脳腫瘍のパパ

2008年夏、パパが脳腫瘍に・・。
パパは旅立ってしまったけれど、同じ病気に悩んでいる人の参考になれば幸いです。

頑張っています!!

2012-07-15 21:30:46 | Weblog
暑くなってきましたが私も子供たちも元気に頑張っています。

4月末くらいから我が家に居候くんがいました。
居候くんは25才。
恋愛とか彼氏とかではなく友達です。

私が作る料理を『おいしい!』と言ってくれて、休みの日は一緒に出かけてくれる。
『いってきます、ただいま』と当たり前のように言ってくれる居候くん。
子供たちとも仲良しで男4人でワイワイ遊んでいるのを見ているだけで、私はなんだか頑張ることができました。

でも居候くんは2ヶ月ほどで出て行ってしまいました。
今は時々泊まりにきます。

出て行ってしまって寂しいけど『自分で何でもできるんだった!』と思い出させてくれました。
彼氏ができて人に甘えることが楽だってことを思い出してしまって、振られてからずっと落ち込んでいたけど、そこから救い出してくれたのは居候くんでした。

毎日時間に追われ、寝る時間を削ってなんとか家事と仕事を両立させているけど、なんとかやっています。


頑張っている私にもそろそろ幸せが来てくれないかなぁ・・・。




元気に頑張ってます!

2012-05-07 22:13:34 | Weblog
去年の暮れの失恋騒動からやっと立ち直りました。
新しい恋をした訳じゃないですけど、やっと彼を見ても辛くなくなりました。
パパがいなくなった時の自分に戻ってきたような気がします。
気持ちも落ち着き、一人で頑張っています。

私の恋の話は非難されたりもしましたが、私は何も間違えたことはしていないと思っています。
パパには私にできるだけの事はしてあげたと思っているし、私は浮気をしたわけではない。
いろんな意味でいい勉強になったと思います。

今度また新しい恋をするときはずっと私を大切に思ってくれる人を探します。

最近私はまた結婚したいと思っています。
きっとパパと同じくらい私を想ってくれる人がいると思うから・・・。


相変わらずパパの所には週に2回は行っています。
お墓の前でブツブツ愚痴を言ってくるだけですけど・・・。


恋しました。でも・・・。

2012-01-03 23:13:32 | Weblog
パパがいなくなって生活の変化についていくのがやっとの時間を半年ちょっと過ごした頃、自分は何のために頑張っているのかわからなくなってしまいました。
朝から夜まで仕事をして家に帰れば家事に追われ、疲れきっていました。
子供たちも私のいない生活に慣れてきた上に、上の二人は高校生になって私を頼りにすることもなくなってきていました。
一番下の子にでさえ『にぃにがいればママいなくても大丈夫』と言われ、自分をどうしても必要としてくれている人はいないのだと心に穴があいてしまいました。
パパがいた頃は私にはパパが必要、パパにも私が必要、というので心のバランスが取れていたのだと思います。
それが崩れてしまい自分の存在価値が全くわからなくなりました。

そんな時現れた彼のことを私は好きになりました。
パパとは全く違う人。
12才も年下の彼を見ているだけでかわいくて、自分に頼ってくるのが嬉しかったんだと思います。
パパがしてくれていたみたいにギューってしてくれて、私はそれだけで十分でした。

パパがいなくなった時はもう好きな人なんてできっこない、恋なんて絶対無理、と思っていました。
でもパパじゃない人を好きになったんです。
私は生きていて、パパはいないんだ、と実感しました。

パパに恋して以来恋をしていなかった私は、大人になってから初めての恋だったんです。
パパに恋したのは18才の時だったから・・・。

でも今の私には持っているものが多すぎる。
パパのこと、家、子供たち・・・。
それを全部捨てて恋に走れる訳じゃない。
でも年下の彼には受け止めきれなかったみたい。

確かに彼にはこれからの未来がある。
結婚して子供がほしいと言われたら私にはどうすることもできない。
彼に私の子供たちと一緒に暮らしていこうよ、とは言えなかった。
彼には『私たち家族4人の中に自分が入るということが想像できなかった』と言われた。

