ギャラリー酔いどれ

売れない絵描きの世迷い言&作品紹介

雪まつりⅤ

2015-02-10 11:49:13 | Weblog
 画は Eugène Henri Paul Gauguin ポール・ゴーギャン

 1848-1903 / フランス / 後期印象派・象徴主義        作


   「Nafea Faa Ipoipo(いつ結婚するの)」です。


 ☆http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150209-00000500-fsi-bus_all
  SankeiBiz 2月9日(月)
  ◎ゴーギャンの絵画、史上最高値の360億円で落札

  仏画家、ポール・ゴーギャン(1848-1903年)の絵画
  「Nafea Faa Ipoipo(いつ結婚するの)」(1892)が
  8日までに競売に掛けられ、
  絵画史上最高額の3億ドル(約360億円)で落札された。
  英BBCが伝えた。

  落札者は、中東カタールの美術館との報道もある。

  これまでの最高値は、カタールの収集家が2011年に落札した仏画家、
  ポール・セザンヌ(1839-1906年)の
  「カード遊びをする人々」の2億4000万ドルだった。
  http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/82/
    Paul_C%C3%A9zanne_222.jpg


  貧困と病苦のうちに死んだゴーギャン、

  あの世で苦虫を噛み潰しておるのでは?



☆雪、真冬日、ドカンと積りました。

まずは、いつかきた道、デジャブー "déjà-vu"=既視感(きしかん)そのもの、

◆http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/kiduitarasensoudatuta.html
長周新聞  2015年2月4日付


   「気づいたら戦争だった」

    現代と酷似する大戦の経験

     報道はみな大本営発表


秘密保護法や集団的自衛権の行使容認など、戦時国家体制づくりを進めてきた安倍政府が
イスラム国の人質事件を契機にして自衛隊派遣を口にし始めるなど、
一気に戦争にのめり込もうとしていることに全国的な憤激世論が高まっている。

70年前の大戦で親、兄弟、友人を無残に殺された経験を持つ人人のなかでは、
かつての無謀な戦争に突っ込んでいった時代の空気に酷似していることが語られ、
戦犯の孫が再び国民を泥沼に放り込もうとしていることへの強烈な怒りが高まっている。

 
無残に殺された320万人の国民

「戦争は、“今日からやります”といって始まるものではない」
気がついたら戦争になっていた」と、多くの戦争体験者は語っている


日中全面戦争に突入していった当時を知る人は、すでにその多くが亡くなっており、
子どもの頃に経験した人がほとんどである。

しかし安倍首相が「非道、卑劣極まりないテロ行為に強い怒りを覚える」
「テロリストたちを決して許さない。その罪を償わさせるために国際社会と連携する。
日本がテロに屈することはない」とくり返す姿や、

安倍政府に対する批判がマスコミによって封殺されていく様が
当時を想起させる
ものとして、強い危惧が語られている。

80代の男性は、「満州事変があり一五年戦争になっていったが、
そのときも中国軍が鉄道を爆破したからだといって戦争を始めた。
戦時中は子どもだったから難しいことはわからないが、
今の空気がそのころに非常に似ている。とくにマスコミ。『朝日』も『毎日』も
大本営発表ばかりして、国民にはまったく真実を伝えず、
それ行けどんどんで国民を戦争へと動員していった

今のイスラム国報道を見ているとそっくりだ」と話した。

当時は家族とともに満州に渡り、地元の小学校へ通っていた。
「戦争が始まるときに、“ソ連兵が越境してきて住民を虐殺するから追いかけていく
(日本軍がソ連軍とたたかいにいく)のだ”と新聞に写真まで出ていた。

しかし通っていた学校の校長先生が修身の時間に“あれは関東軍が仕組んだものだ”と
はっきりいっていたのを覚えている。今になって考えてみると、
勇気のある人だったと思う」と思い起こしていた。


盧溝橋事件契機に「邦人保護」唱えた政府

1931(昭和6)年、満州事変を引き起こして中国への侵略戦争が始まり、
1937(昭和12)年には日中全面戦争へと拡大した。
これを決定的にしたのが盧溝橋事件に関する
近衛文麿首相による1937年8月15日の「暴支膺懲(ぼうしようちょう」の声明だった。

