脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

これまでそしてこれから

2020-03-14 10:56:56 | 日記 2
1年で一番つらい季節をやりすごしています。
あの大震災の日
再発して、名古屋の病院に入院し3日目で
まだ、検査結果を聞いていなくて
治療すれば、小康状態を保てるのだと信じたかった。
でも、急激に進んでいく症状に不安で押しつぶされそうでした。
入院するまで
なんとか歩いていた夫は
右麻痺がすすみ
車椅子になり
言葉が出なくなり
テレビで繰り返し流れる大津波の映像も
理解できなくなっていました。

哀しみはずっと心の中にあり
それはさまざまな形に変化するけれど
それは「乗り越える」ものでも「癒される」ものでもなく
ずっとともに生きていくものだと思っています。

苦しいことやつらいことがおきるのは当たり前ではあるけれど
それを本音で話せる人がいない孤独がいちばんつらい。
それでも
言葉を失って
自分の想いを話せなかったあの頃の夫の苦しみとは
比較にならないだろうと思っています。

昨年はとても忙しく過ごしました。
4月から「要約筆記者養成講座」を受講し
毎月日曜日に2~3回の講座を受講しました。
びっしり4時間の講義で、
知的障害のある娘もつれて受講させていただきました。
わたしの隣で飽きることなく
ドリルやシール遊びをして過ごしていてくれました。
2月に試験があり
滑り込みで合格の通知をいただきました。
夫がいたら、きっと応援してくれたことでしょう。
夫が元気だったころ
わたしが学びたいということには
いつも大賛成してくれて応援してくれました。

そんな中
昨年10月に次男が「潰瘍性大腸炎」「難治性」と診断され
2か月の入院生活を送りました。
アスペルガーの長男と、知的障害の妹の間で
「自分がしっかりしなければ」と
自分を追いつめていたのではないかと
息子の苦しみに気づいてやれなかったことを悔やみ
自分を責めましたが
今はなんとか仕事を再開することができ
病気のおかげで
いろいろな話もできるようになりました。

いまも
思い出せないこと、できないことがたくさんあって
日々の生活を維持していくことに
大きなエネルギーが必要なのですが
それでも
自分に与えられている時間があるならば
その時間は大切に過ごしたいと思っています。

今年も
我が家の庭にミニ水仙が咲きました。
手入れをしてやらないので
株は小さいままですが
毎年、花の数は増えていきます。
夫の想いも私の中で
ひとつづつ花開いているでしょうか。

娘は
今も
毎日のように
「お父さん」の思い出を話してくれます。
「〇〇行ったんなあ」
「〇〇食べたんなあ」と
片言で夫とともに行った場所や食べ物、口癖など
たくさんたくさん覚えています。
今は
娘の心の中に
わたしとの思い出をたくさん残してやりたいと願っています。
いつか
自分もいのちの終わりを迎えるのだから
そのあとの
こどもたちの人生が
すこしでも穏やかに温かなものであるようにと
いまは
それだけを願っています。