脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

一年の終わりに

2015-12-30 22:10:12 | 私の思い 3
一年が終わろうとしている。
年が変わったとて、なにも変わるものはないのだけれど・・・
それでも
夫が元気だったころの習慣を思い出す。

翌年も同じ日々が巡ってくると
なんの疑問ももたず信じていたころ・・・

貧しいながらも
大掃除の傍ら
さまざまな手料理を作った。
仏壇の掃除と車の掃除・ワックス、
高い場所の掃除は夫の担当だった。

夫がいなくなって
年末の車の手入れもできなくなり
高いところの掃除も手入れが行き届かいなままだ。
料理も
味覚障害のためにできなくなり
わずかばかり
娘の好物を買ってくるだけになった。
それでも
ご近所や姉からお餅や漬物などをいただき
義姉が送ってくださったミカンや明太子などとあわせて
少しはお正月らしくすることができそうだ。

夫の病気が発覚した時
わたしは
娘の下垂体腫瘍の手術のために
東京の病院にいて
夫のそばにいることはできなかった。
あのころから
ずっと
自分が「正常な」精神状態だったとは思えない。
夫の入院を知った時は
頭が「真っ白」になって
姉に電話することさえできなかった。
以来、ずっと
わたしはそれまでとは全く違う世界に放り込まれたような
手さぐりの
闇の中にいる。

それでも
容赦なく
時間は流れ
娘は
そんな中でも
落ち着きを取り戻し
今も
「お父さん」の思い出をたくさん語ってくれる。




きっと
わたしがいなくなっても
娘は
現実を受け入れ
わたしとの
思い出を語れるようになるのだろう


心配しなくてもよいのかもしれない



娘には
娘の人生があるのだから


わたしの人生は
夫とともに終わったのだから


2015-12-07 21:25:23 | 私の思い 3
2日の早朝、
泣きながら目覚めた。
記憶する限りでは
たぶん・・・6度目の夢


今日まで
そのことをここに書けなかったのは
夢の中の自分に腹を立てていたから・・・
夢が潜在意識の表れなら
わたしは
なんという妻なのだろうと・・・




夢の中で
娘と一緒に
家族三人で出かけていた。
知らない場所で
突然、夫がいなくなった。
わたしは必死で夫を探したがみつからなった。
探して
探して
何日かたったとき
夫から携帯に電話があった。
電話口で
わたしは
なぜ
わたしたちを知らないところに残していなくなったのか、と
泣きながら夫を責めた。



そこで夢が覚めた。


夫の声は聞こえないままだった。


なぜ
あのとき
夫を責めたのか。
責めないで
どんな事情があったのかを
冷静に
穏やかに尋ねていたら
夫の声が聞けたかもしれないのに。
私たちを残して
突然いなくなるなんて
よほどの事情があったのだろうに。



夫の声に耳を傾けようとしないで
自分の想いを優先させたのは
夫の闘病中となにひとつ変わっていない。
わたしは
なんという妻なのだろう。