脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

大騒ぎ、再び・・・

2015-06-14 22:11:36 | 私の思い 3
今朝、未明、
なんだか若猫が騒々しくて起きてみたら・・・


まだ孵化したばかりと思しき蛇が・・・
居間で・・・


瀕死の状態で
若猫に捕えられていた・・・


仕方なく
火箸をもってきて
はさんで
表の畑に逃がしたけれど・・
いったいどこから侵入したのか・・・?


無駄に広い田舎の家は
普段私が仕事に出かけていれば
老猫は眠りこけていて
若猫はケージの中で
人の気配もなく
侵入しやすいのだろうと想像はできるが・・・


夫が元気だったころは
こんなことはなかった


人の気配もあり
家の周りもきちんと手入れされていたからなのだろう


そう思うと
夫がいなくなった翌年の秋に我が家に来たこの若猫は
夫が私を守るように遣わしてくれたのかもしれないとさえ思えてくる


でも、
いつまで
この家で暮らし続けることができるのだろう・・・
とても不安になる

想い

2015-06-14 08:34:08 | 私の思い 3
哀しみは
どこまでも深いけれど
その底で
波に揺られるように
ただ心の動きのままにたゆたっていると
その静けさの中で
さまざまな想いが凝縮されてゆく気がする


思えば
夫の発病と娘の手術が重なって
心配に押しつぶされそうだった日々は
自分を励まし
必死で足を踏ん張っていた。
心配と不安に押しつぶされそうになりながら、
それまで抱いていた未来への期待が
すべて一瞬に消え去り
自分の人生が
それまでまったく想像すらしなかった方向へ
否応なく走り出したことに戸惑いながら、
それでも
足を踏ん張る気力を絞り出すことができていた時期だった


夫がいなくなり
これ以上の哀しみも苦しみもストレスも
この世には存在しないだろうと思う毎日を
46か月続けてきて
さまざまな想いが胸の中に渦巻いている


もう
足を踏ん張る気力は残っていない
ただ
渦巻いているさまざまな想いに揺られているだけの日々

夫がいたら・・・

2015-06-10 19:38:48 | 私の思い 3
夫の叔父の奥様が亡くなられ、月曜日に葬儀に参列してきた。
叔父の落胆が痛いほどに伝わり、かける言葉も見つからなかった。
享年76歳、叔父は79歳。
何歳であろうと、大切なひとを失くしたかなしみは同じだ、と思う。



夫がいたら、この場面ではどのように行動していたか・・・といつも思う。
夫なら、こうしていただろう、と容易に想像できる。
その想像にしたがって私も行動する。
そうして、なんとか、さまざまな責務をこなしている。



今日はワンコを大学病院付属の動物病院に連れて行った。
脳の疾患を心配していたけれど
内耳の炎症であることが判明。
治療方法が確定し、一安心した。
内服薬で改善しない時は手術の可能性も残ってはいるが・・・。
検査料は私の一か月の給料を上回った。
わずかな貯金が、叔母の葬儀と、ワンコの検査代で消えた。
それでも、夫がいたら、きっとそうしていたと思うから
後悔はない。



人はだれでも
明日のことは分からない。
だから
今日できることを精一杯するしかないのだ、と思う。




混乱

2015-06-02 21:16:00 | 私の思い 3
職場の若い人と話していて思ったこと。
彼女の未来は明るく、自分の努力次第で輝かせることができると信じている。
わたしには未来はない。
もう残りの時間になし得ることは少なく
自分の努力は、
自分の死後、
いかに残された人に迷惑を掛けないようにできるかに重きを置いている。
この違いは、
すべてのものの見方において
大きな違いをうむということに気づいた。



先週からワンコの具合が悪い。
眼振・吐き気・ふらつき・顔面麻痺。
かかりつけの獣医さんから
大学病院での検査を勧められた。
いくつかの症状が、脳神経からの異常を思わせる、と。



混乱している。
こころもからだも。
せめて、
激しい耳鳴りが少しでも軽減されないものかと思ったが
やはり、治療法はないようだ。