脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

えにし

2022-08-22 20:00:12 | 日記 2
私には
母の違う姉と
父の違う兄がいる

姉とは一緒に育ったが
兄の存在を知ったのは高校1年生の時だった

兄の存在を知る以前
私は常に姉との比較の中でしか褒められることがなかった
常に姉と比較して
姉を叱責するための材料として
私の行為は褒められた

だから
私は
姉が叱られないために
できるだけ
悪い子でいなければならなかった

私は
自己肯定感をもてないまま
自分のせいで不幸になっていると思っていた姉が
しあわせになったら
死のうと思い定めていた

そして
姉が結婚した高校1年生の時
父親の違う兄の存在を知った

兄がなぜ共に暮らせなかったのか
知りたいと思った

そして数年が過ぎ
夫の2軒隣の家に
幼い時に養子に出されたことを知った

夫が3歳の時
川に流された夫の命を助けてくれたのが
その兄だったことも知った

私は
姉を虐待する母を憎み
兄を引き取らなかった父を非難し
父とも母とも
親子らしい心のつながりをもてずに過ごしてきた

そして

私の心を支えてくれているのは
その兄と姉だ

両親を非難し
憎み
親子らしい情愛を育てることができなかった私の
乾ききった心に
姉兄として
かわらず暖かな眼差しをそそいでくれる
2人に
どれだけ支えられていることか

そして
兄との縁をつないでくれた夫に
こころから感謝している




50回忌

2022-08-15 17:23:00 | 日記 2
昨日は義父の50回忌を営んだ。
夫の父。
夫が19歳の時他界された。
それ以来、夫は母と祖母の面倒をみてきた。

義弟はまだ17歳、学生だった。
義弟が当時通っていた専門学校を退学したいと言ったとき
夫は仕事を休んで
当時の先生たちに会いに行き
義弟が学校を続けるよう説得した。
義弟はそのとき身に着けた技術を
退職まで活かすことができた。

夫の闘病中
誰よりも夫を支えてくれたのはその義弟だった。
今も、男手が必要な田舎の暮しを支えていくれているのは
その義弟だ、

昨日は
隣県へ嫁いでいる義姉も3年ぶりに帰郷し
姉弟そろって50回忌のお参りをすることができた。
夫が若かったころのような「家と家のつきあい」は減り
コロナ禍もあいまって
親族が集まる機会は激減した。
それでも、
姉弟だけでもいっしょに
お参りができたことを本当に良かったと思う。

夫がなによりも大切にしていた
「人と人が集う家」という思いを
こうして引き継いでいけることに感謝。

午後は「お花束配り」をした。
夫が大切にしていた人たちに会い
今の私の生活を気遣っていただいた。
これからも
夫が繋いでくれたこのご縁を大切にしていきたいと思った。