脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

大晦日

2013-12-31 19:59:28 | 私の思い 3
夫のいない三度目の大晦日。
いつまでたっても
きっと
慣れることなどできないのだろう。


夫がいたころと同じように過ごそうと思った年もあったけれど
今は
それもせつなくて


娘のために
せめて
一年の終わりのけじめだけは・・・と
がんばった夕食がおわれば
もう
なにもすることもない。
話す相手もいない。


さみしくて
かなしいだけの
大晦日


後悔も
懺悔も
愛しさも
切なさも
みんな
なにひとつ
変わらない


私は
こうして
ずっと
生きていくんだろうな・・・


夫の
苦しみも
願いも
思いも
みんな
みんな
今も
私とともに
現在進行形だから・・・



それでも・・・

2013-12-30 22:07:41 | 私の思い 3
もう、何もできないと思っていたのだけれど
まるで
そんな私の心がわかっていたかのように
続々ととどくプレゼントに
涙が止まらない。

先日は
ご近所や姉から
お餅をいただいた。
洗ってきれいに皮をむいて
煮るばかりになった里芋も。
従兄からは
お酒をいただいた。


今日は
ご近所から
白菜や大根、おみかん、
夫の姉からは
夫の好物だったちくわやハンペイなど・・・

何も買えないと思っていたけれど
いつの間にか
食材がたくさんになった。



里芋の煮物が大好きだった。
お餅も大好きだった。
いつも
娘のために
一口にちぎって食べさせてくれた。
みかんも大好きだった。

しめサバやマリネ
角煮、だしまき、黒豆、筑前煮、なますなどなど
夫のためにたくさんのお料理を作った。
どて煮は夫の担当で
毎年、
外で炭火をおこして煮込んでくれた。


もう、夫はいないのだ。
そのことを
あらためて思い知らされる。


それでも
たくさんの方が
私を気遣ってくださっている。
そのことに
心から感謝しよう。


そして
夫がしていたように
夫の叔母と
本家への
年末のご挨拶にも行ってきた。

夫がいてくれたら・・・
夫がいてくれたら・・・
ずっと
ずっと
そう思い続けて
いくのだろう。



いろいろな生き方

2013-12-30 04:38:00 | 私の思い 3
1年がもうすぐ終わる。
悠久の時の流れの中で
人間の一生なんて
ほんの一瞬にすぎず
一生の間にできることなど
塵芥に等しいのだろう。

それでも
精一杯
生きている

その
精一杯さの方向は
みんなちがうのだけれど
それでも
精一杯の姿勢はおなじ


クリスマスも
お正月も
もう
自分とは
遠い世界
世間の喧騒も
見えない壁に
隔てられている

買い物に行けば
並んでいるのは
お正月用品ばかり。
普段でさえ
ほとんどのものが
買えないのに
買えるものが
まったくない。

夫が好きだったもの、
夫のためにがんばって作ったもの、
失敗したメニュー、
どれも
作れなくなった。
食材を買おうとしても
手を伸ばすことさえできず
たぶん
泣きそうな顔をしているのだろう。

去年は
それでも
娘のために
少しは
何かを作った気がするけれど

今年は
何も買えない。

夫が病気になって
4月に手術、
6月に退院して
その年は
ずっと自宅療養していた。
年末の検査も無事クリアして
みんなでお正月を迎えることが
とても嬉しかった。
もしかしたら
ドクターのみたては間違っていて
このまま
平穏に過ごしていけるのではないか、などと
思いたくなるほどだった。
でも、
夫の中では
何かの異変が起きていたのだろう、
夫は
元日の午後から
急激におちこんだ。

理由は
語ってくれなかった。
そして
そのあと
急激に
症状がすすんだ。

あの
穏やかだったお正月を
せめて
3日間だけでも
穏やかに過ごさせてあげたかった。

どんなに願っても
時間は戻らない。
現実は
容赦なく
動いてゆく。
私の時間は
あのころのままなのに。

これが
私の精一杯。
もう
あがくのはやめよう。
私は
私でしかないのだから。




もう・・・

2013-12-25 21:35:32 | 私の思い 3
八方塞の日々
夫がいたら
何と言ってくれただろう・・・と思う


どうして
こんなに
いろいろなことが
次から次へとおきるのか


私は
ただ
娘に穏やかに暮らしてほしいと願い
息子たちも
平穏に暮らして行ってほしいと願っているだけなのに・・


夫がいたら
何と言ってくれただろう・・・





もう
夫はいないのだ