7月7日に起こった盧溝橋事件は、日本軍が北京郊外で夜間演習をしていたとき、
一人の兵隊が行方不明になったため夜間捜索していると銃声がしたというものだった。

続いて、日本が抱えていた中国人保安隊が反乱を起こし、
日本人居留民260人を殺害する事件(通州事件)が起こる。

近衛文麿首相は、通州における事件を「神人ともに許せざる残虐事件」といい、
「帝国は永遠の平和を祈念し、日中両国の親善・提携に尽くしてきた」
「中国側が帝国を軽侮し不法・暴戻に至り、
中国全土の日本人居留民の生命財産を脅かすに及んでは、帝国としてはもはや
隠忍の限度に達し、支那軍の暴戻を膺懲し、南京政府の反省を促すため、
断固たる措置をとらざるを得ない」といって、

「国民政府を対手(あいて)とせず」とする声明を発表し、全面戦争へと突き進んでいった。

こうしたなかで大新聞は大本営発表に終始し、国民には本当のことが知らされなかった。

『朝日新聞』は政府に先駆けて「暴支膺懲」の論調を張り、
「陸戦隊宮崎一等水兵(盧溝橋事件のさい行方不明とされた兵士)は
規定の門限たる7月25日午前6時15分までには遂に姿を見せず、
いよいよ支那人に拉致されたこと確実と見られるに至った」という記事を載せたり、

「恨み深し! 通州暴虐の全貌」という天津からの特派員電で
「天津にいた支那人の保安隊が突如鬼畜と化し、
日本家屋は一つのこらず滅茶苦茶に荒らされて
無惨な死体が雨に当たり散乱し、身体の各所を青龍刀で抉られ可憐な子ども、
幼児迄も多数純真な生命を奪われている」(ともに『東京朝日』)という記事を載せている。

また「邦人大量虐殺の陰謀」という記事で、3000人の支那兵が
天津の邦人1万5000人を虐殺するという「恐るべき計画」を報じるなどして
扇動していった。戦後、これらはでっちあげであることが明らかになっている。

日本帝国が「戦争不拡大の方針」のもとに「隠忍に隠忍を重ね」たうえで、
「平和のため」「邦人の生命財産を守るため」といって開始した戦争で、
満州だけでも四六万人を超える日本軍兵士が犠牲となった


そして敗戦がはっきりするや、関東軍の上層部は邦人を守るどころか
いち早く逃げ出し、取り残された24万人の民間人、6万人の兵士は
極寒のなか凄惨極まる避難を強いられ、
子どもたち、女性、年寄りなど、体力のない者から犠牲になっていった


太平洋戦争全体では320万人を超える国民が犠牲になったのである。

肉親や友人を亡くしながら引き揚げてきた経験を持つ男性は、
安倍は戦後最低の政府だ。私たち戦争体験世代の者が戦後苦労しながら、
戦争に反対して積み上げてきたものをすべて壊そうとしている。

この人質事件を利用してアメリカの要求通り日本を戦争に巻き込もうという話だ。
しかし今回は今までとは違う。対応次第では、日本本土が自爆テロでやられかねない。

原発が二カ所でも狙われれば日本は壊滅する。
この危機的な状況は安倍がつくったものだ。どこが邦人保護なのか
」と憤りを語った。


法整備進めた上で戦争体制を一気に発動

政府は中国で戦線を拡大しながら、満州事変、支那事変は戦争ではない
といい続けていた。多くの国民が戦争を実感したのは、
1945(昭和20)年3月の東京大空襲に始まる米軍による本土空襲だった。

下関市内に住む84歳の女性は、「私は昭和6年生まれで、
物心がつく10歳のとき(昭和16年)に真珠湾攻撃があり、日米戦争が始まったが、
そのころは戦争が起こっているという実感がなかった。
満州事変、支那事変があり、近所から出征兵士が出たり、千人針をした記憶はあるが、
それが戦争に結びつくと思わなかった」と話す。

