5日間の研修を無事終えることができた。
高速を走っても1時間半の市街地まで
5日間通うことは
自分の気力と体力が持続するのか
とても不安だったけれど
なんとか
無事、終了することができた。
「同行援護従業者養成研修」
以前は「視覚障害者移動支援従業者養成研修」(ガイドヘルパー)と
言われていた研修。
平成30年で、その資格要件が無効になるとのことで
新たなカリキュラムでの研修を受けた。
視覚障害の方たちとのお付き合いはながい。
もう20年近くになる。
乳がんの術後
自宅療養中、体力の回復を目指していたころ
「音訳」の講習会があることを知り
受講したことがきっかけだった。
当時、体力がなく家に閉じこもりがちだった私が
その講習を受けたいと言ったとき
夫は大賛成してくれた。
ちょうど
手術やさまざまな事情でパートをやめていたので
音訳の活動にたくさんの時間を使うことができた。
その後、地元での音訳グループにも参加し
なんとか活動を続けることができている。
そうした利用者さんたちとお目にかかる機会もあり
ガイドヘルパーの講習を受けたのは
夫の発病の前年だった。
そして現在の職場では
仕事として、視覚障害の方たちの外出のお手伝いもさせていただいている。
夫がいてくれたら
きっと
今回の研修にも大賛成してくれたことだろう。
そう思うことで
5日間、慣れない道の運転も頑張れた。
高速を走っても1時間半の市街地まで
5日間通うことは
自分の気力と体力が持続するのか
とても不安だったけれど
なんとか
無事、終了することができた。
「同行援護従業者養成研修」
以前は「視覚障害者移動支援従業者養成研修」(ガイドヘルパー)と
言われていた研修。
平成30年で、その資格要件が無効になるとのことで
新たなカリキュラムでの研修を受けた。
視覚障害の方たちとのお付き合いはながい。
もう20年近くになる。
乳がんの術後
自宅療養中、体力の回復を目指していたころ
「音訳」の講習会があることを知り
受講したことがきっかけだった。
当時、体力がなく家に閉じこもりがちだった私が
その講習を受けたいと言ったとき
夫は大賛成してくれた。
ちょうど
手術やさまざまな事情でパートをやめていたので
音訳の活動にたくさんの時間を使うことができた。
その後、地元での音訳グループにも参加し
なんとか活動を続けることができている。
そうした利用者さんたちとお目にかかる機会もあり
ガイドヘルパーの講習を受けたのは
夫の発病の前年だった。
そして現在の職場では
仕事として、視覚障害の方たちの外出のお手伝いもさせていただいている。
夫がいてくれたら
きっと
今回の研修にも大賛成してくれたことだろう。
そう思うことで
5日間、慣れない道の運転も頑張れた。