脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

新しい家族

2012-09-24 21:59:39 | 日記 2



今朝、わが家にやってきた捨て猫。

昨夜、一晩中、家の周りで鳴いていて、
今朝外に出てみたら、もう離れない。
足元にすり寄り、ジーパンに爪を立ててよじ登ってくる。
こうなれば、飼うしかない。

やせて、がりがりなので、
私のカウンセリングが終った後、動物病院へ。
ダニと回虫がいるといけないので
それを殺す薬を背中につけていただいた。
他の感染症がでてくるといけないので
とりあえず、ワンコが小さいとき使っていたサークルに
蓋をして飼っている。
これが、まるで仔犬のように「くう~ん」と鳴く。



鳴き声が映っていないのが残念!

ちびのくせに
自分よりはるかに大きいワンコには一人前に威嚇する。
前からいる猫には甘えに行ったら威嚇されていた。
三匹とも
仲良くなれるといいね。


家族が増えるなんて、思ってもみなかったことだから・・・
ちょっと嬉しい。
いや、かなり、嬉しい。
でも、お金はかかるんだよね~。

誕生日

2012-09-22 13:36:20 | 私の思い 2







朝早く起きると山には靄がかかり、墨絵のような美しさ。
ワンコの散歩に出ると、リスに出会った。
落ちている胡桃を拾っている。
もう冬の支度が始まっているのだろうか。

今日は夫の誕生日。
「お父さん、おめでとうって言おうね」と娘に話すが
怪訝そうな表情をする。
いなくなった人に「おめでとう」を言うということが
理解できないのだろうか・・・
いつも
「お父さん、行ってきまぁす」と「ただいまぁ」は言うのだけれど・・・

やけつくような夏がすぎ
日暮れが早くなった。
仕事から帰るともうあたりは薄暗い。
懐中電灯をもってワンコの散歩に出る。
これから、また、あの心も凍てつくような冬が来ると思うだけで
とても心細くなる。

でも、
不思議なえにしに支えられ
力づけられて
なんとか生きている。
精一杯とはいえないのだけれど
それでも、
今というこの瞬間を、
夫があんなに願いながらもかなわなかった
この瞬間を
私一人で生きている。
夫の苦しみ、悲しみ、それでもあきらめなかった未来への思い。
それらをすべて抱えて、生きていくのだと思う。


住民票妻といふ字が抹消され 世帯主とぞ書き込まれをり


青い空白い雲あり 紅く咲く曼珠沙華にもかなしみあらむ


追記
 「お父さんはお誕生日に何が食べたいとおもう?」と娘に聞いてみた。
「ケーキかなぁ?それともお刺身かなぁ?」と言うと
しばらく考えて「お刺身!」と答えてくれた。
「そうだね、お父さんお刺身が好きだったねえ」
で、夕食は海鮮丼にすることに。
買い物から帰って来て、二人でお墓に行った。
そこに夫はいないと思うのに
お墓に行けば、夫に話しかけ、大泣きする毎日なのだが、
今日は娘と二人で
「お誕生日おめでとう」と言ってきた。
58回目のお誕生日だよ、
一緒に祝いたかったね・・・・・


後悔と懺悔と

2012-09-16 22:05:55 | 私の思い 2
若年性アルツハイマーのドラマを見た。
自分が全てを忘れてしまう日を覚悟して
8歳の娘の将来の誕生日にむけて手紙を書くシーンを見て
涙が止まらなかった


きっと
夫もそうしたかっただろう
病気のことを知っていたなら
失語になる前に
そうしていただろう
私は
告知をしないことによって
夫から
その機会を奪ったのだ


夫は
自分の病が完治しないことに気づきながらも
そのことを嘆くことはなかった
家の片づけをしたり
私たちの未来を気づかったりしながらも
治りたいという気持ちを捨てることはなかった


けれど
再発してからの病気の進行はとても早くて
あっという間に
夫から言葉を奪ってしまった
夫には
きっと息子たちや娘に伝えたい思いがたくさんあっただろうに・・・


どんなに後悔しても時間は戻せない
分っているけど
写真の夫にむかって
繰り返す言葉は
やっぱり「ごめんね」と「ありがとう」しかない

夫と共にすごした幸せだった日々に戻りたいとは思わない
それは贅沢な望みだとわかっている
私は一生分の幸せを夫と共に味わいつくしたのだと思うから・・・

ただ
あの苦しかった日々の夫の思いに寄り添えなかった
激しい後悔だけが私を押しつぶす


かなうなら君の傍(かたえ)に寄り添いて
     君の重荷を共に負いたし



 


エンディングノート

2012-09-02 10:32:10 | 私の思い 2
2冊のエンディングノートを買った。
本屋では見つからなくて
通販では内容がわからなくて・・・
でも、2冊の内容は全くちがっていて
どちらも気に入った。



これは、以前の携帯で撮影した写真。





これはスマホで撮影したけど、縦横の直し方がまだ分からない(笑)
なぜか、同じように携帯から画像のアップロードをしたけど
写真もおっきい!!
使いこなせるのはまだまだ・・・


とりあえず書こうと思っているのはこっちだけど
本当に必要なのはもう一冊の黄色の表紙のほう。


鬱のせいでもあるのだろうが
「事故や急病で私が急にいなくなったら」という
強迫観念のようなものにとりつかれると
いてもたってもいられなくなる。
娘の後見制度の書類はどこに、
相続の書類はどこに、
通帳の印鑑はどれで、
保険の証券はどこで、
手続きは何と何があって・・・
我が家の場合、そのすべては
障がいのある子どもたちにはムリで
義弟が健在なら
義弟にに依頼するしかない。
でも、義弟が病気だったりしたら
誰にも頼める人はいない。
司法書士の同級生か?
そこも個人事業者だから
彼に何かあれば継続性はない。
「早くきちんと書いておきたい」と焦るけれど
手がつかない。

ブルーの表紙のほうは
自分の今までを振り返ることで
本当にたいせつなものを
「今」大切にしていこうよ、というスタンスで作られている。

「今」というこの瞬間を生きている。
瞬間は、文字通り瞬く間にすぎさり
二度と戻ることはできない。
次の瞬間のことは誰にもわからない。


わからないことを思いわずらって
「今」を無駄にしていていいのだろうか・・・
だったら、
息子や娘のために
まだまだ
やらなければならないことや
できる事はあるはず。
今まで、ずっとそうしてきたように
「障がいがあっても、その人らしくいきいきとくらせるように」
地域社会の中のシステムを整えていく努力をしていくこと。
実際に、夫の闘病中
私がそこにほとんどのエネルギーと時間を注げたのは
安心して娘を預ける場所があったからだ。

こう書きつつも、
次の瞬間には、また弱い気持ちになる。
もう、がんばれない。
エネルギーがない。
やれることは、やりつくした。
次は、何を、どうすればいいのか
方向が見えない・・・・。
そんな気持ちに
哀しみが追い討ちをかける。

当分は、こんな両極端をゆれながら
ゆっくり
ゆっくり
動いていけばいいのかな、と思う。
「具体的に動くこと」が
以前の私のモットーだった。
考えているだけでは行き詰るけど
ゆっくりでもいいから
動くこと。


折しも、今日は私の誕生日。
一昨年は、夫とランチにいき
もう金額が分からなくなっていた夫だったけど、
自分の財布からお金を払うようにと言ってくれた。
思い出せば、涙があふれるけど
でも、心はとってもあたたかい。

たくさんのあたたかい思いを残してくれて
本当にありがとう。