無事、治療が終了し、退院してきました。
当初の予定通り、ESD(内視鏡下粘膜下層剥離術)により摘除することができました。
「今後のことは、病理診断の結果をみて相談しましょう」とのこと。
「え、摘除できたら治癒じゃなかったの?」とも思いましたが・・・
退院証明書の「転帰」の欄には
「治癒」でも、「治癒に近い状態」でもなく、「その他」にチェックが入っていました。
入院中、リハビリを兼ねて院内を歩きました。
夫と通った脳外科の前を通ると
夫と一緒に座った丸テーブルがそのままありました。
「あの日、ここで電話をかけたんだ」と夫が言った場所です。
突然、入院・手術を告げられて
どんなに驚いたことでしょう。
それでも、「弟がいるから・・・」と
私に、東京から戻らなくてもいい、と言ったのです。
そのテーブルから、弟に連絡して
さまざまな書類にサインをしてもらって
たった一人で、手術に臨みました。
術後の頭痛には「がまんできるよ」と答えていたと
後日開示してもらったカルテに記載されていました。
わたしは
今回、その夫の言葉をずっと胸の中で抱きしめていました。
たった一人で
痛みや不安と闘った夫のように
わたしも
術後の痛みは「がまんできるから大丈夫」と答えました。
そう答えるとき
夫が一緒にいてくれる気がしました。
しばらくは
胃潰瘍の治療に準じ
食事に気を付けて過ごします。
当初の予定通り、ESD(内視鏡下粘膜下層剥離術)により摘除することができました。
「今後のことは、病理診断の結果をみて相談しましょう」とのこと。
「え、摘除できたら治癒じゃなかったの?」とも思いましたが・・・
退院証明書の「転帰」の欄には
「治癒」でも、「治癒に近い状態」でもなく、「その他」にチェックが入っていました。
入院中、リハビリを兼ねて院内を歩きました。
夫と通った脳外科の前を通ると
夫と一緒に座った丸テーブルがそのままありました。
「あの日、ここで電話をかけたんだ」と夫が言った場所です。
突然、入院・手術を告げられて
どんなに驚いたことでしょう。
それでも、「弟がいるから・・・」と
私に、東京から戻らなくてもいい、と言ったのです。
そのテーブルから、弟に連絡して
さまざまな書類にサインをしてもらって
たった一人で、手術に臨みました。
術後の頭痛には「がまんできるよ」と答えていたと
後日開示してもらったカルテに記載されていました。
わたしは
今回、その夫の言葉をずっと胸の中で抱きしめていました。
たった一人で
痛みや不安と闘った夫のように
わたしも
術後の痛みは「がまんできるから大丈夫」と答えました。
そう答えるとき
夫が一緒にいてくれる気がしました。
しばらくは
胃潰瘍の治療に準じ
食事に気を付けて過ごします。