昭和16年頃から物が次第になくなっていき、食料も配給になり
子どもながら順番をとる列に並び、イワシの缶詰をもらって帰ったりしていたという。
砂糖がとくに不足し、配給では手に入らなかった。
コメも不足し、いつもおかゆだった。
女学校に入ると、学徒動員で幡生の工機部に行くことになり、
美術部だったため塗装部門に回され、日の丸のはちまきを締めて
飛行機の燃料タンクに色を塗る毎日だった。

「後から考えて、あれは特攻隊の人たちが乗る飛行機のものだったのではないかと思う」
と話す。昭和20年3月に東京大空襲があり、東京に嫁いだ姉が焼け出され、
焼け跡に立て札を立てて疎開して下関に帰ってきたとき、初めて
「本当に戦争なんだ。大変なことになっているんだと思った」という。

80代の男性も、「小さい頃に支那事変があり、真珠湾攻撃の前も戦争をしていたはずで、
新聞やラジオでは“勝った勝った”と報道していたが、戦争の実感はあまりなかった」と話す。

中学校に入って戦争が激しくなり、その頃には軍国教育のもとで、
友人たちも次次に予科練に志願していった。
自身も陸軍幼年学校、士官学校に入ろうとしたが身長が足りず、
学徒動員で大阪の工場に行き飛行機の部品をつくる作業に従事。
作業中にけがをして、療養のために帰省した長崎で原爆にあった。

「その頃になると戦争一色で、戦争がいいとか悪いとかを考えることもなく、
毎日仕事と家を往復するだけだった」といった。

日中全面戦争の開始とともに近衛内閣は、国内では国民精神総動員運動(1937年)を始めた。
挙国一致」 「尽忠報国」 「堅忍持久などのスローガンの下に、
節約や貯蓄の奨励、勤労奉仕、ぜいたく廃止などが叫ばれた。

翌38年には国家総動員法、39年には国民徴用令が公布され、
1940年には全政党が解散し大政翼賛会が発足する


この年、紀元2600年を盛大に祝い、「日本は神の国だ」と印象づけたことも、
子どもたちの記憶のなかに鮮明に残っている。

農村部に住む80代の男性は、
家にある鍋や釜、寺の鐘まで鉄が使われているものはみな供出になった
地区の集会なども禁止され、会合をするときには警察が後ろに控えて、
なにか不都合な発言があると、制止して解散させていたことを子どもながらに覚えている。
近所でも、共産党とは関係もない人が憲兵に引っ張られていき、帰って来なかった。

安倍が秘密保護法や集団的自衛権などをすでに決めているが、いざ有事となると、
一気に発動してあっという間に戦争反対などいえなくなる。 今が正念場だ

とその経験と重ねて語った。

11歳で終戦を迎えたという女性は、「前の戦争のときも、上の人たちが勝手にいろいろ決め、
気づいたら機雷でやられた首のない死体が流れてきたり、
頭の上をアメリカの飛行機が飛ぶようになっていた。家でもよく
“壁に耳あり障子に目あり”といわれ、食卓を囲んで家族で話をしているときでも、
“あっ”といって黙ることがよくあった。
思ったことを自由にいえない雰囲気だったことを覚えている。

毎晩眠たいけれど、大人は子どもを死なせたくないと、防空壕に行かせ、
暗く臭い穴の中で一晩を過ごしていた。新聞やラジオは、
日本軍が相手の船を五隻沈めたら10隻というし、
日本軍の船が5隻沈められたら2隻という調子で、
国民には一つも本当のことが伝わらなかった」と話した。

18歳の兄は、兄弟が多く満足に食べ物がないため、
同じ死ぬなら、少しでも食べ物がある軍隊にと志願し、
終戦間際に人間魚雷の部隊に組み込まれて、宇品へ移動になったところで終戦を迎えた。

