脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

知的な障がいのある人たちの健康を守る

2016-07-27 21:35:46 | 日記 2
今日は娘の大学病院受診日。
いつもの小児科の前に
この冬から異常が起きてきた女性科も受診。
ホルモン治療であまり改善がなかったので
来月MRI検査。
今日の受診日まで続く異常に
私の神経はぼろぼろ。

小児科の主治医に
遺伝性の癌を調べる方法について
先日から何度も教えていただいてきた。

自分が過剰に心配症であることも
普通の親なら
こんなことをお願いしないことも承知してはいるけれど
自分がいなくなったら、誰がこの子の健康を守れるのかと
不安で不安で仕方がないことをお話しした。
夫は脳腫瘍、夫の父親は肝臓癌、夫の母親は子宮癌
そしてわたしは乳癌を経験している。
私の兄は大腸癌だ。
もちろん生活習慣によるものも大きいだろうが
これだけ家系に癌がたくさんいると
この子のリスクはどんなかと・・

ドクターは真剣に耳を傾けてくださり
遺伝についての研究とカウンセリングをしておられるドクターに相談してくださると
おっしゃってくださった。

自分の体の異常を言葉で訴えることのできないこの子たちを守れるのは
その、言葉にならない言葉を感じ取ろうとする周囲の人の感性だけだ。

そんなぎりぎりに追い詰められた気持ちで過ごしている毎日。




何も変わらない日々

2016-07-17 20:17:41 | 日記 2
来月で
夫がいなくなって丸5年になる。
でも、
わたしの中では
なにひとつかわらない。


哀しみも
後悔も
懺悔も


「複雑化した悲嘆」などという定義も知ったが
そもそも
悲嘆は悲嘆だ。
私自身は
この状態から
抜け出したいとは
望んでいないのだ


この世で
一番大切なひとをうしなった
哀しみも
空虚さも
よりどころのないうつろさも
経験したことのない人にはわからないのだろうと思う
それは仕方のないことなのだ


一番辟易するのは
そんな私を
「力づけよう」とか
「慰めよう」とか
思ってくださる
「善意」の人たち


一番ありがたいのは
そんな私の心に関係なく
変わらない接し方をしてくださる方たち


この世のいのちを終えて
ふたたび
夫に会えるというのなら
わたしは
今すぐにでも
夫のもとにいきたい


でも
娘を残してゆくことができないから
がんばっている


娘とともに
親子3人で暮らせるなら・・・・
否、
息子もともに・・・・