脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

娘の体調

2014-11-29 22:48:57 | 私の思い 3
娘の体調が悪い。

夫が元気だったころ、
わたしはほとんど定職を持たなかった。
それは、たびたび体調を崩す娘のためでもあった。
多くの時間を親の会やボランティア活動に費やすことができたのは
夫の理解と支えがあったからだ。

でも、今は生活のために働かねばならない。
働いていれば
職場の都合もあり
そうそう休むわけにはいかない。
となれば、
娘の体調が悪くても
作業所に送りだし
自分は出勤しなければならない時もしばしばある。
そのために
娘の回復が遅れることもある


ほんとうは
こころゆくまで
ゆっくり休ませてやりたい
たくさんの持病を抱える娘を
ゆっくりその体調が戻るまで見届けてやりたい
なのに
それができないもどかしさ


週末の予定はすべてキャンセルした
買い物もあきらめた
あすは日曜日
明日一日で回復してくれることをひたすら願うしかない

味覚異常

2014-11-24 23:56:44 | 私の思い 3
味覚異常をはっきりと意識したのは
以前の職場にいたときだった
職場の全員で
昼食に近所のうなぎ屋さんに行くことになった時。
まったく味がしないことに気づいた。

気づけば
ビールも苦いだけで飲めなくなっていた。
焼酎のお湯割りをどんなに濃くいれても
まったく感じることがない。
酔うこともない。
それならば
飲むのをやめればいいと思うのだが
「眠い」と感じることもなくなったので
毎日、日付が変わるまで飲み続ける。
それしか
できることがないのだ。
耳の中では
激しいセミの鳴き声が続いている。

土・日は
隣の一人暮らしのおばあさんに
夕食を届けたいので
味付けがいらない
「天ぷら」や「フライ」にサラダなどを作る。
市販の味付けが使える
シチューや鍋物、関東煮などもたびたび登場。
娘も喜んでくれるので・・・
そしてその残りを火曜日くらいまで食べる。
そのあとは
ほとんど作らない。
味覚がわからない私には
煮物もできないし
夫が好きだったものを作ることも
つらくてできない。
どっちにしても
味がわからないので
冷凍食品や
ふりかけ・インスタントみそ汁などで簡単にすます。


食事をすることは苦痛以外の何物でもない。
それでも
深夜まで
スナック菓子片手に飲んでいるから
ちゃんと体重は増えていて
周囲の人には
「元気」に見えているからいいのかもしれない。




3連休

2014-11-24 22:30:11 | 私の思い 3
3連休が無事終わった。


夫がいなくなって
私一人では
娘を行楽地に連れて行くことはできなくなった。
それでも
娘が退屈しないように
外出の計画を立てた。

1日目
母のところへ。
昼食を外食にした。

2日目
隣町の障がい福祉サービス事業所の
「さをり展」と
市内の特別支援学校の生徒さんによる「カフェ」が
コラボ開催されていたので隣町まで。
ついでに
近くの観光地で
「琴と尺八の演奏会」が
入場無料で開催されていたので立ち寄った。
演奏が終わってから
「体験」もさせてもらえたので
娘は初めて琴を演奏させてもらった。
と言っても、手を持って・・・だけれど。

そして
今日は
移動支援をお願いして外食に連れて行ってもらった。

なんとか
3日間、乗り切ることができた。


娘は
よく父親との思い出話をしてくれる。
片言ではあるが
夫と出かけたところ、
夫の口癖などよく覚えている。
それは
娘にとって
楽しい思い出であり
今も
娘の心を温めてくれるものなのだろう。


わたしがいなくなっても
娘が
楽しかったことをたくさん思い出すことができるように
娘のために
楽しい思い出をたくさんたくさん残しておいてやりたいと願っている。
だから
娘と一緒にいるときは
精一杯の笑顔で過ごす。


3日間、なんとかがんばれてほっとしている。



友人

2014-11-15 22:22:44 | 私の思い 3
今日、近所に住む友人が久しぶりに我が家を訪ねてくれた。
会うのは約一か月ぶり・・・

年齢も近く
家もすぐ近くで
わたしの次男と彼女の長男が同年齢ということもあり
乳児健診のころから
ずっと親しくしてもらった。

夫の闘病中は
転倒のたびに駆け付けてくれて
助けてくれた

そのころから
ご主人のご両親の介護でかなり苦しんでおられたのだが
わたしは夫のことで精いっぱいだった

夫がいなくなって
彼女自身が「癌」に罹患し
さまざまなことがあり
ともに「鬱」に苦しむ仲間になった


力が出ないことや
朝、どうしても起きられないことや
気力が出ないことなど

「鬱」を経験した者にしかわからない気持ちを
ともに苦しんだ「仲間」だった


ひとから「がんばれ」といわれることや
さまざまな「助言」が
どんなに重いか
「鬱」を経験したものにしかわからない苦しみを
話し合える友人だった


でも
少し前から
彼女と私の決定的な違いを意識し始めていた

彼女は
「よくなりたい」と思っている
でも
わたしは
「夫が戻ってこない限り、自分が変わることはできない」と
思っている


そして、今日
久しぶりに会った彼女は
少し気力が出てきたことを語ってくれた。
それは
わたしにとっても
心から喜べる朗報だった
彼女は
これからも
人生を楽しめる人なのだから・・・
でも・・・


わたしは変わることはない
夫がいないで世界で
心から楽しめることなどなにもない
心から笑えることもない
それでも
毎日、人と会えば「笑って」「明るく話して」いる
それは
わたしにはとても気力が必要で
苦しいことだ


友人には
心から気遣ってくれるご主人やご家族がある
でも
わたしには
気遣わなければならない家族はいても
気遣ってくれる家族はいない
ただひとりの
理解者を喪って
自分の思いを話せる人はだれもいない
もちろん
気遣ってくれる友人や親族はいるが
それでも
それぞれの家族のほうが大切なことはいうまでもない
そんなことは
仕方がないことなのだ


わたしは
ただひとりの
たいせつなひとがいなくなった
この世界で
生き続けなければならないことの意味がわからないだけ




いつまでも

2014-11-07 21:42:53 | 私の思い 3
今日は夫の39回目の月命日。
いつまでたっても
この気持ちは変わらない、と思う。


昨日の朝は川霧がとても濃かった。
川沿いの通勤路を走っていても対岸が見えなかった。


   川霧が
    視界さえぎる秋の朝
    あなたは彼岸わたしは此岸