「兄も好きで志願したわけではなかった。あと3日終戦が遅ければ兄も死んでいたが、
それも戦争が終わってわかったことだった。
下っ端の兵隊は事実を知らないまま死にに行かされていた。
私たち世代はみな二度と戦争をしてはいけないと思っているが、

安倍さんは関係もないのに人の国に頭を突っ込んで相手を怒らせ、
日本を戦争に巻き込もうとしている
」と話した。

80代の男性は、「父が召集されて出征するのが昭和20年の終戦まぎわで、
私が7歳のときだった。父と一緒に日本がシンガポールを陥落させたとか、
敵国の軍艦を沈没させたとかの写真を見た記憶がある。
昭和16年から17年頃は、とにかく新聞などで“日本は勝った、勝った”ばかりいっていた」
と話した。その後、父がどこへ転戦したのか当時はまったくわからなかった。

8月15日の敗戦後、遺骨が帰ってきたが、骨壺の中には遺骨も遺髪もなく、
ただ中国の湖南省長沙の病院で戦病死したという紙切れが入っており、
その後の父の消息を初めて知ったという。

1銭5厘の赤紙一枚で国民を召集し、「おまえたちは馬より安い」(当時馬は800円)
といって戦場で虫けらのように人人の命を扱い

戦地だけでも250万人もの国民を殺したのがかつての大戦だった。

こうしたかつての経験とあわせて、国民の生命・財産を守るためというのが大嘘である
ことが重ねられ
、「仕方がないと黙っていたらまた戦争になる

今度はアメリカのための戦争に引っ張り出されると体験者は語っている。

80代の女性は「今日本国内は働く場がないし、あっても長時間労働で大変なことになっている。
工場もどんどん外国に出て行く。食料も世界中から買い付けてくる。
戦時中も同じで、国内では物資が足りず、みんな生活に困っているなかで、
満州に行ったり、インドネシアやフィリピンや南方の島に出て行くことがもてはやされた。

そして満州でも最後まで残った人たちは悲惨な目にあった。
戦争体験のない安倍さんや政治家が、
戦前と同じ方向に突っ走っていることに腹が立ってやりきれない
」と話した。




ゴーギャン、二枚目、



「Spring-of-Miracles -1894」です。




情勢の展開が早く、めまぐるしい、

◆http://japanese.ruvr.ru/news/2015_02_07/282739986/
ロシアの声  2月 7日 ,
ユーロ崩壊まで3週間? ギリシャ、お金が無くなる


ギリシャ政府はあと一か月分のお金しかない。
悪くて3週間分しかない。 新政権がどう出るか分からない。
しかしユーロのリスクは高まっている



これまでギリシャは国際融資元 三者(欧州委員会、欧州中銀、IMF)から
必要なお金を借り受けていた。しかし現政権は支援を拒否している。

ブルームバーグがギリシャ政府内の情報として伝えたところによれば、
もし「三者」の定めたギリシャ向け短期融資の上限が引き上げられなければ、
ギリシャは25日にもお金が足りなくなる可能性がある。

ちなみにバークレーズのアナリストによれば、
ギリシャがユーロ圏から離脱する可能性は、
債務危機が最高潮であった2年半前よりも格段に高い。

   by Vesti.ru



◆http://www.asyura2.com/15/cult14/msg/177.html
投稿者: 小沢内閣待望論 日時: 2015 年 2 月 09 日 4sIKljvd9SgGs
露の声・あと半月でユーロ崩壊か、
 米英のしょーもない謀略を尻拭いする独仏が、中露に準ずる存在感を感じます



二人三脚で言うと、中露に抜かれた米英が、抜き返そうと
各種詐欺をかっ散らかしてゆくのを、独仏が尻拭いしながら存在感を示し、
二位に転落した米英の真後ろに迫って、中露とワンツーフィニッシュしそうな感じで、
三位以下もだんご状態で、終わってみたら米英は
覇権奪還どころか五位ぐらいでゴールという印象です。

