脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

どうすれば?

2013-04-29 22:26:59 | 私の思い 3
昔、流行った歌に
「泣くの、歩くの、死んじゃうの?」
「あなたならどうする?」
という歌詞があった。

(知ってる人はかなりご年配かと・・・)

さしずめ、
今の私、
泣いて、走って、
・・・さて・・・

命を粗末にはできない。

でも、
こんな状態で
果たして
「生きている」と言えるのか?

眠れない。
頑固に、眠れない。

思い出せない。

できない。

こんな生き方を
夫が望んでいたはずはない。
わかっているけれど
どうすることもできない。


連休 2

2013-04-28 22:14:33 | 日記 3
今日は連休後半の来客をお迎えする準備。
来客と言っても、
叔父・叔母たちはみえなくなって、
義姉家族と義弟だけ。
あとは、従弟や親戚の方がお参りにみえるかな?

来客用の布団を干し、
居間のコタツを片付けて、
来客用のテーブルを出し、
台所を大掃除して、時間切れ。

3年もワックスをかけていない床が気になるけれど、仕方ない。

あとは、洗面所と脱衣場、お風呂場の大掃除。
明日は、音訳ボランティアの仕事があるので、
夜、がんばるしかない。

あ、ワンコの小屋も掃除しないと!

と、日頃、気力がなくて
ほとんどできないお掃除を
追い詰められて、
やっと、少し。


連休

2013-04-27 21:29:11 | 日記 3
世の中は連休らしい。
スーパーのあまりのにぎやかさで気づいた。
ほしかったレタスは売り切れで、
洗剤は買い忘れた。
何のためにスーパーに行ったのか・・・

もう、
世間と同じように
季節を感じることも
さまざまな行事に心おどることもない。
時間は、私とは関係のない
遠い世界を流れている。
この感覚はどうすることもできない。

私自身は
悲しいとか、淋しいとか、
そうした感情よりも、
ただ、ただ、
言葉をなくした頃の
夫の不安気な表情を思い出して
どんなに心ぼそく不安だったことだろうと
心を引き裂かれるような思いでいる。


どうすることもできない。
あのときに戻ることなどできないのだ。


過去とは何なのだろう?


戻れない時間?


今の自分の一部?


だとすれば、
終わってしまったことではない。
今も
現在進行形で
私自身と共にある時間だ。



今という時間

2013-04-24 22:40:39 | 私の思い 3
私は今という時間を生きている。
夫には、ない、時間だ。
夫にあるのは、共に過ごした過去の時間だけだ。
そこに二度と戻ることはできない。
でも、それは、共に過ごした、確かにあった時間だ。
だから、私は繰り返し、そこに戻る。
そして、
二度と戻れないとわかっていながら
その時の夫の気持ち、夫の苦しみが
今、私自身の感覚になって
身もだえするほどの苦しみになるのだ。

なぜ、あのとき、もっと
夫の苦しみに寄り添えなかったのか。
なぜ、あのとき、もっと
夫の痛みを共有しようとしなかたのか。
どんなに後悔しても、懺悔しても
あの時に戻ることはできない。

悲しみは私自身のものだ。
私自身の中に存在する。
だから、どれだけ時間がたっても
薄らぐことなどない。
後悔や懺悔や悲しみは、私自身の一部なのだ、と思う。

社会生活を送る上で、さまざまなプレッシャーはある。
負担に思うことも、重荷だと思うこともたくさんある。
けれど、それらを避けて生きたいとは思わない。
外部からの力があるから、
内部から力を出して、それに抵抗しようとするのだろう。
全く圧力のない世界に行ったら、
内部からの力は、行き場を失い、心が破裂するのではないだろうか。
あるいは、内部からの力が必要なくなって、
力が出なくなってしまうかもしれない。

私は、こうして、
たくさんの「~ねばならない」という思いに導かれて生きてきた。
それは、夫と共に歩んできた道でもある。
これからは、私一人で生きていかねばならない。
そのことには、いつまでたっても、慣れることはできそうもない。

なぜ?とくりかえし思う。
なぜ、夫だったのか。
なぜ、あのようなタイミングだったのか。
なぜ、あんな症状となったのか。
答えなど、ない。

でも、夫があんなに願った、「今」という時間を
私は生きている。
だから、
夫の願いを、
夫の思いを、
私が実現していかなければならないのだ、と思う。

私の命も、いつ、どうなるかはわからない。
わからないからこそ、
夫の願いを一日も早く実現したいと焦る。

道は、まだまだ遠い。


春まつり

2013-04-21 23:31:28 | 私の思い 3
偶然、街で神楽に出会った。




こんなふうに隊列を組んで街の中を移動する。

街の中のあちこちで神楽を打つ。
街の中の三つの神社の神楽が
氏子のところをまわる。
まわる順番と時間は決まっている。
市街地は車は通行止めになるが、
通行止めではない場所でも、
神楽に出会ったら待っているしかない。

最初に来るのは天狗。



顔が写らなかったけど、オレンジ色の衣装を来ている。
神社によって違うのか、よくわからないけれど。
こどもの頃、天狗がこわかった。
男の子は、天狗をからかって
よく追いかけられていた。
当時の天狗は一枚刄の下駄を履いていて
それを脱いで、
手に持って追いかけて来た。
家の中まで追いかけられていた。
男の子たちは
それが面白かったのか
「おーい、てんぐ~!」と囃していた。



おかめとひょっとこも
獅子舞には欠かせない。
衣装を着ているのは
太鼓と獅子を操る(?)こどもたち。




太鼓。
笛を吹きながら
太鼓も叩きながら歩く。





獅子のうしろには鼓を打つこどもたち。
男の子限定である。
こどもの頃、
まつりは日にちが決まっていたので
平日にあたることもあった。
神楽に出る子は授業を早退できて
とても羨ましかった記憶がある。
午後から夜遅くまでなので
歩き疲れたこどもを
おとなのお囃子の人が肩車して歩く光景もあった。


3年前は東京の病院にいた。
2年前は名古屋の病院にいた。
1年前はどうしていたのだったろうか?
記憶がない。