど食事をしないので
調理をしなくなり、味付けができなくなった、と話した。

連休中の料理は
味付けのいらないフライや天ぷらに
マヨネーズで和えたサラダ、
市販の漬物のもとでつけた即席漬け、
お醤油や味噌、ケチャップなどの調味料を各自でかけてもらうもの、
それに味付け済みの冷凍品などばかりを並べた。
さいわい、山菜が採れる時期なので
おひたしや天ぷらなどにできて助かった。
こうして、なんとか食事の支度をこなすことができた。

この週末は娘の誕生日のお祝いをした。
娘の希望で「手巻き寿司」。
これは味付けがいらないので助かる。
今日は残りの酢飯に胡瓜やカニかま、卵焼きなどを巻いて
巻きずしにした。
お寿司大好きの娘はこれも大喜びしてくれた。

昨日の昼間は母のところに行き
衣類の入れ替えや部屋の掃除などをしてきた。
93歳になり、やっとのことで歩いている。
認知の問題もそれなりにあるが
なんとか元気で過ごしている。
娘はそのあいだおとなしく待っていてくれ
帰りに大好きなお刺身をたくさん買ってきて
手巻き寿司にしたのだった。

娘の誕生日の思い出はたくさんある。
娘もひとつひとつ憶えていてくれて
おとうさんとケーキを食べたことや
おとうさんからもらったかるたの話など
たくさんしてくれた。
これからは
わたしとも楽しい思い出をたくさん作ってやりたい。
わたしがいなくなっても
娘が温かな気持ちですごせるように・・・


戻りたい時間

2015-05-07 21:45:39 | 私の思い 3
連休が終わった。
いつものように、義姉家族三人が三泊四日で滞在してくださった。
3日の日には義弟も来て、
以前のように姉弟でいろいろな話をしながら
いつまでもお酒を飲んでいた。
この訪問がなければ
わたしは娘をどこにも連れて行けず
時間を持て余していたことだろう。
夫が元気だったころとかわらず来てくださることに感謝。

それでも・・・

こうした時間が
永遠に続くわけではないことを思う。


夫が元気だったころ
毎年、連休とお盆は
叔父さんや叔母さんたちや
たくさんの人でにぎやかで
わたしは
いつも台所に立ちっぱなしで
へとへとに疲れて
たまには
のんびりした休日を過ごしたいと思ったこともあった


夫の病気と相前後して
次々と叔父や叔母が亡くなり
すっかりさびしくなった


あのにぎやかで
大変だった時期が
いちばん満ち足りていたのだと
いまになって思う
・・・ほんとうに愚かなことに。



わたしが一番戻りたいのは
夫が元気だったころではない


わたしが一番戻りたいのは
夫が自分の時間が残り少ないと気づいたころ。
言葉を失って
どんなに心のこりだったことか
どんなに
伝えたいことがたくさんあったことか。
いまなら
そんな夫の思いを正面から受け止められると思うのに・・・
あのころは
その事実を夫に知られたくなくて
必死でごまかしていた。


ひとはみな
いつかいのちの終わりを迎える
だから
残してゆく家族に
伝えたいことがきっとたくさんあるに違いないのに
その気持ちから
わたしは逃げたていたのだ


どんなに悔やんでも
戻れない時間



今日は月命日
そして
娘の誕生日