米軍がハンカチ落とし兵器に続き、原爆マシンガンミサイルみたいな兵器(レールガン)を
どや顔で発表しましたが、バブルの時にガソリン車は開発され尽くしたと言われるように、
兵器も核が最終兵器で、核より使い勝手がいいとか高性能とか、
そういう問題ではなく、自動車が電気だ水素だと
ガソリン車の問題を解決して進化していくのとは違い、
超ハイテク兵器は結構ですが、コンセプト自体が退化しているから別にーという感じだし、
サイバー戦争の時代にドンパチに執着する事自体が野蛮で、
第一、昔からそうですが、しょーもない兵器を開発するのはもうやめて
民生に払い下げる技術を 最初から民生に予算をぶちこみ、
ぶっちぎりの技術で存在感を示さんかいー
という感じで、
戦争予算は聖域ね みたいな化石頭の軍産複合体に、
人工知能時代にお前らはリストラされたいんかー、生まれ変わって生き残りたくないんかー、
行けるところまで行って後は野となれ山となれとか通用せんぞー、と言いたくなる訳です。

餌が少なくて、ボス猿が腹一杯食べないと群れを守れないから、
それに文句をつける奴を威嚇する必要があった時代なら分かりますが、
餌が有り余って、敵も餌が一杯あるから戦争の必要がなく、
ボスも泰平の時代の武士のように、刀から筆に持ち変えなければならなかったように、
ボスもその役割の変更を受け入れなければいけませんが、
敵も子分も大学・社会人と成長しているのに、
自分だけ中学時代のカツアゲ感覚のままで、
カツアゲする必要がないぐらい富がうなっているというのに、
無い無い足りないと嘘をつき、巻き上げたパンや牛乳を腐らせて、
それでもカツアゲ用に最新型ナイフを開発したぜーとか
どや顔で発表する所が中2で、最新兵器で鉛筆でも削ってろと言いたくなります。

その癖、絶対損する筈がない胴元をやって、デリバティブで総取りしようとして
大損こいて、自分で弁償するのが嫌だから子分にそのつけを回し、
言うに事欠いて、債権者様(プーチン)に向かって、あいつアスペじゃねとか暴言を吐き
だったらそのアスペに耳を揃えて借金を返してから大口を叩け
というのが世界の評価で、多重債務者の開き直りそのものです。

もう世界中から、米英イはガキだと思われてる訳で、
どんなに超ハイテク兵器を開発した所で、おいおい気違いに刃物で危ないから、
あのガキから取り上げろとしか思われない訳で、
子分も敵もボールペンや万年筆を使っているのに、
最新型のシャーペンみたいな連射型の鉛筆開発したぜー
ナイフで削らなくていいんだぜー、消ゴムもついてるぜー、
アディダスのバッグにもスポッて入るから便利だぜー、
これで隣の中学の番長に一歩リードしたぜー、とか
小学生にも馬鹿にされそうな事をやっている訳ですから、時代遅れもいいところです。

暴力とどっきりで支配できる時代ではない事を
人工知能からみっちり学んで、番長ではなく生徒会長に挑戦し、
めんこや子供銀行券の独り占めは 自分の首も絞める事を学習する事で、
もう水鉄砲みたいのを開発するのは、
相手が卒業しているのだからニーズが無いから終わりにする事です。  



◆http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPKBN0LD02X20150209
ロイター 2015年 02月 9日
ギリシャが離脱すればユーロ圏は崩壊 = バルファキス財務相


[ローマ 8日 ロイター] -

ギリシャのバルファキス財務相は8日、ギリシャがユーロ圏を離脱すれば
他の国が追随し、ユーロ圏は崩壊するとの見解を示した


同相はイタリア放送協会(RAI)のインタビューで、
ギリシャの債務問題は ユーロ圏全体の緊縮財政を拒否する取り組み の一環として、
解決されなければならないと述べ、
欧州投資銀行(EIB)が出資する大規模な投資計画が必要だ、との考えを示した。

「ユーロ圏はぜい弱で、カードで城を作っているようなものだ。
ギリシャのカードを取り除けば、全体が崩れる」と述べた。

ギリシャや他国が、現在の条件では債務を返済できない という事実に
向きあわない限り、ユーロ圏は分裂や崩壊のリスクに直面すると語った。

同相はさらにイタリアの債務状況は持続不可能だ」と指摘した。

これを受け、イタリアのパドアン経済・財務相は、
イタリアの債務状況は強固で持続可能だと反論し、
バルファキス財務相のコメントは不適切だ、と批判した。




ゴーギャン、三枚目、



「Jardín bajo la nieve 雪の植物園?」です。




謀略、謀略なのですよ、

◆http://takedanet.com/archives/1019266982.html
武田邦彦 (中部大学) 2015年02月08日
STAP事件はどのように報道すべきだったか?