彼の言うことはもっともだと思う。
でもやっと自分を必要としてくれている人が見つかった気がしていた私にはショックが大きかった。
パパに求めていたものを全部求めるつもりは全くない。
ただ私の側にいて欲しかった。

ずるい私は『パパが生きていてくれれば、他の人なんて見えなかった。他の人に恋して傷つくことなんてなかったのに・・・』とパパのせいにしています。
パパの所に行ってパパに文句言って泣いています。
空から見ているパパがどれだけ辛い思いをしているかなんて考えもせず・・・。

パパみたいに私を想ってくれる人はいないのかなぁ・・・、と落ち込んでいる毎日です。
まだ彼のことも好きで、辛いです。
何で人より頑張って生きてきたはずなのにまた泣かなくちゃいけないんだろう・・・。
私はなんのために生きているんだろう・・・?
パパが私を置いて行っちゃうから辛いばっかり・・・。
かなり落ち込んでいる毎日です。

若い頃みたいに恋に走れる自分じゃないことも実感し、たぶん恋するたびに傷つくんだと思う。
でも誰かに頼りたい、甘えたい、ギューってして欲しい・・・。
新しい恋をしてまた頑張ろうっと!!
・・・と自分を奮い立たせています。

納骨しました。

2011-11-12 00:42:48 | Weblog
11月5日はパパの命日でした。
一周忌とともにパパをお墓に入れてあげました。
パパの両親や私の両親、兄弟も呼んでみんなで見守りました。

もっと悲しいと思っていたのですが、あんまり泣かずにパパとお別れできました。

家に遺骨はあってもパパはいない。
私を甘えさせてくれてギューってしてくれるパパはもういないって事がこの1年で良くわかりました。
返事のないパパに話しかけるのももう慣れました。
家に置いておいても私も子供たちも昼間はいなくて、パパ一人お留守番。
それもかわいそうなんじゃないかって思うようになりました。

それに私も子供たちもパパがいないこの世界で前を向いて歩いています。
寂しいけどもう大丈夫です。

パパはピンクの石で天使が彫ってあるかわいいお墓で眠っています。
パパが買ってくれたマイホームも外装はピンクだったしね

何十年か頑張って生きたらパパに迎えに来てもらって、あのお墓に入ります。
それまではパパに待っててもらわないと…

とっても元気です!!

2011-07-15 21:52:07 | Weblog
私も子供たちもとっても元気に過ごしています。
今年から始めた仕事も半年が経ち、仕事に慣れただけじゃなく会社の人と楽しく過ごせています。

パパの事を考えない日はないけど、考えても涙がこぼれなくなりました。
いろんなことが懐かしく思えるようになり、パパとの時間が思い出になっていっています。

今年のパパの命日に納骨します。
いつまでも家においておいたらパパがゆっくり眠れないですもんね。


次男も無事都立の高校に合格し、長男と次男は高校生です。
三男坊も4年生になり、パパのいない時間は流れていきます。
私も先週37歳になってしまいました。
19歳の誕生日からパパにずっと『おめでとう』って言ってもらっていたのに、大人になって初めてパパにお祝いしてもらえなかった・・・。

誕生日の日は寂しくないように、会社の人とディズニーランドに行ってきました。
パパの代わりにみんながお祝いしてくれたので楽しく過ごせました。

パパがずっと楽しみにしていたドラマ『JIN』がやっと完結しました。
毎回パパをテレビの前に連れて行き一緒に観ましたよ。

まだ『パパが元気に生きていたら・・・』と考える時もたくさんあるけど、私も子供たちもたくましく元気に今を生きています。
パパはきっと空から見ていてヒヤヒヤしていると思うけれど・・・。

慣れてきましたが・・・

2011-01-28 12:49:56 | Weblog
パパのいない生活に私も子供達もだいぶ慣れてきました。
年明けから始めた仕事もキツイですがなんとか頑張っています。

次男が高校受験で願書に保護者の名前を書くとき私の名前を書いていて、漢字を間違えててビックリしました
次男いわく『パパの名前は書き慣れてるけど、ママの名前なんて書いた事ないもん』でした。
確かにパパが生きている時はパパの名前を保護者の欄に書いていました。
急に母親の名前って言われてもねぇ・・・って感じなんでしょうね。

