脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

もどれない

2015-04-29 20:15:00 | 私の思い 3
今日は祭日だったが仕事だった。

地元で、ささやかに活動しているフォークグループの40周年記念コンサートに、
市内の障がい福祉サービス事業所の利用者すべてが参加するというイベント。
140名を超す利用者さんたちが舞台に上り
新曲を一緒に歌った。

「ひとりひとりみんなちがう
 でも同じ時を生きている・・・」

そのグループのコンサートには
よく夫と一緒に行った


今日は仕事だから
決して泣いてはならないと思いつつも
たくさんの思い出で胸がいっぱいだった



ひとは
みな、いつかはいのちの終わりを迎える
その冷徹な事実を味わったものにしか見えないものがあると思う



見てしまったものは
見なかった時にはもどれない


見なかったふりをして
気づかないふりをして
生きていくこともできない


それでも
日々の営みは
容赦なくつづく




 

なぜ・・・

2015-04-19 22:28:59 | 私の思い 3
人は、何のために、どこに向かっているのだろう?


もし、神が、
人間や、この世界を作り給うたのならば
人は神のご意志にそって生きねばならない。


しかし、
この世界が、偶然により「進化」してきたのならば
人間も、動物も、等しく
すべては「偶然」でしかないことになる。
信仰は、人が「人」であり
他の動物たちと異なると「信じる」ために
生み出したものにすぎないのではないのか。


信仰とは
この世界の創造主である神を信じるか
人が生み出した「仏」を信じるかにより
大きく意味が異なってくるのではないか



わたしは
そのどちらも
信じえないでいる





なぜ夫だったのか、とくりかえし思う。


ただ市井の片隅で
ひっそりと
富も名誉も求めず
正直に
穏やかさだけを求めて
生きてきたのではなかったのか
それなのに
なぜ
夫だったのか、とくりかえし思う。



やり場のない思いだけが
心の中でどうしようもないほど膨らむ



人はだれでもいつかは必ずいのちの終わりを迎える。
その人が生きたあかしは
時とともに薄れていく
その人の生きた意味はどこにあるのだろう。
夫が生きて、苦しんだ意味はどこにあるのだろう。
わたしがいなくなれば
そのことさえ
誰も考えなくなる
夫の存在は忘れられていく
そのことが
たまらなく哀しい






やりすごす日々

2015-04-11 21:47:11 | 私の思い 3
わたしの「鬱」はずっと「悪くなっている」。
でも、もう病院にも行っていないし
これが「鬱」であろうとなかろうと
これが今のありのままの自分なのだと思っている。


平日は、ベッドから起き上がるのに大変な気力が必要だ。
まるで鉛の鎧を身に纏っているのではないかと思うほど。
でも、働かなければ食べていけないという現実が
かろうじて毎日、仕事に行く原動力になっていることは
皮肉ではあるが、結果としてはよかったのかもしれない。


仕事に行って
利用者さんと向き合ってしまうと
全力以上の力で頑張ってしまうので
仕事が終わると
車まで歩く力も残っていないことがたびたびある。


帰宅すれば
もう何もできず
ぼーっと過ごしてしまう。
多量のアルコールを飲み
スナック菓子を食べ
気づくと日付が変わるころ。
こうして
毎日をなんとかやり過ごす。



週末は娘がいるので
精一杯楽しませてやりたいと思っている。
夫が自分の受診を後回しにしてまで守ってくれた娘の健康を
何が何でも守り抜かなければならないという思いから
今の私は、娘の健康状態が心配で心配でたまらない。
痛みを訴えることができず、
体の不調も訴えることができない娘の
小さな変化を見逃すまいとして
わたしはとても過敏になっていると思う。


それでも
高齢の母の様子を見に行ったり
隣のおばあさんの様子を見に行ったり
近所のお付き合いもあり
娘の親の会の仕事もあり
ボランティアの勉強会もあり
世間との必要最低限のかかわりはなくせない。


今年は
夫が大切にしていた「お敬い」はインフルエンザで欠席。
地区の「お祭り」は親の会の会議で欠席。
欠席の理由ができて
わたしにはとてもありがたかった。


高速を運転していて
側壁の低い高架のような場所に差し掛かると
いつもそのまま直進したい「衝動」にかられる。
その「衝動」にいつまで逆らい続けられるのか
まったく自信はない。
なぜ
そうしてはならないのか
なぜ生き続けなければならないのか
わたしには理由がわからない。


ただ
今は
子どもたちをのこしてゆくことができないから
生き続けているだけだ。
子どもたちもともに消えることができるなら
夫がいる世界に今すぐにでもいきたい。