☆https://www.youtube.com/watch?v=aULWCc-8leg

2014年2月にSTAP論文の不備が指摘されたとき、私は論文を読んで
「このぐらいしっかりした論文をかける若い人がいるのだな。
一部の不具合はあるかも知れないが、本人の年齢や経験を考えるとそれほど問題はない」
と感じた。特に4本のビデオがついていたので、それも評価した。

ところが、その後、この論文は
「監督者だった若山さんが一緒に書いても掲載されるところまで行かず、
笹井さんが書いた」ということが分かり、
「なるほど、それならこのぐらいの論文はできるな」と
(論文のできが意外によかったという点は)納得した。

ここで科学社会の違いに触れておく必要がある。

ただ、現在のように「お金に関係ある基礎研究」などが定常化した場合については
別途、整理するとして、まずは「従来の科学の考え方」を示しておきたい。

科学は「ゼロかプラスか」だけを想定し、一般社会のようにダマシなどは考えない

それは「性善説」ではなく、自然が相手だからウソをつくと結果的に成果にはならないので、
それは「ゼロ評価」で十分だからだ。

普通の科学の論文は「儲からない」から、ゼロ評価になれば研究も論文を書く手間も、
10万円ぐらいする掲載料もすべて無駄になるからだ。

そのぐらいのペナルティーがあれば嘘を書かないという前提があった。

ところで、小保方さんが若山さんや笹井さんに研究を説明した2012年の12月時点で、
彼女がやったことは4つの可能性がある。


  1)研究は不完全で、すぐには進歩に役立たないが、見所がある

  2)なにかを錯覚して新しい結果を得たとおもった

  3)論文が通らないので若干の細工をした

  4)最初から意図的にウソをついて


1)はそのうち、明らかになるだろう。

また、2)は若い人にはよくあることだが、「良い」わけではないが、
監督者が注意するのが普通だ。

3)や4)のケースもあるけれど、それを綿密に調べる手間が大変で、
毎日でる膨大な論文をチェックするシステムはないし、現在のところ方法もない
(新しいことがウソか本当かは原理的にわからないということもある)ので、
普通は「ほんとうかな」ぐらいで研究者仲間でほっておく。

有名な事件に日本では「神の手」という化石のインチキ事件があったし、
イギリスではビルトダウン人の頭蓋骨捏造事件があった。

どちらかというと「一人の研究や発見」で組織の中ではない。

このような場合、良い悪いは別にして、科学の歴史はそれを飲み込んで進歩する
というダイナミズムを持ってきた。
不正は自浄作用でなくなってしまうということだ。
不適切だったかもしれないが、それが事実だった。

ただ、「監督者、組織」がいれば組織の中で成果を評価するのが普通だ。

典型的なのが大学教授と学生で、学生の間違いは教授がチェックしなければならないし、
その力もある人が教授となる。

私の経験を一つお話したい。

私は名古屋大学で博士過程の学生が従来の知見と全く違う研究結果を得た。
学生の段階では再現性もあったが、私は従来の知見とは違うので、
これをどうしようかと思い、ちょうど機会があって
中部大学の学生に実験させるチャンスがあり、やってみた。

そうすると、名古屋大学の結果を知らない中部大学生が
原料から装置、すべて違うのに同じ結果がでた。

そこで「おそらく結果は正しいと思うので、論文を出そうと考えています」と
同僚に話して博士の学生に論文を出すようにいい、私も名前を連ねた。

つまり、研究を監督する立場にある人は社会的な責任があるから、
「自分の名前で論文を出す」というのは、
一緒に研究していた人がダマしたとか間違ったということで
その研究を自分の名前で出すということはしない。

