脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

おでかけ

2012-03-31 22:00:05 | 日記 2
今日の水仙。
花芽が膨らんできた。


先週土曜日に続き、
ちょっとだけおでかけ。

まずは娘をケアホームに預けて
音訳。
なんとか今月の当番の録音を済ませて、
娘を迎えに行き、
夫のお友達の喫茶店へ。
夫が車椅子になってからもよく一緒に行ったお店。
当時の夫にとっては
数少ない楽しみだったと思う。

たったそれだけの外出だったけど
今の私にはものすごくエネルギーが必要。


夕食を食べながら、
そういえば、昼食を食べていなかったことに気づいた。
娘はケアホームで食べたのだけど、
私は録音中で
お昼時間を外してしまい
そのままになってしまってた。
おなかがすいたという感覚もなかったな……


さて、
明日は何かできるかな……


娘の笑顔

2012-03-30 22:36:06 | 私の思い 2
携帯に保存されている夫の発病前の娘の笑顔は
とても無邪気で
輝いている。
こんな心からの笑顔を久しく見ていない。
娘の心の底にある悲しみを
どうしたら共有できるのだろう……
本当は「お父さんがいなくて淋しいね」と
一緒に泣けたらいいのだろうけれど、
娘は私が泣くことを嫌がる。
娘は
自分の中にある感情を表現できなくて
苦しんでいるのではないかと思う。


今日は週末なので
仕事は早く終わらせてもらい、
娘とスーパーで買い物をして帰ってきた。
その買い物の途中、
「ころろちゃん(犬)いる?」と聞いてきた。
「いるよ~、萌ちゃんお帰り~って言うかな~」
「のんちゃん(猫)いる?」
「いるよ~、萌ちゃんが帰って来るの、待ってるよ~」と言うと
「お父さん、おらん?」
私、一瞬絶句。
でも笑顔で
「うん、お父さんいないから淋しいね~」と言ってみた。
娘は黙って頷いた。
そのあとは
できるだけ明るく
今夜のメニューを話しながら買い物をしたのだけれど、
あんな対応で良かったのかな…

できれば
私が娘の気持ちを
娘の代わりに
言葉にして表現してあげることで
少しでも
娘が
気持ちを表に出せるようになるといいと思っているのだが
私が表現する言葉が
本当に娘が求めている言葉なのかどうか
自信がない。


娘の気持ちに寄り添いたい……

そして
愛された記憶と
悲しみを共有したい……


いつか
私も
この子を残していかなければならない時が来る
その時に
この子の心がこわれてしまわないように
愛された記憶をしっかり残しておいてあげたい
そして
悲しみを表現する方法を学んでほしい
悲しみの中でも
幸せに生きるられることを実感してほしい……
そのためには
私自身が
幸せだと思える生き方をしなければ……

ワンコの散歩

2012-03-29 22:00:28 | 日記 2
昨日からちょっとだけ
ワンコの散歩をがんばっている。

いつもは、
山道の途中で引き返していたのだけど、
昨日の朝から
そのまま道路に出て
地区を一周する経路で歩いた。
夫とよく一緒に歩いた道。
夫がリハビリがわりに掃除していた道。

と言っても、一周約25分。
しかも、そのせいで
昨日は5分仕事に遅刻(笑)。


週末、
娘が帰宅している時は
そんなに娘を一人にはできないのだけど、
娘がいない日だけでも続けられるように
がんばります!

リフォーム

2012-03-28 20:59:36 | 日記 2
娘が3歳のとき、台所、お風呂、トイレの増改築をした。

当時は娘がすくすくと
私以上に大きくなることなど想像もできなくて…(笑)
娘は成長しても
お風呂もトイレも介助が必要で
介助スペースを確保するために
お風呂とトイレは再度リフォームした。


そのとき、
洗面所とトイレとの間にあった壁を取り除き、
洗面台にもこだわって
自分たちが年をとって車椅子になっても使えるように工夫した。
おかげで
夫が車椅子になっても、
トイレだけは困らなかったのだけれど……
あのとき、
どうしてあんなに洗面台にまでこだわったんだろう…

私が今乗っている車は
夫が病気になる前の年に購入した。
夫は新古車やあまり距離を走っていない車を見つけて来るのが上手だった。
色や車種にこだわらなければ、
超お買い得の掘り出し物探し(笑)。
今の車も
車屋さんが
販売ノルマ達成のために登録したとかで
ほとんど距離は乗っていないものだった。
軽自動車だけど、
ドアが90度開き、
助手席側はセンターピラーがないので
夫を車椅子から移乗させるとき
車椅子をぴったり車につけることができてとても助かった。
なぜあのとき、
あの車を探してきたのか……


すべては単なる偶然なのかもしれないけれど…
すべてが
夫の病のための準備であったようにも思え…


やっぱり
「ありがとう」と「ごめんね」を繰り返す毎日…

何度でも……

2012-03-27 21:51:15 | 私の思い 2
「人は一生に飲める酒の量は決まっとる」
お酒大好きだった夫の父親の持論だったそう。
肝臓癌だった父親は
お盆で外泊していて
夕食に少しだけ大好きだったお酒を飲んで
「もう飲めなくなったで俺も終わりやな」と言って
眠りにつき、そのままだったと
何度も聞かされた。
夫19歳のとき。
「息子が嫁さんをもらったら仲良くするんだ」と楽しみにしていらしたと近所の方からお聞きした。
お会いしたかった。
まだ夫と知り合う前のこと。


「俺も肝臓癌になるかなぁ」と言いながらも晩酌を欠かさなかった夫。
病気になって、あまり飲めなくなって
「もう一生分飲んだのかなぁ」と言ったことがある。 
「まだまだだよ、もっと飲も!」と誘ったが、
もうあまり飲みたがらなくなっていた。

なんであんなに生き急いだんだろうと思う。
母親と別れたのは26歳のとき。
そのあと、
山の上にあったお墓を家の横に移した。
お墓には夫と義弟の連名で建之と彫られている。
屋根瓦も交換したし、
台所も増築した。
全部、事前相談は一切なく、
ある日突然業者を連れてきた。

お金がたくさんあったわけではないが
何とか支払えたのは
夫のおかげである。
短い人生で
ずいぶん急いで
家のあちこちを直してくれた。
二階の部屋をサッシにして窓用エアコンを取り付けたり、
車庫に部屋を作ったり
中古の太陽熱温水器を取り付けたりと
何でも一人でやってのけた。

あとは
縁側と玄関をサッシにして
仏壇を直したがっていたが
……

築50年以上の古い家ながら
快適に過ごせるのは
夫の働きのおかげ……

なぜ
あんなに
いろんなことを急いだんだろう……


取り戻せない時間の重さに
何度でも
「ありがとう」と「ごめんね」を繰り返す。