そんなところでもふとパパがいない事を思い知らされてまだ涙がこぼれます。

春になったら納骨するつもりで予約したのですがまだ決心がつきません。
話はできなくてもまだ側にいてほしい・・・私のわがままです。
4月に決心できなかったら11月の命日まで入れないだろうなぁ。

パパは夢にも出てきてくれません。
会いたいなぁ・・・。

落ち着いてきました

2010-12-08 20:34:06 | Weblog
パパが逝ってしまってから1ヶ月が経ち、子供たちはだいぶ落ち着いてきました。
私はまだやらなければならないことが片付かないですが、自分でできることはもうほとんど終わってしまいました。

先日喪中はがきを出しました。それを見てパパが亡くなったことを知り電話をくれる人、手紙をくれる人にまた励まされ、人のあたたかさがとてもありがたいです。

夜になるといつも思います。
『パパはどこに行ってしまったんだろう?』
『どこかで私たちのこと見ているのかなぁ?』
『パパに甘えたい、ギューってして欲しい、話がしたい』って・・・。

きっとパパは私の質問に答えているんだよね。でも私に聞こえないし伝わらないんだよね。

お墓、建て始めたけど入れる決心がつくのか不安です。
私が死んだときに一緒に入れるんじゃダメなのかなぁ・・・?


パパは悪くない、病院の先生も悪くない、悪いのはあの病気。
いつか完治する病気になってくれることを願っています。

忙しいです!

2010-11-25 20:38:36 | Weblog
パパがいなくなってから3週間ほど経ちました。
私は毎日銀行行ったり市役所行ったりで忙しいです。
その忙しさに昼間は気が紛れているのですが、夜は辛いです。
涙がなくなることはないのかなぁ・・・?と思うほど毎日毎日涙がこぼれます。

3人の子供たちがいなかったら私は生きることをやめてしまったかもしれません。
『お腹すいた!』と言われるからごはんを作らなければならない、洗濯物は山になってしまう、これでは私がいなくなってしまったらどうなるのか・・・、そう思うから今の私は生きていられます。
息子たちをパパの分まで立派に育てないと!と頑張る気力をもらっています。

あんなにお金に困っていたのに今はたくさんのお金・・・。
パパが命と引きかえに私たちに残してくれた。
なんだか心にぽっかり穴があいたようで、すごくむなしい。
『こんなお金よりパパに生きてて欲しかった』そう思わずにはいられません。

頑張って3人育てて、頑張っておばあちゃんになるまで生きたら、パパは私を迎えに来てくれるよね?!
私だけおばあちゃんはちょっと悲しいけど・・・(笑)

パパを連れて帰ってきました

2010-11-07 19:19:27 | Weblog
昨日お通夜、今日告別式で一通りのことは終わりました。

2日の夜急変してから3日4日は落ち着いていたのですが、5日の午前3時過ぎに病院から電話があって子供たちと行きました。
4時過ぎに着いたときはまだ昨日の様子と変わらなく見えたのですが、心拍数が180前後になっていました。

6時10分ころ検温と血圧測定に来たのですが血圧が測れません。
ハアハアと辛そうに呼吸していたのに急に呼吸がゆっくりになりました。
そのうち息が吸えなくなったので「パパ! 息吸って!!」と私が言うと1回だけ吸って次は吸えませんでした。

私と子供たちはパパの最期に間に合いました。

病院が変わることをパパは嫌がっていました。病院を変えればたくさんお金がかかってしまうこと、みんなに迷惑をかけていることがパパ自身辛かったし、許せなかったから急いで逝ってしまったのだと思います。

パパの骨は壷に入りきれないほどありました。
41歳は若すぎですよね・・・。

きっと今ごろは空の上でたくさん歩いてたくさん話をしているよね。
タバコもたくさん入れてあげたから心置きなく吸っていいよ。


今までたくさんの人に励ましていただきました。ありがとうございます。
これからは子供たちと頑張って生きていきます。

あさみさん、そよかぜさん、ごんままさん、たけちゃんさん、いつもコメント本当にありがとうございました。
これからもみなさんのブログのぞかせてくださいね。

逝ってしまいました

2010-11-06 22:21:56 | Weblog
5日の朝、パパは逝ってしまいました。
急変してから3日で・・・。

パソコンではないのでまた落ち着いたらブログ更新します。