なぜダマされないかというと、学問はみんなが言っているからとか
その人を信用したからというようなが入りこまない世界である。

自然と自分だけしかいないから、
自分が自然との関係で納得していなければ外部には言わない



つまり一般の人は小保方さんに質問したりして、

「小保方さんは信用できるか?」と必死に自問自答しているように見えるが、
私は小保方さんがどういう「人物か」とか、「本当のことを言っているかか」など
属人的なことは考えない。

科学的事実だけを問題にするし、それが自分で判断できるのは
共同研究者で監督者しかいない
からだ。

今回は、小保方さんは無給研究員で博士課程卒業直後であり、
監督者として「若山、笹井、理研の専門集団、理研」と4重構造をとっている。

そして、若山さんも笹井さんも大学教授になるような人だから、
科学の初歩としてのこのぐらいの訓練と習慣、そして判断力を持っている。

つまり、共著者として入るなら、「小保方が言ったから信じた」というのでは
学問の世界に大きな損害を与える。

小保方さんに責任があるかどうかより先に、若山さん、笹井さんは
「サギで共著者になったのか」を問う必要がある。

もし、若山さん、笹井さんや理研の関係者が、自然を確認せず、人を信じたというなら、
そのように発言しなければならない。

しかし、若山さんは逃げているが、

笹井さんは記者会見で
ビデオは捏造できない。
ES細胞とSTAP細胞とは全く見かけが違うから間違うことはない
と言っているので、
自分が自然と対峙して納得して共著者になったと言っている
笹井さんは小保方さんを信用したとは言っていない


つまり科学の世界には人にダマされるということは原理的にないのであり、
人を信じるというプロセスや概念自体がない
のだ。

つまり若山さん、笹井さんが共著の論文というのは、
両人が「自然との関係で研究結果に自信がある」ということを示しており、
そこには「小保方」という字は存在しない。


それでは論文や研究結果に問題があり、それをなんらかの事情で
社会的な糾弾が必要なとき、「誰、何」を糾弾すべきだろうか? 

まず第一に、科学として興味があり、問題にすべきことは、「誰」ということではなく、
そこに書かれた科学的事実が問題になるべきである。

それは写真が誰のものとか、文章がどこからか写してきたという
「論文の出来・不出来」に関するものではない。

しかし、今回の場合、NHKや毎日新聞は科学ではなく人の犯罪を問題にした

そうなると、「責任者は誰か」ということになり、
第一に若山さん、第二に笹井さん、第三に小保方さん、
そして監督責任が理研ということになるだろう。

小保方さんが書いた論文は一報も通っていない。だから日の目を見ていない。

だから「研究者としての責任」は小保方さんもある可能性があるが、
STAP事件が社会的な問題なら理研が組織ぐるみ犯罪」だろう

(この記事は、「武田が小保方さんを擁護するのは不当だ」というお考えの読者の方に
原稿を見てもらい、不適切な表現を変えました。
私は小保方さんが誤魔化しているかどうかは実験もしていないし、
本人にお聞きしていないこと、私より笹井さんの方が判断力があると考えられることから、
小保方さんの研究の評価はしてきませんでした。
でも、普通の人から見ると私の文章は「小保方擁護」に見えるらしいので、
可能な限り修正をしました。繰り返しますが、私は小保方さんを擁護も批判もしていません。
する必要があるかどうかより、監督者と理研の問題として捉えるのが良いと思ってきました。)



◆http://blogs.yahoo.co.jp/nx3262p0yz057j/archive/2015/02/09
DORAのブログ 2015/2/9(月)
あり得ない話よりはマシ


小保方さんの冷凍庫にあった細胞株のうち、
入手経路の不明なES細胞は129GFP/ESだけ。

この129GFP/ESは、若山研の研究員であった大田浩氏が作製した
ES細胞FES1と同一であるというのが調査委の出した結論である。

しかし、FES1は、大田氏が若山研を去るときに全部持って行ったという。
これについて、調査委員長の桂勲氏は次のように述べている。

[FES1は、若山研に2010年まで滞在した人(大田氏)が
若山研で作製して、ほとんど実験に使わなかったといわれてます。
でも作ったことは作ったと。で、その人の話では、若山研を出るときに、
持って行ったという記憶しかない。全部持って行ったという記憶しかない。
それから、若山先生に聞きましたところ、
その人が出てから(FES1が)若山研に残っていたという記録はない。
それから、じつは、調査委員会では、若山研にいた人のノートを全部チェックしまして、
FES1(別名がたくさんあるんですけれども)それがノートに書いてないか
というのをチェックしました。ありませんでした。
これは、その細胞を使った人がほとんどいなかったということと一致しています」

すなわち、

  (1)大田氏は「全部持って行った」と記憶している。
  (2)その後、それが若山研に残っていたという記録はまったくない。
  (3)その後、それが使われたという記録も全くない。

なのに、突然、小保方さんの冷凍庫にあったという。 なんとも不思議な話である。

日経サイエンスは「すべて運び出したつもりだが、同じ株がCDBにあったのなら、
私が置き忘れたのかもしれない」という大田氏の言葉を掲載している。
しかし、これには何の意味もない。

大田氏の記憶は「すべて運び出した」であり、これは証言としての価値がある。
一方、「置き忘れたかもしれない」
は本人の記憶に基づかない証言であり、
「129GFP/ES=FES1」という解析結果と辻褄を合わせようとした証言にすぎない。
いわば「後出しジャンケン」である。
最初にグーを出す。しかし、相手がパーを出すのを見てからチョキに変える。
こんなことが許されるのなら、どんなに都合のいい結論だって出せる。
まさに日経サイエンスのご都合主義である。

しかし、百歩譲って(譲るつもりはないが)、大田氏が一部置き忘れたとしよう。
しかし、その置き忘れたFES1は、2010年3月に大田氏が去ってから、
2011年4月に小保方さんがやってくるまでの1年間、
若山研に残っていたという記録がなく、誰も使ったという記録がない。

したがって、1年後に小保方さんがやってきたとき、小保方さんは、
若山研にFES1が存在するという事実すら知らない。
それが存在するということすら知らないのに、
見つけ出して盗もうという気になるだろうか
。 あり得ない話である。

すると、別の可能性は、「たまたま偶然見つけた」というものだ。
すなわち、大田氏が若山研を去ってから、まる1年もの間、
若山研の誰一人として見かけたことがなく、誰も使ったことのないFES1を、
新たに若山研にやってきた小保方さんが、いきなり偶然みつけたというのだ。

これまた、なんとも都合のよすぎる話である。

こういう普通ではあり得ないような偶然を積み重ねた話よりも、
さらに別の可能性を考えたほうが、はるかにマシだと私は思う。

すなわち、小保方さん以外の誰かが、
129GFP/ESをこっそり小保方さんの冷凍庫に入れた
ということだ。

あるいは、129GFP/ES=FES1という解析結果そのものが
でっち上げ
という可能性も捨てきれない。

もちろん、これは陰謀論である。

わたしも、なるべくなら、こうした陰謀論を安易に振り回したくないが、
すでに述べたような、ほとんどあり得ないような偶然を信じるよりは、
こうした陰謀論の方がはるかに説得力があると思う。

実際、陰謀はすでに行われているのである。

NHKスペシャルなんぞは意図的に小保方さんを陥れようとしている。

完全な陰謀である


石川智久氏の告発は、それ自体が陰謀である。

「小保方さんが、2013年の引越しのどさくさに中国人留学生のES細胞を盗んだ」
「それを使って捏造した」なんて話は、まったくあり得ない話であり、
こんなデタラメな話で人を告発しようなどというのは、陰謀としか言いようがない。

この事件全体が、陰謀抜きでは語れないと思う




存外早く、事実が明らかになる? そんな気がします。

JEWが絡まぬ環境で研究継続を!



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